イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

脳は選別する器官!

2008-02-09 | 第三章「無意識の世界」

 まだ、生まれて8か月のマルチーズのコナツであるが成長が速く、今では早くも親犬と同じ大きさである。

 コナツは余りに活発であり、普段の写真はブレて皆様にお見せできることはほとんどない。今回は、寝込みを襲って、奇跡的に撮った写真である。

 コナツの眼は黒で、なんとも言えない美しさがある。そして、最近読んだ本の一節を思い出す。ベルグソンの言葉で、「脳は記憶を保存する器官ではなく、選別する器官」というものである。(湯浅泰雄著 身体論 学術文庫220ページ)

 この哲学者の説は、その後の脳科学の発展の中で、徐々に真実味を帯びている。

 それは兎に角、コナツが今ここに生きているのは、有史以来(2000年以上)、愛玩用動物として生き抜いてきたからでもある。母犬も、火事の中奇跡的に助かったと聞いた。コナツの命もドラマティックであることを、写真の黒い眼は語っている。

 第3章、「無意識の世界」では、「五感と体感」の章の後として、無意識を自分の成育史から考察していきたい。より具体的に考えるために、「何故、今まで生き抜いてこられたか」というサブテーマをもうけ、暮らしの中での無意識について考えを深めたい。

 次に、この無意識の問題は、現代では臨床心理学だけでなく脳科学、哲学、比較宗教学などでも扱われる、大変刺激的な分野のようだ。「生き甲斐の心理学」の学びを深めるために、積極的に寄り道しよう。

 3章は、どうなるのかまだ先が読めない。私の無意識しか知らない!

<総論1/1>

人気blogランキングへ <- 1クリック是非とも応援お願いします!

 

 


自然体で寄り合いに出席すると?!

2008-02-08 | 第二章「五感と体感」

 年がら年中ではないが、こころの鎧を捨て去り、つまり防衛機制を外して、自分の個性丸出しで楽しく過ごすことがある。こんな風に自然体になることをカウンセリング勉強会の中や、ちょっとした寄り合い、飲み会でやってみることがある。

 すると、いろいろなことに気づく。何となく居心地がわるくなる時。逆に、より楽しく幸福感を味わえる時など。自分の個性の美を好きになってくれる方と、そうではなく、どことなく許せなくなり、遠ざかる方と二通りに分かれる。

 10年前は楽しく過ごせた仲間が、こんなだったのかな?と悲しむこともあり。一方、初めてなのに、昔からの旧友のようだと思う方もいる。

 社会的な地位に同一化するなど、こころの鎧を付けて、私も昔はサラリーマン生活をしていた。そのため、当時は鎧に身を固めたどおしで、会合でもほとんどつつがなく過ごせた。

 自然体になると、いろいろなことが観えてくる。五感・体感という知覚の世界が、無意識の世界にある直観の世界に連動する感覚。打てば響くような感覚でしょうか。そして、自分の感情もよく観えてくる。

 ただ、親しかった方が離れる時は、寂しさを味わう。

 もちろん別の機会があるが!

<自然体2/2>

人気blogランキングへ <- 1クリック是非とも応援お願いします!

 


自然体で暮らす!

2008-02-07 | 第二章「五感と体感」

 いよいよ五感と体感の章も終りに近づいてきた。

  自然体の中で五感・体感を大切にしていると、何か今まで見えなかった真善美が観えてきたり、幸福感に気づいたりする。逆に、厳しい現実の環境の中で必至に戦い、自然体が崩れると、心の仕組みを左右する、考え方や感じ方が揺らぎ、心にもない判断をし、後で後悔したりする。

 五感と体感は自分が日々新しく健全に変化していく時の扉であるともいえる。周りの環境も日々変化し、そして自分自身も遺伝子や老化の影響を受けて変化していく。そして、よりよく生きていくのは五感と体感で現状をキャッチし、自分自身で無意識の世界も含めて、全身で最善の回答を模索していくことが重要であろう。

 五感と体感を正しくする自然体。自分にとっての自然体はなにか?U先生から太極拳をちょっと教えてもらった時に、自然体も教えてもらった。受動的であるが、外敵に対し不動的である。不思議である。

 生き甲斐の心理学を勉強していると、受容、傾聴など、外見上は静的で受身なことが大切にされるようだ。この、自然体についても同様である。

 そして、新たな変化や創造といった萌芽は、意外にもこうした受動的に見えるところに秘められている。

 写真は、数日前のものであるが、明け方に静かに輝いていた三日月である。

 <自然体1/2>

人気blogランキングへ <- 1クリック是非とも応援お願いします!

 


枯葉が茜色に輝くとき!

2008-02-06 | 第二章「五感と体感」

 ちょっと前の月曜日の早朝の写真である。日曜日に降った雪が凍結した道を歩いていくと、丁度朝日が差し、道端の雪がピンク色に染まり、そして普段はみじめな茶色の枯葉が茜色に染まっていた。

 私のネクスト・ジェネレーション(次世代、子供の世代)は、就職や仕事で悩み、配偶者選びについても悩む。さらに愛の親密性や孤立感で悩んでいるかもしれない。そういった、年代を生きているのだが、その親は不思議なことに、世話(Care)がテーマの世代である。

 より広い観点から、ネクスト・ジェネレーションに接することができる。さらに、祖父母の世代は知恵(Wisdom)がテーマであり、枯葉のように見えても、いざという時には、支えになってくれる。

 私が今のネクスト・ジェネレーションであったころ、今と環境は異なっていたが、それなりに悩んできた。そんな時、今から振り返ると、感じ方が先行して、考え方が変わってきたように思う。早朝の明星を見た時の感動。槍ヶ岳登山。しだれ桜が満開の円山公園。・・・

 そして、それは自分だけの力で変わったのではなく、その背景には先行する2世代があり、変化を支えてくれていた。

 何気ない早朝の風景が輝くとき、今の私にとっても何かが変わる兆候かもしれない。

<次世代3/3>

人気blogランキングへ <- 1クリック是非とも応援お願いします!


人間の成長は階段状にプログラムされているか?

2008-02-05 | 第二章「五感と体感」

 孔子の論語の中に次の名言がある、「三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順がい、七十にして心の欲するとことにしたがいて矩を越えず 」。

 私は孔子のような偉人でもなく、六十、七十は経験したわけではないが、何となく、年相応という感じが判るようになってきた。努力も大切だが、年とともになにか変化があるといったところである。

 考えてみれば、同じ生命の昆虫の蝶などは幼虫、蛹、成虫と変化する。人間も考えてみれば、ホルモン等も大きく変わるようだ。DNAの中に成長についてのプログラムがあるのだろうか?

 孔子も有名だが、世阿弥の花伝書でも稽古論として、いろいろ記述がある。そして、心理学の世界でも、エリクソンの発達心理学がある。

 生き甲斐の心理学では、人格形成論の一つとして、エリクソンの8つの分類を大切にしている。五十歳台は三十五歳ごろから六十歳に至るまでの、「世話 Care」に分類されている。ネクスト・ジェネレーションに興味をもち、天命を考えたり何かしなければと思うのも、そんな段階での想いかもしれない。

 そして、二十歳ごろは、「忠誠心 Fedelity」の段階で、アイデンティティ、自己混乱感が芽生える段階である。そして二十三歳から三十四歳は、「愛 Love」で、親密性、孤立感が芽生えるとされている。

 時代背景は異なるものの、ネクスト・ジェネレーションの人たちと接すると、なにかその年代のテーマについていろいろ格闘しているように見えるのは私だけなのであるか?

 <次世代2/3>

人気blogランキングへ <- 1クリック是非とも応援お願いします!