自分のことで恐縮だが、祖父母は良い思い出が満載であるが、みじかにいた、母方の祖母には嫌な思い出もある。感染症が猛威をふるっていた幼いころであるから、当然なのであるが、怪しいものは友達が食べていても食べさせてくれず、祖母に反発した経験もある。
ただ、今考えてみると、祖父母の時代は、子供も多かったが、幼くして子を亡くすことも多かったようだ。祖母もそうした辛い経験があったから、厳しかったのかもしれない。
現代は、病気で幼い子供や、若い人が亡くなるということは殆ど聴かなくなったが、自殺などの悲しい話は逆に増えたりしていた。
そして、今回の原発問題である。
先日、都心で孫と公園で二人で遊んだが、砂場は閉鎖されている状況であった。そして、すべり台で遊んだが、やはり孫が地面に皮膚を直接つけないよう神経質になった。将来、孫がお祖父さんは公園で神経質だったと思い出すかもしれない(お祖父さんキライなんて)。
この数年古典に親しんでいるが、昔は幼い子や配偶者と死に別れることは、今以上に多かったようだ。当時は、平均寿命30年とかの人生なのであるから、今とは違うのは当然だ。しかし、その中を健気に精一杯生き抜いていく。
放射能汚染の現実のなかでも、この新しい現実を受け入れ、アイデンティティを統合しつつ明るく生き抜いていくのが、私も含め大切だと思う。
写真は、ユキヒョウの親子。
(なお、今回の「不安を観る」は「生き甲斐の心理学」(植村高雄著)の系統図を参照していますので、是非参考にしてください。)
不安を観る 7/10