イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

苦難!

2008-11-18 | 第一章「意識と知覚」

 トウゴマは魚に呑まれたヨナ(旧約聖書のヨナ記)の話の中にでてくる。トウゴマの葉はヨナが熱い日射しを避けることができたといわれるだけあり、大きい。

 「ヨナは三日三晩魚の腹の中にいた。ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげて、言った。苦難の中で、私が叫ぶと主は答えてくださった。」(ヨナ書2-1~3 新共同訳 日本聖書協会)

 苦難という言葉は、自分が変わればなんとかなるというような次元ではなく、人の生死とか自分ではどうしようもない運命的な響きを感じる。その中で天に向かってヨナは叫んだのだ。

 トウゴマの葉の茎に雨粒が可愛くつらなり、光っていた。

 Aさんのことを思い出す。Aさんの車椅子を都心の六本木で押したことがあった。今その時のこころの動きと感情の流れを思い出すと、自分の成育史からなる心の世界の縮図を垣間見るような気がする。

 Aさんは優しい方で、当時介助を始めたばかりの私を暖かく見守ってくれた。まさに伴走してくれたようである。そのAさんが逝ってしまった。

<劣等感4/4>

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幼い頃読んだ絵本が生きる糧!

2008-11-17 | 第一章「意識と知覚」

 幼いころに母に読み聞かせられた絵本、本、映画の影響というのはもの凄いと思う。特に好きで何度も読んだ絵本の影響は、大人になってから、ふとした拍子にでてくるのではないかと思う。それは良い意味でも、悪い意味でもある。

 以前ブログに書いたこともあるが、私は絵本では「ちいさなおうち」と「ちびくろサンボ」の影響が大きいように思う。「ちびくろサンボ」は、もともとイギリスの主婦が作ったものとされているが、世界中で読まれ、日本でも100万冊以上売れたそうである。

 ただ、その後黒人差別だという意見がマスコミで流布され、絶版、自主回収の動きとなってしまった。公民権運動以前の絵本であるが、差別の問題は別に考えて、何故子供のころに熱中したのかを考えてみるといくつかのポイントがあることに気づく。

 ひとつは、ちびくろさんぼが森の中で怖いトラと遭遇し、大切な衣服や傘を取られてしまうが、トラ達が喧嘩でぐるぐると周り、終いには溶けてバターになってしまうということ。さらに、そのバターを使って御母さんが当時あまり見たこともないホットケーキをつくり、家族でたらふく食べた。という話で、恐ろしいものが意外にも憧れのホットケーキになってしまう。という暗い感情を実に上手に明るくする物語であるように思える。

 少年から青年、そして大人になっていく中で、思い通りにならないこと、劣等感をもってしまうことに遭遇していく。ちびくろサンボのようにトラと遭遇していくのだ。

 しかし、絶望したり悲観するのではなく、どこかに希望をもっていると、事態は自ずとして解決していく。トラがホットケーキになってしまうこともある!そんな人生の智恵を教えてくれていたのではないだろうか。

 絵本を読んで、50年以上たっているが、その影響は今まで続いているようである。

<劣等感3/4>

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まっしろなシクラメン!

2008-11-13 | 第一章「意識と知覚」

 今日は久しぶりの青空。朝から陽光が眩しい。ベランダの白いシクラメンも、一層白さを増しているようである。

 さて、自分の人生を振り返ると、8歳から12歳のころは不思議な時期のようだ。13歳ごろからの青年期、7歳ころまでの時期、いずれも激動の時期である気がするが、8歳から12歳の時期は、このシクラメンのように、どこか律儀であり実直である印象がある。エリクソンでいうと技能(Competence)の拡大の時期のようだ。

 この時期、友情が芽生えたり、学校でも結構まじめに勉強したこともあった。一方、創意工夫の面も出てきて、天体観測等に打ち込むこんだ。一方、父や祖父、従兄達学友と自分を何となく比べて、劣等感を意識したりする。

 体格が小さかったことも、劣等感の一つだったようだ。ただ、スポーツは好きで学校では体育が好きで成績もよかった。これもこころの健全な防衛機制の一つ補償だったかもしれない。

 ただ、今思うと、劣等感の裏返しか、人をいじめたりして、後で後悔することもあった。

 少年時代を思い出すと、今では楽しいが、楽しい思い出の中に既に亡くなった方であることに気づき、寂しい気持ちになったりする。

<劣等感2/4>

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なぜ私など生まれたのか!

2008-11-12 | 第一章「意識と知覚」

 傾国の美女という言葉がある。楊貴妃がそうであるが、ギリシャのヘレナもそうであろう。ヘレナのこころの変化で、トロイに10万のギリシャ兵が送られ、実際に10年以上の月日を経てトロイは滅んでしまった。

 ヘレナは、元のスパルタ王のところに戻り、子供をもうけて幸せに亡くなったとされるが、トロイをはじめ戦争で多くの人が辛酸をなめた。

 そのヘレナは、不思議な生まれである。ギリシャ神話によると、ヘレナの母はスパルタ王妃レダである。そして、レダが夫と契った同じ日に、ゼウスが白鳥に化けて近づき契ってしまった。その後レダは二つの卵をうみ、その二つの卵から4人の子供が生まれる。その一人がヘレナで、父がゼウス!なのだ。

 因みに、これは異父過妊娠を象徴しているようで、これは今の世の中でも時に訴訟沙汰になることがあるそうだ。

 ヘレナほど極端ではないかもしれないが、人は必ず特定の両親から生まれ、存在することで何か悲劇を起こすように見えることがある。存在そのものが悲劇という、ネガティブな解釈をすると、生まれてきたことを感謝するどころか、逆に自分も両親も呪うようになる。この世は地獄になってしまう。

 世の一見常識的な解釈は、そういう破滅的傾向を持つ。最近の無差別殺人もこの傾向が隠されているのではないか。しかし、本当にそうだろうか?ギリシャ神話のヘレナは、ある意味で暗い生まれ方と存在そのものが世界一の美女という宿命で、多くの人(夫2人含む)を亡くす。元をただせばヘレナの業と暗く解釈できるかもしれない。暗く考える要素は山ほどある。

 しかし、ヘレナは一度は裏切った夫のところに戻り、幸せに暮らすことができた。

 何故ヘレナは幸せをつかんだのだろうか?一つには、人間の解釈力を越えた世界、神の世界を信じたと、私には思えてならない。神を信じて見える世界。ヘレナの生き方に、暗い日本の危機を越えるヒントが隠されているのではないか?

<劣等感1/4>

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ほっとする菊!

2008-11-11 | 第一章「意識と知覚」

 仕事を終えて帰宅するとき、駅の構内に丹精込められた菊の花を観かけた。何故かほっとする。幼い頃に祖父母や両親と新宿御苑の菊を見に行った思い出とどこか重なるようでもある。

 菊は奈良時代に中国から伝来したものだという。また、以前ある方から教えていただいたが、皇室の菊のご紋は比叡山、延暦寺がオリジナルとのことであった。本当かどうか調べてみるのも楽しいだろう。

 さて、駅に置かれた菊の花を想う時、優しい人の好意を感じてしまう。

 私は小学校低学年のころに、罪悪感が芽生えてくるように思うが、優しさとかの暖かい感情は裏腹の暗い罪悪感などと対なのでは思う。罪という言葉は難しい言葉であり、単なる犯罪といった意味で取られたり、それを産む土壌としての精神的状態までを言ったりする。心理学ではどのように考えるのだろうか?「してはいけないことをすることと」いった意味なのではないか。規範のベースはその人独自、いろいろあると思うが。

 もう秋も随分深まり、木々も葉が色付いてきている。近くの高幡不動尊の楓は今年はどうだろうか、八王子の銀杏並木はどうだろうかと気になる季節でもある。

<罪悪感4/4>

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