「戦争」というテーマは、戦国時代とか未来もの・海外物とかであれば単純に映画で楽しめるのですが、第二次世界大戦となると、リアリティが出て、それが現代にもかかわってくることから、なかなか難しいですね。
「戦争」という名目の元に人を殺したり殺されたりするのはごめんですが、一方で個人として考えると、暴漢が自分や家族を襲ってきたら、守るために戦うのは自然なこととも思うし・・・。
この映画は、特攻隊という「死」が確実に迫ってくる状況での若者やその周りの感情を描写したもの。映画の途中から涙が止まらなくなりました。でも、お国のために死んでいった若者を妙に美化することもしたくないです。
私はもちろん戦争を知らない世代。戦争に関するリアリティは子供の頃に父母から聞いた話のみ。母は空襲警報を聞いて防空壕に入った話をしてくれたし、父は戦後の貧しいときに米が食べられず毎日イモで生活していたので「一生分イモは食べた」とポテトチップスを今でも食べようとしません。こんな話を聞くと、飽食と言われようと毎日食べたいものが食べられる現代は父母の世代が日本を復興させてくれたとも言え、父が中年太り(今はもう老年ですが)になっても文句を言えません。
一方で現代は、モラルの低下が叫ばれています。息子・娘は(私たちのことですが)食事があるのは当たり前、平和なのは当たり前と思っています。まして父母の権威は下がる一方。父母の世代は起伏の激しい世代なのかもしれません。
このような意味では、いろいろ考えさせてくれる映画でした。
「戦争」という名目の元に人を殺したり殺されたりするのはごめんですが、一方で個人として考えると、暴漢が自分や家族を襲ってきたら、守るために戦うのは自然なこととも思うし・・・。
この映画は、特攻隊という「死」が確実に迫ってくる状況での若者やその周りの感情を描写したもの。映画の途中から涙が止まらなくなりました。でも、お国のために死んでいった若者を妙に美化することもしたくないです。
私はもちろん戦争を知らない世代。戦争に関するリアリティは子供の頃に父母から聞いた話のみ。母は空襲警報を聞いて防空壕に入った話をしてくれたし、父は戦後の貧しいときに米が食べられず毎日イモで生活していたので「一生分イモは食べた」とポテトチップスを今でも食べようとしません。こんな話を聞くと、飽食と言われようと毎日食べたいものが食べられる現代は父母の世代が日本を復興させてくれたとも言え、父が中年太り(今はもう老年ですが)になっても文句を言えません。
一方で現代は、モラルの低下が叫ばれています。息子・娘は(私たちのことですが)食事があるのは当たり前、平和なのは当たり前と思っています。まして父母の権威は下がる一方。父母の世代は起伏の激しい世代なのかもしれません。
このような意味では、いろいろ考えさせてくれる映画でした。