イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

『花子とアン』の時代が判るとヘンなストレスが消えて行く!(ストレス曲線をバネに ① 9/10)

2014-07-16 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 この一ヶ月くらい、明治から今までの年表を片手にいろいろ思索をしてきた。その中で朝ドラの『花子とアン』にでてくる、村岡花子さんと白蓮の年譜も勉強になったが、ちょうど祖父母の生きた時代と重なっていることに感動した。

 私の生育史にとっては、母方の祖父の存在はとても大きかったが、考えてみれば祖母も0歳から8歳まで、生育史の土台となったころだけに、もっと大きかったかもしれないと最近思うようになった。私が生まれた時も立ち会い、そして翌朝仕事の現場にいた父に知らせに行ったのも祖母だった。そして、生後まもなく私を不憫に思ったのか、父の社宅住まいから祖父母の自宅の敷地に住まわせたのも祖母の存在が大きかったようだ。

 私の祖母の思い出と言えば、いつも着物を着ていて(花子や白蓮さんのように)、私の食べ物ではいろいろ口やかましかった。べっこ飴を祭りで友達にもらい食べようとすると、祖母に止められたりも。10人も子供を産み育てたのだから、それは筋金いりだったかもしれない。母とはちょっと違う不思議な存在であった祖母。そんな祖母の愛を受けながらも、当時はわがまま放題。そんな祖母が亡くなったのは、幼いなりに心残りであった。

 さて、「生き甲斐の心理学」を学ばなければ、そんな祖母も意識にも登らない存在として終わっただろうが、生育史を大切にする学びの中で、特に最近「花子とアン」を楽しみつつ、祖父母の時代のことを小説などで学んでいる。

 白蓮さんが助けたと言われる、吉原の花魁が書いた「吉原花魁日記」(朝日文庫 森光子著、この著者は女優の森光子さんとは無関係です)を読むと、当時の吉原の実態(悲劇)がよく判った。林芙美子さんの放浪記も遅れ馳せながら、読んでいると当時の貧しさの実態が学べる。内藤新宿に実際に行ってみたり、祖父母の兄弟についても想いを馳せると、明治、大正、昭和の文化が浮き上がってくるのだ。

 幼いころ、青年のころ、父母のことを多分殆ど理解できていなかったのだから、祖父母のことなど理解できないのは当然だったかもしれない。ただ、今当時のことを、様々な角度で学び、祖父母の生育史をリアルに想うと、祖父・祖母をより受容でき、へんなストレス曲線も減少するように感じる。無駄でヘンなストレス曲線を軽減し、必要なストレス曲線を大事にする。それが大事かなと最近思う。

 写真は鎌倉の御成小学校。先日鎌倉に行って初めて前を通った。昭和8年の建物のようだが、以前は鎌倉御用邸、さらにその地は遺跡が発掘されるほど古くから由緒ある地であるらしい。調べなければ通り過ぎるだけだが、調べることにより印象も変わる世界があるようだ。

ストレス曲線をバネに① 9/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o


花子さんの結婚式!(ストレス曲線をバネに ① 8/10)

2014-07-15 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 今日の「花子とアン」、花子さんの結婚式の場面であった。いろいろな試練のあとの結婚式、キリスト教式の結婚式であったが、牧師さんが結婚に異議がある人は?との問うと、何人かが異議を唱える。どうなる事か?とはらはらしていると、亡くなった祖父の声が流れ、雰囲気が一変ししまいには異議が全て取り消されて無事結婚が成就する。

 その中で、思ったのだが、祖父母の時代までは、結婚式は地元の自宅や地主の家で行うことがポピュラーだったのかもしれない。そして、地元での結婚式は当然祖先との関わりが強く、今だけでなく過去や未来までも渾然一体となる感じがより濃厚だったのではないか。

 さて、今私の住んでいる所は、かつては武蔵国多摩郡。古代から中世は関東の中心(国府は府中)に近い。さらに、八王子市の中でも私の住む由木地区は、縄文時代は大栗川沿いに発展した処で、多分関東の中でも最大規模の集落があった地域である。そして、縄文時代の集落は、弥生時代以降の集落と違い、集落の中心に祖先の墓をベースにした広場があり、死者と生者が仲良く共存している社会だったようだ。

 そこでは、多分、今日の花子さんの結婚式ではないが、死者が日常の中にひょっこり顔をだすような感覚が濃密だったのではないだろうか。

 結婚式を時空を越えて死者とともにお祝いする。そんな感覚が今以上だったかもしれない。

 ある意味、ストレス曲線を日々の中により抱え込むように思えるが、それと裏腹に例えば結婚式などは、より沢山の幸福曲線・祝福を感じ取れたかもしれない。

 今週は、花子とアンはいよいよ白蓮事件の核心に近づく。私も、準備が進み?、白蓮さんが助けた吉原の遊女の日記『吉原花魁日記』を読了し、次は白蓮さんの『踏絵』を熟読する。また、近々内藤新宿の大宗寺にも再訪し、一昔前の女性の生き方を学んで行く予定である。

ストレス曲線をバネに① 8/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o

 

 


生き甲斐を求めても何か足らない時!(ストレス曲線をバネに ① 7/10)

2014-07-14 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 青春の大学生3年の時、工学部の友達だけでガリ版刷りの小説集を5-6人で作ったことがあった。当時は、70年安保も沈静化するころで、自分のしたいこともある程度見えてきたが、心の奥の奥の哲学や宗教の領域というかはポッカリと穴があいていたようだった。そんな背景がある未熟な小説を書いたのだ。

 その後、就職し仕事もそこそこ希望どうりのことができるようになる。さらに、結婚もし子供を育てたり。しかし、40歳を過ぎたころから、何となく物足りない感じが・・・。そして、ある日青春時代の小説集が書棚に眠っているのに気づき読んだ。青春時代の悩みの核心、心の奥の奥の哲学や宗教の領域の問題が何も解決されず、放置されているのに唖然としたのだ。

 そして、40歳台にして、NHKの教育テレビで宗教の時間を観たり、ちょっと硬い哲学書・宗教書などをまた読みだしたのだ。そして、それから何年か経ち、ある日突然、青年時代からの問題が氷解したのだ。

 心の奥の奥の領域の問題とは、生と死がある人間(自分)の本質を考えることであり、それを乗り越える例えば愛などを思索することだと思う。

 U先生の「生き甲斐の心理学」の中で、自己実現の領域を考えるときも、やはり仕事や家庭などの良く言われる生き甲斐の領域も大事だが、死について、あるいは愛についてなどの哲学・宗教の領域もとても大切にしている。自分だけで、この古代からの難問を解決するのは無理なので、信頼できる人に相談に行ったり、本を読んだりすることが必要だ。そして、真面目に求めれば何かが与えられるように思う。

ストレス曲線をバネに① 7/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o

 


感情のありようを識るとものごとが違って観える!(ストレス曲線をバネに ① 6/10)

2014-07-13 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 鎌倉の長谷寺で三途の川に居るという奪衣婆像に会った。内藤新宿のぞくっとする像も良いがこちらの穏やかな像も良い!

  

 こちらのお地蔵さんも、和むようなかわいいお地蔵さん。親しみがわく。

 さて、神社仏閣教会で出会うさまざまな感情。この4-5年いろいろ旅をしたが、特に奈良の長谷寺や室生寺に行ったとき曼荼羅図は感動的だった。描かれている沢山の仏さん・観音さんの顔が様々な感情を示していたのだ。それが、どこか意外。

 「生き甲斐の心理学」でも感情の曼荼羅ということを学ぶ。人生で出会う様々な感情のことである。それが、実際に曼荼羅図を観て腑に落ちようだ。

 感情について学んだり、さまざまな感情を実際に経験してくると、感情について不思議な感覚{悟り?)を抱くようになるのかもしれない。一つは、これからの人生、いろいろなことがあるにせよ出会う感情は今までの感情のバリエーションに過ぎないという達観。もう一つは、感情の曼荼羅図にあったように、感情そのものの美しさ(恐ろしい感情であっても)。もちろん感情が湧いた原因には肯けないことがあるだろうが。

 感情に対する深い理解も、日々の生活の中で役立つ。フランスの女性の哲学者でシモンヌ・ヴェーユが、高校生に哲学の授業をした講義録があるが、感情に関しても実に深い。私も習いたかったと思わせるものだ。

 このブログでも感情について『生き甲斐の心理学』をもとに、いろいろ述べているが、次の知識は重要だ①暗い感情は、理想と現実のギャップ。②暗い感情(不安、怒り、・・・)は人間の本質に根ざしている。③明るい感情(平安感、友好的感情・・・)は理想と現実が一致することによる得難い感情。以上の3つを自分の経験を踏まえ理解するだけでも違う。

 時に、自分の感情生活を振り返り、感情のありようをのんびりと眺めると、思わぬ発見があるかも。

ストレス曲線をバネに① 6/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o

 


台風一過、ストレスの波を乗り越える!(ストレス曲線をバネに ① 5/10)

2014-07-12 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 「花子とアン」も、いよいよ盛り上がってきたようです。白蓮さんや花子さんも、悩みつつもそれぞれの道に向かい、来週の放映が楽しみ。それぞれが心の奥の声を聴き、悩みつつも自分の道を辿る。『アンのゆりかご』を読了したので、これからの大筋は判っているのですが、実に楽しみ!

 さて、昨日は台風8号の接近の中、鎌倉遠足に行ってきました。台風通過直後ということで、天気を心配しましたが素晴らしい台風一過の天候。昼食をとり、そして長谷寺をゆっくり拝観してから、鎌倉方面を散策しました。遊びに行くときはいつも晴れ!というパワフルな方々に恵まれた遠足でした。ちなみに、私も、先日の東北旅行もそうで、晴れ男になりつつあるようです。

   

 ヒンズー教の古い教えに、「人は考えた通りの人間になる」。という有名な言葉があります。聖書にも「求めよ、さらば与えられん」という言葉もあります。これらは、世俗的にも解釈されがちですが、人の心の問題を考えると、深い意味で真実を語っているように思われるのです(天気も変えられるかは未知数ですが(笑))。

 昨日も、昼食をとりつつの楽しい会話の中で、「人は考えた通りの人間になる」をつくづく感じたのですが、これは何か神秘的というより合理的にも解釈できるようです。それは、自分の道、心の奥の声を聴きつつ、悔いのない道を歩み始めると、ちょっとしたストレス曲線(暗い感情)でさえ、ポジティブに楽しむような強さを抱くからかなと思うのです。そして、私も今、研究中なのですが、ストレス耐性と生き甲斐は実に正の相関があるようなのです。ことの成就を短期戦というより長期戦と考えると、他人がストレス曲線に耐えきれず辞める中でも、継続でき、最終的に考えたことを成就してしまうのではないでしょうか。

 昨日の、鎌倉は稲村ケ崎など台風通過後の高い波で、午前中はさすがに誰も泳いでいなかったのですが、夕方には沢山のサーファーがかなり高い波で波乗りをしていました。これも見方を変えれば生き甲斐のパワーなのかもしれません。生き甲斐はストレス曲線の波を簡単に乗り越える力を与えてくれるようです。私は、おいしいケーキを食べていましたが(ダイエットはどこに?)・・・

 

ストレス曲線をバネに① 5/10

人気ブログランキングへ <・・クリック応援いつも感謝しています o(^▽^)o