イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

愛の孤独、水仙!

2008-03-11 | 第四章「愛とゆるし」

 ギリシャ神話で、ナルシスが池に映った美しい自分の姿に恋をし、最後に水仙になった話は有名である。そのナルシスの話には、ヘラに嫉妬されたエコーの話があり、ナルシスを恋した美少女エコーがただ、声を繰り返すだけの木霊(こだま)になってしまうという悲しい話も付いている。

 愛のすれ違い。これは、何も恋愛だけではなく、日常茶飯事に人の間で起こる現象であると気づいたのは、「生き甲斐の心理学」を学んでからであった。

 友人・知人、職場の仲間、夫婦、親子、親戚、同志・・・様々な人間関係で、何か寂しい、何か空しいと感じた経験はどうだろうか。自分が意識し、場合には無意識で求めるラブコールに意外と気づかない他者。もちろん、他者のラブコールに気づかないで、後で後悔することもある。

 自分と他者の関係もそうだが、自分と自分の関係も同じようにある。

 66億人の人が、この地球上に現在住んでいるのに、なんですれ違いがあるのだろうか?

 そんなすれ違いを感じる元の一つ、人の個性をどう解釈するか、これから考察してみたい。

<個性の発見1/4>

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スポーツのように訓練する愛!

2008-03-10 | 第四章「愛とゆるし」

 クロッカスの逞しさは、雑草のように、ちょっとした場所に早春の花を届けるところであろうか?緑の余りない場所にも咲く花・・・

 愛は意外にこのクロッカスのように、逞しくなければならない存在のようだ。愛を身につけるためには、日々スポーツの訓練のように、柔軟体操をしたり、基本動作の訓練をしなければならない。「愛は訓練」と生き甲斐の心理学の中では言われている。

 人と自分の関係をどう自分が見ているか、そんな意識の動きを見つめていると、マルティン・ブーバーの言うように、同じ人でさえ、我と汝(親密なあなた)と我とそれ(疎遠な存在)の二つの関係を日々刻々行き来しているように思う。

 そして、恐らく意識しなければ、ずっと我とそれの関係に陥ってしまう。神に祈る時さえ、我とそれになってしまうこともある。

 愛を素直に感じること。人を愛すること、そしてゆるすことは意識して行う大切なことのようだ。

 今まで、どれほどそのことを理解していたか疑わしい私ではあるが、今回はこの章でじっくり考えていきたい。

<総論1/1>

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余は何故、生き残れたか?

2008-03-09 | 第三章「無意識の世界」

 昨日は、久しぶりに立川の昭和記念公園に行った。天気も良く寒くもなく、早春の花を楽しんだりした。クリスマスローズ、クロッカス、フクジュソウ、そしてお目当ての梅が綺麗だった。

 その中で、一番印象に残ったのは、クリスマスローズであった。ローズという名前がついているが、とても質素な花である。そして、見続けていると不思議に愛着が湧く。奥ゆかしい花である。

 さて、第3章 「無意識の世界」が今日で終了する。無意識といっても、自分の無意識の世界は通常意識されない世界なので、「生き甲斐の心理学」でよくU先生から訊かれる「何故生き残ったか!」を意識して書いてきた。

 頭にこびり付いている、こだわっていること。大切だと思う経験。それを7つのテーマで追っかけた。今でも固執しているような強い経験や思考でも、実際に書き綴っているうちに、光と影の関係のように、無意識の世界を垣間見る感じの瞬間があった。

 そして、時には新しい発見をした。丁度、4月から新しい仕事をすることになった時期でもあり、自分の防衛機制を考えたり、背後の不安を客観的に考えたりすることは、良かったように想う。

 昨晩は、ちょっと不思議なことを考えた。自分の意識の世界が桜や梅ならば、その背後の無意識の世界は、意外に地味な草木かもしれない。例えばクリスマスローズのような・・・木陰にひっそりと咲くような花である。

 そして、何故生き残れたか?大上段の問いかけであるが、実際に考えを深めていくと、クリスマスローズのように生かされていることにひたすら感謝することになるようだ。

 <何故生き残ったか1/1>

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自分の中の近世から現代、深層に影響するもの!

2008-03-08 | 第三章「無意識の世界」

 1974年、私が大学4年生の7月に、友達何人かと文集を作ったことがある。執筆者の殆どが私も含め理工系であり、また小説だけの文集というちょっと変わったものだった。

 その文集に入れていただいた私の小説は、短編小説でかつ未完という、今から考えると若気の至りの小説だった。ただ、当時の自分の内面や深層心理を考える上で、今でも大変興味深い。若いころの日記や文集は、すべて破棄してしまっており、貴重な財産でもある。

 1974年、卒論・就職を控えての時期であり、自分のこれからの生き方を整理しようと企てていたようだ。かなり気負って、今から考えると異常なものであったが、それなりに自己統合を図った形跡がある。

 その中のテーマの一つは、宗教が力を失った時代で、何を信じて生きていくかということであった。そんなテーマを考えたのは、自分の生育史そのものだと今は思う。

 最近読んだ、湯浅泰雄氏の「日本人の宗教意識」(学術文庫)はとても役立った。このご本によると、日本の国は、戦国時代以前(仏教以前も含め)は宗教の国であったようだ。

 中世の絶対権力者の白河法皇が、意のままにならぬものとして、加茂川の水、双六の賽、そして比叡山の僧兵を挙げているが、当時の宗教の力はものすごかったようである。

 それが戦国時代100年の後、近世、近代、現代と続くが、政治が宗教を完全に支配する時代に大きく変わった。キリスト教の弾圧もそんな文脈で考えると、良くわかる。以前不思議な縁で親しくなった、あるお坊さんに言われたが、江戸時代に弾圧されたのは、キリスト教だけでなく仏教もそうだということだった。

 西洋の啓蒙思想、科学、朱子学、陽明学等の影響を考えることは自分の中の近世、近代、現代の時代の影響を知ることでもある。

 日本に生まれて、その近世、近代、現代の文化の影響は自分のこころの奥底までとどいているようだ。そして、その影響を整理整頓することはきっと意味がある。当然のように今日常の中で言われていることは、戦国時代以前はどうだったか・・・

 このところ、自分には難しい世界に浸り続けていたようである。今日は、天気も良いし、ブログの写真でも撮りにゆきたい!

<日本人に生まれて4/4>

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貴方のご趣味は?

2008-03-07 | 第三章「無意識の世界」

 人それぞれ、様々な趣味があるようだ。

 同志、友人、先生、知人、祖父母、両親、子供たち、兄弟、・・・いろいろ顔を思い浮かべ、嬉々として趣味に没頭している姿を見るのは良いものだ。

 その中でさらに気持ちが良いのは、身銭を惜しげなくきって趣味に費やす姿である。そこまで楽しいのだろうかと思うが、本人は当たり前のように没頭している。趣味というより本業のようである。

 祖父は謡が趣味であった。そして戦後の何もない時代に、師匠を大切にして謡の稽古に励んでいた。そこまでしなくても、祖母がいつも言っていたようである。

 母は様々な趣味を楽しんだが、今は俳句に落ち着いたようである。子供の一人は趣味の美術関係が高じて、本業になってしまった。私も何かそんなところがある。食べるための仕事から、やりたい趣味・本業に軸足を移してきてしまった。

 ふと、名前も知らない、遠い祖先達のことを考える。。今と違って、美しい自然に囲まれて、厳しいことも多かったが、どこかに楽しみもあったはずである。5世代前は、100世代前は、1000世代前は・・・どんな趣味を持っていたのだろうか?

<日本人に生まれて3/4>

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