イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

輝いている、One Way チケット!(生きる意味を感情から考える 6/10)

2010-11-25 | 第四章「愛とゆるし」
 黄葉・紅葉が真っ盛りで、家の近くに見どころが沢山あものだと気付くこのごろである。

 さて、最近論文を書いているため、自己分析をしているが、自分は何でさまざまなことに囚われてきたのかとつくづく感じる。それは、その時その時の事情があり、囚われることで心の安定を得て、そのお陰で生き抜いてきたので決して悪いことではない。ただ、それだけでは、何か空しいとも思う。

 過去に、こねくり回して作った(作られた)自分の像。そんな像に囚われたり、他人が何か自分の一部であるかのように、囚われたり。理想があたかも自分の一部かのように囚われたりする。意識の世界では、そんなことは考えもしないが、どうも無意識の世界も含めると、そんな自分が観えてくる。

 囚われの日常性とは何だろうか。朝起きて、今までと同じような平穏が続くことに囚われ、同じように日々を辿ることをよしとすることなのだろう。そこには、個性の美はそれほど価値がない。常識とか他人の価値が支配する状態かもしれない。そして、誰かに代替え可能な世界なのである。

 同じ日常でも、マザーテレサが言う、≪最もすばらしい日は、今日です≫という日常は違う。それは、自分は自分だという柱が、いのちを貫いている世界だ。生まれ、輝き、死ぬ。あるいは蝶の完全変態のように死後に復活の世界があるかもしれない。そうした、One Way チケット。それを大切にしているのだ。行為としては同じようなことをしているかもしれないが、何かが違うのだ。

 今年の秋は実に輝いている!囚われない自分を少し意識してみようか。

生きる意味を感情から考える 6/10

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複眼レンズを思索する!(生きる意味を感情から考える 5/10)

2010-11-24 | 第四章「愛とゆるし」
 最近、20年前に買ったトンボメガネ?( Dragonfly optical viewer)でいろいろな場所をみて、携帯で写真をとっている。どうも複眼で見た景色のように、分割されて像を結ぶようにできている。

 トンボや蝶、ザリガニなど複眼をもっている生物は多い。人間のように二つの眼球で観るより、広角で観ることもでき、また、多点(例えば1000とか)で像を結ぶので、像を処理できる機能が高ければ、人間の眼より高機能な視覚となるようである。

 たまたま、インターネットで検索していたら、複眼レンズのデモがあった。一度撮った写真で、近い場所をフォーカスしたり遠い場所をフォーカスできる。その他3Dなどにも利用できるらしい。凄い。

 眼は、今から5億年くらい前に、突然出現して殆ど最終到達的な進化を遂げた不思議な器官なのである。眼の出現で生物が、カンブリア紀の大進化を引きおこしたという説もある。興味の尽きないテーマだ!

 さて、話は戻るが、このトンボメガネでいろいろ眺めていると、生きものの世界が、本当に固有の世界だと気がつく。実際は、蝶などは人間の可視波長より広いので、紫外線の模様なども見分けることが出来るらしい。想像もつかない世界に住んでいる。

 昆虫や魚が見ているものなど、かなり違うことが分かるが、同じ人間であっても、微妙に違うのだろう。身体や成育史も違う人間は、一人ひとり違う世界を持っている。そして、自分は他人に本質的になりかわることはできない。他人も自分になりかわることもできない。

 こうした事実のなかで、人は思考・感情・行動の流れの中で成長し、生き甲斐を持って生きることができる。不思議である。トンボメガネより不思議。

生きる意味を感情から考える 5/10

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(羊歯です)

(二つのリンゴです)

バク・・・雨の日は不安なく眠れる!(生きる意味を感情から考える 4/10)

2010-11-23 | 第四章「愛とゆるし」
 多摩動物園には本当にいろいろな動物がいる。アリからゾウまでというキャッチフレーズどおりだ。

多摩動物園には、魚も蛇もモグラも居る。コウロギやナナフシもいろいろ居る。

 そして、動物は人間と違って、新聞や本を読んだりすることもなく、ましてインターネットを操るまでもなく、ひっそりと暮らしている。人間が忘れかけている、五感や体感、知覚と意識、無意識、そんな原初的な何か大切なものをしっかり保持しつつ、私たち人間と同じように40億年近くの地球生命の歴史を生き抜いてきているのだ。

 動物園での楽しさは、自分のもつ大切なもの(例えば感情)の再発見かもしれない。

 話は変わるが、自分はしょっちゅう間違いを犯す。マザーテレサが≪最も易しいことは、間違えることです≫という名言を残しているが、本当にそうである。

 昨日も、やらなくてはいけないことを、忘れてしまった。ふと、間違い気がついて、むずむずと様々な感情が湧き起る。また、その感情とともに、あれこれ考えてしまう。

 水滴が、水面に波紋を残すように、様々な考えや感情が湧き起る。

 生き甲斐の心理学では、よく感情の意味を考えろと言われる。私は勉強し出して、どう変わっただろう。リアルな今の感情を大切にはしている、でもそう簡単に触れることはできないようだ。

 感情は自分のもつ理想と現実の差から湧き起るとされている。例えば間違いに気づく。間違えなかった私と実際に間違えた自分の姿。その差が、不安感というかなにかのストレス曲線になる。

 そこから様々な思考と感情が続く。過去の失敗、間違いをどのように修正していくかのシミュレーション・・・。それぞれの理想と現実、そして感情。その中から、何か一つのビジョンが浮かんでくる。イキイキとしたビジョンは成功率が高いようだ。そして、選び必要な計画をたて実行する。

 こころが健全で、感情と思考と行動がバランス良い時は、うまく行きやすい。

 先の一連の不安感は、≪ごめんなさい≫でゆるし、ゆるされの中で見事に消え、口笛や鼻歌がでてくる(私の場合だが)。

 蛇足だが。暗い感情が明るい感情に変化するのを意識できると、不安とは道しるべなんだと判ってくる。 
 雨の日の動物園。人が少ないので、いつもじっくり見られないバクも室内でお昼寝。夢を食べているのかな、不安もなく。

生きる意味を感情から考える 4/10

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自分のなかの個性の美!正常か異常か?(生きる意味を感情から考える 3/10)

2010-11-22 | 第四章「愛とゆるし」
 昨日のブログの続きになってしまうが、罪悪感について考えると実はいろいろなことを感慨をもって思い出す。

 大学生3年生の時に書いた小説など、その最たるものだ。生き甲斐の心理学を勉強していくと、正常と異常をどう切り分けるかを学ぶ。詳しくは≪生き甲斐の心理学≫第3章をご覧いただければと思う。これはプロセス・スケールと呼ぶ、カール・ロジャースが開発したものである。

 例えば、本物の感情が意識に登ってこないなどは、第一ストランズで底辺とされているなどだ。7つのチェック項目があるのだが、これを元に考察すると、面白いことが分かるのだ。

 このプロセス・スケールを理解し使えるようになるにはきちっとした勉強が必要だが、自分のためにもなる。若いころなど、自分は異常なのではないかと時折悩んだが、きちっとした基準(世界的に認められている方が良い)はこころを安定させる。

 なにより、個性の美が鮮明に理解できるのが良い。自分の個性の美もあるが他人の個性の美もある。誤解は人生をつまらなくさせる。

 我田引水になってしまうが、興味ある方は是非テキストを読み、勉強会等で学んで欲しい!

生きる意味を感情から考える 3/10

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複眼で罪悪感をめでる! (生きる意味を感情から考える 2/10)

2010-11-21 | 第四章「愛とゆるし」
 今朝、早く目覚めた。窓の外を見ると、美しい日の出前。思わず、外に出て散歩をした。

 紅葉が実に綺麗で、また朝は格別であった。

 人生の夜明け。私は6歳前後ではないかと勝手に解釈している。その時期は発達心理学や宗教心理学で有名なエリクソンの8つの人格形成論の中の目的志向性の時期にあたる。罪悪感が芽生えたり、自発性が育つ時期だという。

 私の場合も、この時期様々な懐かしい記憶などがある。

 さて、この時期に罪悪感の原型はどんなものだろうと考えたりする。罪悪感という言葉からくる感覚から、余程悪いことをしたとか、行動のことがイメージしやすいが、感情を思い出したり考えたりするのは、意外と難しい。昔のことなので記憶も消失していることが多い。

 そんな昔のことより、今湧きあがる罪悪感らしき感情をひろったほうが良いかもしれない。罪悪感らしい感情(自分の感情は自分しか判らないので、こんな表現に)は言葉で表現するとどうだろうか?罪悪感という言葉を使わない表現・・・

 憐れみ、悔やむ、後悔、恥、居直り、厚顔無恥、・・・・

 さらに、罪悪感の反対というか、同じ質で明るい感情を考えてみる。何か、愛そのものの多様な感情表現のようでもある。

 人生の夜明けは、なんと美しいものであろうか。

生きる意味を感情から考える 2/10

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