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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

無視し無視されることも良いことが!(こころの解放 3/10)

2011-09-12 | 第三章「無意識の世界」

 高校で古典を勉強していらい、本が好きであった私も古典から遥かに遠ざかっていた。それが、日本の古典に関心を持ってきたのは、この数年である。

 生き甲斐の心理学をU先生について勉強していったが、その中でギリシャ神話や日本神話を学んでいった。最近は源氏物語や平家物語まで関心を広げている。

 日本人の特性(自分の特性でもあるが)を勉強することはとても大切であるし、個人情報の保護に悩まされたり、あまりに刺激的な事例研究をするより、古典から学ぶほうが得策という判断もあるようである。臨床心理学の先輩のフロイトやユングも、古典に対して造詣が深い。

 しかし、源氏物語や枕草子などを(だいたい、定評のある現代訳だが)読んでいくと、時代はそれこそ1000年くらい違っているものの、そのこころの悩みはあまりに現代的であるのに驚く。

 平和な時代に生き抜くために、今もそうであるが、当時の貴族は必死に戦ったのである。

 その中には、想像を絶するようないじめ(無視も当然ある)もある。

 藤原道長と藤原伊周(これちか)の権力闘争の影響で、負ける側について清少納言(紫式部と反対に)の枕草子は、そういう背景を知らないと読み解けないようである。

 無視は、ある種の暴力のようであるが、組織が生き残るため、家族が生き残るため、自分が生き残るための面もあったりする。一般にはマイナス面ばかり強調されるが、プラス面と言わないまでも、何故無視があるかを思索することは大切だと思う(生き甲斐の心理学19Pにもあるが)。

 最近思うのだが、無視をめぐって、自分の好悪とか情念をかき乱すことは当然あるにしても、意外と別の面役割という面に思い到らないことを考える。

 例えば、道長と伊周の権力闘争は、兄弟を病気で失うことが発端での必然なのである。系図を見ればすぐわかることなのだ。道長の人格の問題とは別に、歴史は流れているのだと思う。

こころの解放 3/10

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