イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

チャレンジの時!

2008-02-14 | 第三章「無意識の世界」

 先日行った、多摩動物公園のオラウンター前に、絶対落ちないの験をふんで、合格祈願ができるようになっていた。受験シーズンでもあり、沢山の方が祈願をしていた。

人生、生まれてから死ぬまで、受験をはじめ、いろいろチャレンジしたりするものである。人それぞれ、その内容は異なっていても、チャレンジの本質は似ているように思う。今まで自分の人生で経験したことの無いことに、新たに意を決して挑戦する。

 そして、その結果として、新たな出会いや課題に直面していく。時間は思いもかけないことを運んでくれることもある。

 想えば、5万年前に現在66億人を超える、現世人類の祖が、アフリカを脱出して、紅海のバベルマンデブ海峡を渡るころから、いろいろなチャレンジがあった。

 そんな、大げさなチャレンジではないかもしれないが、自分の人生においてどうか、4回で振り返って考察してみたい。

<挑戦の時1/4>

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こころのオアシス!

2008-02-13 | 第三章「無意識の世界」

 厳しい社会の中で生き抜く企業に、長年勤めているといろいろなコトに遭遇する。

 自分のことを大切にしてくれ、きちっと育てたり、支えてくれる暖かい人たちに囲まれることもあれば、眼先のことにこころを奪わた人、クールな人に囲まれることもある。

 家庭も大切だが、ほとんどの時間を仕事に費やすサラリーマンにとって、仕事場の環境は、こころの健康に直接影響する。

 ある時、今から考えると、こころの健康状態が悪い時期があった。プロセススケールはこころの健康を測る尺度として重用させていただいているが、全体的に高、中、底で底であった。

 そんな、砂漠のような時期を過ごした後、だんだんこころの健康が回復してきた時期がある。お昼休みにある同僚と毎日楽しく過ごしたことが大きかった。

 一番大きかったのは、その同僚が好き嫌いの感情がはっきりしていて、感性豊かな方であることだと思う。社内の複雑な事情をサバサバと説明してくださり、目から鱗であった。ロジックだけでは様々な人間社会ことは判らない。感情・情動を深く理解することは常に重要である。

 そして暖かく、優しい方でもあり、私の体験の解釈は変わり、精神的に楽になった。また、私自身の原初感情、好き嫌いもはっきりしてきたようだ。

 こころのオアシス!感性豊かな方な暖かい方と親しくすることかもしれない!

<苦難の時4/4>

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蝶効果:危機への羽音!

2008-02-12 | 第三章「無意識の世界」

 一度は聴いたことがあるかもしれないが、バタフライ効果というものがある。1972年にエドワード・ローレンツ氏がアメリカ科学振興協会で「ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こすか」という講演したことに因んでいる。

 原因と結果の不思議な関係にも興味を覚えるが、個人的には、突如舞い降りてくる不幸、災害、事件と平安に生きていたはずの自分の関係の不思議さを考えてしまう。

 人生を振り返ると、自分なりにも、突如と飛び込んでくる大混乱があった。

 嵐であるので、当事者は基本的にできることは当然するが、後はひたすら幸運を祈り、待つ。

 私も、ある事件の時は、ひたすら祈ったし、祈ってくれた人たちに感謝をした。どうしようもない苦悩の前には、人智を超えた神に向かって静に祈るしかない。

 平和な毎日は、実は危機と背中合わせなのだ、紙一重なのだと思い知る時でもある。地位も名誉も財産も、危機の前には無力である。

 死を想え、メメント・モリ。自分の信仰を考える時でもある。

<苦難の時3/4>

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学校嫌いが治るとき!

2008-02-11 | 第三章「無意識の世界」

 先日、母と雑談をしているときに、私が7歳の時のアラスカでの生活の話がでてきた。「零下15度の日もあって、朝は真っ暗だったけど、小学校だけは良くいってたね~」。なるほど良く行ってたか!

 その言葉で、点と点が繋がり、当時の一連の記憶がきれいに解釈できるようになった。

 日本の小学校に上がった6歳のころは、幼友達が交通事故で亡くなったり、小学校もひとクラス50人とか60人とかで、何か馴染めなかった。授業中に担任の先生に噛みついたことまであった。問題児だったのかもしれない。ただ、当時は人数が多いのか、問題児もあまり問題にされなかった。

 7歳になって間もなく、父の仕事の関係でアラスカのシトカに家族で移った。父に連れられて、現地の小学校に入った。そこは、日本人に似たネイティブが多く、担任の先生もネイティブであったように記憶している。英語も全く知らない私を優しく面倒をみ、クラスの20人位の同級生と馴染ませてくれたのは感謝であった。

 アラスカという土地柄も、自然が厳しいだけ、人情が細やかなようである。そして、ある日、父の友人が薦めたこともあり、別の小学校に急遽通うことになった。その担任の先生とクラスの20名くらいの仲間たちは、残念がって、お別れの時にチョークとか色紙などをプレゼントしてくれた。

 そんなことで、7歳の時にアラスカで学校嫌いが治ったようである。ただ、日本に戻るとまた、学校が嫌になったりした。しかし、この時の経験は貴重で、心理学を勉強するこのごろであるが深謝している。

 人と人のコミュニケーション、魂と魂のコミュニケーションは言葉の壁など問題ではないのだろう。

  昨日の朝は雪で大変だったが、アラスカを思い出して平安であった。

<苦難の時2/4>

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苦難の時は、いちごで元気に!

2008-02-10 | 第三章「無意識の世界」

 2月の5日ごろから8日まで、胃腸に来る風邪で大変であった。やっと昨日あたりから食欲もでてきた。そして、何故か普段は意識に登らない、いちごが急に食べたくなり、スーパーに行き買ってきた。

 昔ながらの小粒のいちごではなく、大型のいちごを練乳のクリームを付けて食べた。いちごは子供のころはもっと高価であったが、母が時々買ってきて、ミルクと砂糖をかけて、スプーンでつぶし食べた記憶がある。

 そんな、愛の原型があったのだろうか、大学受験で浪人したころ、予備校でイチゴ牛乳を飲むのが楽しみであった。その時の味は格別で、日々の生き甲斐であったようにも想う。

 予備校時代は、高校紛争と受験で混乱していた高校を複雑な想いの中卒業し、受験にも失敗し、不安な日々を送っていた。ただ運よく、中学時代の友達と予備校で再会し結構楽しく過ごした。

 丁度万博のころでもあり、家の近くで三島由紀夫事件があった年でもある。日本の将来を象徴する二つのことがあった年であった。

 イチゴ牛乳で元気になった、そんな深層の記憶が、病み上がり?の今、ふと蘇ったのかもしれない。

 皆さんにとって、元気になる果物、飲み物はなにかありますか?

<苦難の時1/4>

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