イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

寅さん映画!

2008-11-25 | 第一章「意識と知覚」

 「男はつらいよ」、寅さん映画は、若い頃から盆暮れに映画館で観てきた。残念ながら、渥美清さんが亡くなってからは、「釣りバカ日誌」を継続して観ている。

 毎年、世の中は急速に変化していても、帰るべきところといっては変だが、基本的に変わらない世界は安心できる場所のようだ。そして何よりも笑って楽しめる映画は良い。健康のためにもよいかもしれない。

 さて、先日のカウンセリング勉強会の中で、寅さんとマドンナの関係について楽しく語り合った。

 人間を、身体、生育史からなるこころ、そして宗教の世界と関係のある魂の3つから成り立つものと仮定してみる。

 人間を因数分解するようで、恐縮ではあるが、この3つの観点から寅さん映画を味わうとどうだろうか。人間の3つの要素が織りなす微妙な機微が理解できるようでもある。

 寅さんの生まれは、訳ありのようである。父と芸者の菊との間の子として、妹のさくらとも異母兄弟のようである。そんな生育史を生き抜いている寅さんの楽しい性格。あるいは、魂の領域として柴又を考えてみるのも楽しい。柴又の午前様は、なにか深い落ち着きを感じさせる。

 生育史から親密な関係を避けてしまうという深層の心理についても考えさせられる。寅さんの恋愛が成就しないのはそれゆえなのだろうか。

 親密さとその反対の孤独。これから4回考えてみたい。

<親密と孤独 1/4>

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コダイ妄想!

2008-11-24 | 第一章「意識と知覚」

 青年期に自分の思想を持つことは重要だと思うが、時代の流れあるいは両親や身内の影響の中にあって、安心立命な思想に辿りつくことは、私の場合は難しかった。

 例えば、宗教は父の実家は熱心な浄土真宗、母はカトリック、母方の家は日蓮宗であった。日本は多神教的な風土があり、私も何となくはっきりしないまま青春を過ごしてきた。

 その中で、高校の時から興味のあった、日本の古代史(弥生時代から平安時代)の関連もあり、梅原猛氏の一連の著作は、大学生のころから社会人として関西に単身住んだころにかけて熱中して読んだ。

 特に、「隠された十字架」には衝撃を受けた。父も建築に携わり、法隆寺の五重塔について、時々蘊蓄を垂れていたこともあり、関西に引っ越ししてからは、何回も法隆寺にいった。

 キリスト教は、カトリックの宣教師が日本に1549年に日本に伝えたというのが定説であるが、中国やインドには6世紀ごろにはキリスト教が伝わっていたとされ、いくら辺境の地、日本でも遅すぎると思っていた。それが景教として法隆寺にも影響を与えていたというのだ。

 父母が異なる宗教を信じているというのは、子供にとっては何か不安な感情を呼び起こす。そんな潜在意識が、法隆寺に対する関心となっていったのかもしれない。

 日本には故佐伯好郎博士からの日ユ同祖論などがあるが、その真偽は門外漢の私には不明だが、中国文明(キリスト教の影響も受けた)を取り入れた日本の文化は、間接的にキリスト教の影響を古代から受けていたと考えて良いように思う。

 さて、キリスト教の伝来は個人的な興味かもしれないが、藤原氏の政権奪取の過程、それ以前の邪馬台国の時代には興味を持たれている方は沢山いるようだ。

 藤原氏の正体は?蘇我氏や物部氏の正体は?邪馬台国の話は日本書紀とどう繋がるか?

 歴史の闇の中で不透明な、日本の始まりを思索し、自分を見つめることは楽しい!

<自己混乱感4/4>

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歴史はお好き?

2008-11-22 | 第一章「意識と知覚」

 無味乾燥な年代を覚えるだけでつまらないと思っていた歴史であったが、高校3年の時に日本史を学んでから、歴史好きに変わった。歴史が大好きで博学のK先生に学んだことが幸いした。

 丁度受験を控えた年であったが、発表授業で7世紀の大化の改新ころの状況を、友人と徹夜で劇を作りテープ録音して発表した記憶がある。そのグループは「蹴鞠の会」と自称し良き仲間となった。今でも当時を振り返ると、とても懐かしい。

 エリクソンでいう、13歳から22歳の忠誠心の時期に、歴史を学ぶことは、アイデンティティ形成にとても重要ではないだろうか。自分とは何か?時間を経た祖先の時代を振り返り、当時の人と向き合うことは、悔いのない人生を送る上で大切である。

 今、私の周りには、歴史好きの人が沢山いる。先日も、同じ清和源氏の末裔だったと、手を握りあった。昨日も、友人と日本の歴史、7世紀ごろを語り合った。この夏からずっと、「生き甲斐の心理学」の仲間の共通テーマ「源氏物語」は藤原氏の物語でもあるが、藤原氏のことを語り合うだけでわくわくする。

 14世紀に、鴨の長明が藤原氏の邸宅が廃屋になってしまったことを記述していたので思い出したが、藤原氏は徳川家より遥かに長期間、政権に影響力を与え続けた。その強力な支配ゆえに、歴史書に影響力を与え(ねじ曲げ)、3世紀、7世紀といった日本の歴史の変局点が謎になっているようである。

 日本とは何か?私たち日本人にとって、重要なアイデンティティ形成の問題であるが、意外にその重要性は一般に語られない。

 藤原氏が実質政権を取る前の時代はどうだったのか?朝鮮半島との関係は?興味は尽きない。縄文時代の東日本中心の世界。朝鮮半島からの大量移民の影響力のもとでの西日本中心の政権。

 こころの深層に流れるものを考える上でも、日本の歴史の勉強は大切なような気がする。

(写真は後鳥羽上皇の大原綾)

<自己混乱感3/4>

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(大国魂神社、境内の大銀杏付近)


生き甲斐の原型さがし!

2008-11-20 | 第一章「意識と知覚」

 何で今、「生き甲斐の心理学」をライフワークのように大事にしているのだろうか。その原型は何処にあるのだろうか、朝からぼんやり考えている。

 どうも、エリクソンの忠誠心の時期である13歳からだが、21歳から22歳ごろに、その原型があるように思える。父や祖父の影響もあり、理数系の成績も悪くなかったので大学は理工系に進んだが、文科系への関心も高かった。大学は1-2年が当時は教養課程であり、課外活動として「ドイツ文化研究会」に入った。殆どが文科系の人であり、今でもお付き合いしている。

 その中のお一人で、行動科学関係の卒論を書いていた文学部の先輩がいて、アンケートの統計解析をお手伝いしたことがあった。また、従兄が同志社大学の市川亀久弥教授の指導を受け、創造工学に熱中しており、その影響も受けた。

 心理学の読書では、フランクルの著作集であった。「夜と霧」をはじめ、熱中して読んだ。

 そんなこともあり、大学3年からの学科選択では、行動科学が学べる管理工学科を選んだ。そして、某先生に自分の学びたいことを相談に行き、そこでF先生を紹介していただいた。卒論研究はF先生のもとで勉強することができた。熱中した卒論研究での約半年が今の活動の基盤のように思えてならない。

 そこで感じた充実感、そこで感じた違和感、それが今の活動に通じているようである。

 当時は、人が創造するプロセスを工学的に研究したいという夢があったが、今は悔いのない人生を送るための研究や活動になっている。

 自己混乱感を感じた時、自分の仕事の想い、思想の想いのルーツを探ると、新たな発見と統合に結びつくかもしれない。

 皆さんも探してみたら!

 <自己混乱感2/4>

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「もやもや」を大事にしたほうが・・・

2008-11-19 | 第一章「意識と知覚」

 先日行った、京都・大原・三千院。予想外の混雑であったが、何か凛とした感じで良かった。

 由緒ある、神社仏閣、教会に行くと、心の底が何か落ち着く。人間が魂、生育史からなる心、身体から成り立つとすれば、聖なる場所は人の魂の領域と深く関係し休ませてくれるのだと実感する。

 さて、今回から4回にわたって、エリクソンの自己混乱感を中心に13歳から22歳ごろの忠誠心の時代について考察してみたい。職業の選択、思想の選択、ちょっとこの時期は自己混乱の中でちょっと背伸びしてアイデンティティを確立する時期のようだ。

 私の場合は、1964年東京オリンピックのころから、オイルショックの1973年がこの時期にあたる。この時代は、学園紛争、三島事件、浅間山荘事件など思想的な事件が頻発した。そうした時代背景の中で、自己欺瞞(ぎまん)という言葉がはやった。自分を知的に追及し嘘をつかないということが、美しい。そんな美学に脅かされ、青春まっただ中の私たちの年代は右往左往したのではないだろうか。

 今考えると、確かに美しいかもしれないが、割り切れない生育史を背後に抱えた人間は単純でない。過度に真面目に考えて精神的に参ってしまったり、暗くなったりした人も多い。自己批判せよと追及されて、病気になって亡くなった大学の先生方もいた。人の心は決して強靭でない。

 さて、極端な例でないとしても、日常の中で何となくもやもやして、悔いの無い毎日を送っているのだろうかと自問自答することが今でもある。このもやもやなる、自己混乱感をきっかけに、時間をかけて思考していくと、新しい人生の方向性に導かれることがあるようだ。

 自己欺瞞だと余りに理性的に自分を攻撃するより、自己混乱感や違和感をしっかり味わい、自然に自問自答をする方が、豊なめぐみが得られるようだ。

<自己混乱感1/4>

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