田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

冷凍庫の中ながら 暖かな話しに盛り上がった

2010年01月15日 | 日記
1月15日(金) 曇り   冷たい風   昼から薄ボンヤリの太陽がでる

朝から慌ただしくMが出かけた。
来週の日曜に合唱祭があるというのでそれの連絡など、彼女が出かけた後も電話がかかってくる。
そ~云うときの俺の黄体としては内容を知らないことと、彼女が何処へ何の用事で出かけているかが判らないのが困る。
行き先が判らないのが困るのは逆の立場で言えば全く持って俺の行動にもそれが当てはまるのだから黙っているのがよいだろう。
今は携帯電話があるので、留守電に伝言を入れておけば伝言は済むのだが・・・・・
しかし、留守電を聞いてくれなければ役に立たない代物だ。

昼前にストーブの灰を取り除き下屋に運んだが、その時に温度計を見て見ると今朝は-9℃まで下ったようだ。
もっと低くなったのかと思っていたが・・・・、北側の下屋で地上から120cmの処に置いてあるのだが・・・・


陽が出てきたので裏山の方へ廻って見ると、夏には山から下りるときに近道として通ったとところ
地上から2mくらいの高さに黄色い楕円のボール状のものがあった。
カメラで地下寄せて見ると蜂の巣だ。
オオスズメバチの巣があったのかと思うと近くを歩いていて被害に合わなかったのがラッキーだった。
急斜面を降りるときには木に掴まりながら歩いていたが・・・・・


昼からは御牧原のMさんのお宅へ向かった。
薪ストーブについてS新聞社が取材をしたいと云う。
田舎暮らしネットワークで薪ストーブの達人とされているMさんを中心に家具職人のKさんと俺、それに望月のK氏がお嬢さんともども同席同席してくれた。
薪ストーブの奥の深さ・・炎の魅力から薪集めの醍醐味など武勇伝まじが楽しい。
焚火は男のロマンなどと話題がつきず、家に戻ったのは4時を過ぎていた。
どのような記事になるのかは定かでないが・・・
掲載された折には当ブログにもUPすることにしよう。

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極寒のなか 熱い議論が湧く

2010年01月14日 | 日記
1月14日(水) 曇り   晴れ   冷たい空気

外の空気は如何にも寒波が襲来したようなモノトーンと云うよりも青の世界が感じられらた。
夜半には雪が舞ったのか薄らと白くなっている。
昨夜1時過ぎたころに庭先で複数の鹿が鳴く声がしていた。
浅間山もいつもよりも青っぽく静かにジッと固まっているように見えた。



午後には社協へ出かけ夜の会議の打合せをしたが・・・・何か・・チグハグナ感じが読み取れた。
どうってことはないのだが、組織として動こうとすると俺のような楽観主義は許されないのかもしれない。
一時間で話しを切り上げて家に戻ると、ドナーカードが届いていた。

俺だけではないと思うが、その昔20数年前だと思うが黄色いカードに必要事項を記入して免許証と一緒に持ち歩いていた。
勿論、記入項目には妻も承認して記名をしている。
しかし、このカードは妻と本人しかドナーであることを知らないのだ。
前から不思議だと思っていたが、先日新聞に『雑木移植法の一部が改訂される』ことが掲載されていた。
法の改定と登録の在り方は別なのだが、その記事の中にID番号のことや、登録制度のことが書かれていた。
俺が疑問に思っていたことが解決するのかもしれないと、さっそくアクセスしてみるた。
すると、新たな登録制度が在ることがわかり、さっそく手続きをした。

それが真の右側のカードなのだ。
世間では、10数年前から黄色いドナーカードを持っている人は多いと思うし、
新しい登録制度を知らない方もいると思うが如何だろうか??
“私はドナー”などと云うことは余り云わないほうが良いのかもしれないが・・・・
もしもの時には自分の意思が活されることは本望なことだろう。

詳しく知りたい方はHPを訪ねて見てほしい。
http://www.jotnw.or.jp/


夜7時から町民活動センターの運営会議があった。
Мも同じ会議に出席するので彼女の車に乗り込むと集落の外れまで来ると-3℃を示していた。
車の外気温度計だから誤差は在るだろうが寒い・・・・
ボランティアルームには既にメンバーが集まって準備ができていた。
2月21日ボランティア集会のことや、来年度の予算案など熱くなる議題が多いためか議論が盛り上がった。
無償ボランティアと有償ボランティアに関しては意見が割れてらちが明かない。
古くから社協にかかわっていた人は近年の有償ボランティアが理解できないようだ。
予定の時間を15分もオーバーして散会となったが・・・
外の気温はマイナス5℃になっていた。



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寒波の襲来 厳しい寒さに比例して ありがたさが増す薪

2010年01月13日 | 日記
1月13日(水) 雪   雲は多いが晴れ  冷たい風

昨夜からの雪が朝には止んでいた
北には僅かに青空が覗いていたが気温が低いのかススキの穂にはしっかりと雪が取り付いていた。


佐久病院の眼科へ向かう際にとおるS字カーブが連続する“極楽坂”
この坂は雪が降る季節になると車が崖に落ちることが多い。
脇にバイパスが作られているが、開通するのはいつになるのだろうか?
車が落ちることが無いように今年はしっかりとガードレールが摂り付けられた。


眼科の診察は予約時間の30分押しということでほぼ順調な慰謝通いとなった。
1時前に病院を出ることができたが、返りに公民館へ寄り歴史研究会の役員会に出席した。
ところが・・・目の視力が回復してきたのは喜ばしいことだが左目の視力とは大きな差がある。
ようするにガチャメなのだ。。
今までは右は者を見えるが読むまでには至っていなかったが、今は目が読もうとする。
それで頭の中で両方の目のピントを合わせようとするためかグラグラ目が廻るようになる。
役員会も短時間なのだが話しを聞いていても頭に入らない・・・・・
一通りの打合せを終えて気分の悪いまま家に着いた。

昼飯を済ませたころ庭を見ると山帽子の枝から地面に降りてはまた、元の枝に戻る鳥がいる。
カメラで引き寄せて見るとモズだ。
雪に閉ざされた地面では餌となる虫や小動物を捕まえることができるのだろうか?


夜は町民活動センターの広報誌の編集会議に出かけた。
冷たい風と空気・・・4名のスタッフで熱く語る広報誌・・・
俺だけは目を廻していたようだ。
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薄墨を 流した窓に 浅間山 ため池百選に一票を投じて欲しい

2010年01月12日 | 日記
のz1月12日(火) 曇り  寒くはない気温  午後から 小雪

ボンヤリとした明るさで夜が明けたが時刻を想定する光は届かない。
いつものように東の窓を開けると広がる雲の中に浅間山が見えている。
雲の高さがあるのかボンヤリしながら薄墨を流した水墨画のように見せていた。


朝飯を終えて家庭内ボランティアではないがМの関わっている、≪立科町合唱祭≫の具体的な打合せがある。
俺は「やらず会」のメンバーでもあるので団体間交流の一助として参加することになっていた。
参加と云っても舞台で一緒にコーラスをするわけではなく、ひたすら裏方に徹する役なのだ。
ピアノの蓋の開け閉めや、譜面台、椅子の並べ・・・・その前には会場作りで椅子を並べる作業もある。
会議を片隅でジッと聞いているとスタッフ用の弁当は上等のものを用意しようと話しが進んでいた。
9時半からの会議も12時近くまでレジュメに則り熱く語られて散会となった。

昼に家に戻ってきたが浅間は相変わらず薄墨の中でボンヤリと午前中を過ごしていたようだ。

昼に家に戻っても相変わらず浅間山は薄墨の流れの中に身を任せていました。


夜の社協報の編集会議までの間に・・・・皆様にお願いが在るのだが・・・・
先日信濃毎日新聞に掲載された『ため池百選』と云うのがある。
立科町にも多くあるため池だが農業用水は基より、今や観光資源となっているのだが、これを100か所選んで取り上げようと云う企画だ。
農水省のHPを見ると『ため池』とは と書かれている。

ため池百選とは
全国に約21万あるため池の多くは長い歴史を有し、農業用水の水源として農業の礎(いしずえ)を担うとともに、地域の文化にも深く関わり、周辺の農地や里山と一体となって多様な生物の生育・生息の場となっています。また豊かな自然環境とのふれあい・やすらぎの場、さらには環境教育の場など、多様な役割も発揮できる場であり、地域振興の核となる可能性を秘めています。

他方、農業者の減少・高齢化に伴い、従来のようなため池の維持管理が難しくなり、防災面での脆弱化や多様な役割の発揮が困難になることも懸念されています。

このため、「ため池百選」を選定し、地域にとっての資源であるため池が、地域活性化の核として保全・活用される取り組みの機運を醸成するとともに、ため池の有する多様な役割と保全の必要性について国民の皆様のご理解とご協力を頂くための契機といたします。

詳しくは下記URLをご覧いただきたい。
http://www.maff.go.jp/j/nousin/bousai/tameike/pdf/tameike_data.pdf

農水省が全国21万あるため池の中から当町に該当する池が2つも選ばれている。
それは白樺高原に在る女神湖(赤沼池)と白樺湖となっている。
またこの女神湖の水が流れているとなり町旧丸子町(現上田市)の箱畳池も含まれている。
これらに投票ををしていただき、『ため池百選』の仲間入りをしたいのだ。
当然、全国各地にある農業用水や飲料用のため池がお在りのことと思うが、ご当地のため池を投票するときに
是非とも、立科町の女神湖、白樺湖そして、箱畳池も投票をお願いする次第なのです。
因みに、農水省の投票ページは下記のURLを訪ねて欲しい。
https://www.contact.maff.go.jp/maff/form/524d.html

        ≪冬の女神湖≫(ペンション暖さんの写真をお借りしました)
                  http://www1.odn.ne.jp/dan/
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穏やかな休日 合唱祭と落語会のご案内 どうぞよろしく

2010年01月11日 | 日記
1月11日(月) ボンヤリした天気  

雲が広がりながらもボンヤリとした太陽が薄く影を落としている。
近頃、隣の畑に出没している猫がいる。
ネコと云っても数は定かでないが複数が来ていることは確かだ。
しかも、色は黒と白、暖かさが続いた畑には雪の斑文様と相まって姿をはぐらかすには良いようだ。


立科町町内で初の試みとなる≪合唱祭≫が今月24日に町の公民館で開かれる。
町内には20年も活動している『立科コーラス』と云う団体があり混声合唱を楽しんでいる。
また、女声合唱団としては『うたの会 華』があり、女性15名のⅡ部合唱で毎月2階の練習を重ねていると云う。
また、童謡唱歌を中心として歌っている『童謡唱歌を唄う会・やまびこ』30名の老若男女が活動をしている。
俺としてはどの団体にも参加していないが、公民館の学習会などに出向くと2階のホールから歌声が聞こえてくるの良い。
いつの日にか町の中で様々な形で活動しているコーラス団体が一同に集まり歌声を聴かせてもらえとよいと思っていた。
舞台と客席が歌声で一つになる・・・そんな夢のようなことが実現する。
その会には小学生の合唱と中学生の器楽アンサンブルが参加すると云う。
また、ゲストとして長野市と東京で活躍し、童謡唱歌のCDを出している景山敬子さんがフルートを吹くと云う。
http://www.iijima.co.jp/as_co_news2/file_name/cg2401081602



来月2月6日には同じ公民館で『立科落語会』が催される。
信州の言葉で“肯定や誘い”を表す『ず』否定形ではない“ズ”を捩った伝統あるイベント企画を楽しむ≪やらず会≫の主催になっている。
今年で19回を重ね、立科落語会と音楽会をプロデュースして町民は基より近隣地域の方々に楽しんでもらっている。
会の運営は疲弊する経済に正比例して運営も難しくなる中、過去から公的な大きな補助を受けずにやってきている。
伝統話芸を育てることからも文科省系列財団の補助や、メセナの支援も受けることが可能な経歴を持っている。


今回の出演者は前座さんを別にするとお三方の出演となる。
其々が落語協会に所属しておりプロフィールがHPにUPされている。

落語
三遊亭 歌武蔵 (さんゆうてい うたむさし)
本名
若森 正英  (わかもり まさひで)
生年月日
1968年 03月 15日
出身地 岐阜県
出囃子 勧進帳
紋    片喰 右二ツ巴 統幕
http://www.rakugo-kyokai.or.jp/Profiles.aspx?code=139



漫才
笑組 (えぐみ)
結成日  1986年 03月 26日
芸歴 昭和六十一年四月三日 初舞台 平成十年十二月 
     志ん朝一門として落語協会入会
受賞 平成元年 第四十一回国立演芸場花形演芸会金賞
     平成十五年 第五十八回 文化庁芸術祭新人賞
http://www.rakugo-kyokai.or.jp/Profiles.aspx?code=249


落語
古今亭 菊輔 (ここんてい きくすけ)
本名
篠崎 英範  (しのざき ひでのり)
生年月日 1960年 11月 02日
芸種    落語
出身地   千葉県千葉市誉田町(ほんだまち)
出囃子   だんじり
紋      結び鬼蔦
http://www.rakugo-kyokai.or.jp/Profiles.aspx?code=119

ここまでお読みいただきあらいがとうございます。

立科合唱祭 並びに 立科落語会 双方をご贔屓いただき、しかも

会場に足を運んでいただくことを節にお願い申し上げます。

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病と介護 老々介護予備軍の新年会 女性陣に気炎が上がる

2010年01月11日 | 日記
1月10日(日) 曇り   雪   晴れ   外の空気は冷たい

瞬間的に朝陽が刺してきたと思ったが直ぐに黒い雲に太陽が隠された。
東の上州の山並みには僅かに太陽が顔を出せるだけの隙間があったが、上空は黒い雲に覆われていた。
やがて朝飯を摂っているときに雪が舞いだした。
上からゆっくりと左右にふらつきながら漂うように降りてきているが、
地面に近くなると向きを変え昇っていく雪もある。
東京の牡丹雪のような平たい雪だが技かな風に揺れるくらい軽いし簡単に上昇気流に乗るものもいる。
見ていると自分の身体がゆっくりと上に昇って行くようにも見えるのが不思議だ。


昼前には雪もやみ徐々に青空が広がりだした。
浅間も姿を現して白い蒸気噴煙を長い山麓を転げ落ちるように裾野に溜まっている。
そこから少しずつ上向かい千切れるように流されている。
浅間山の上空には大きな塊の雲がゆっくりと北から南へ流れている。
人格を持ったような雲が二つ並んで浅間を越えていくのが意味を持っているように見えた。


夜には立科町へ引っ越して直ぐに友たちになった気の合う仲間が集まる。
毎年正月と夏の暑気払いが恒例になっているが、移り住んでから10年目ともなると話題も高齢化に比例している。
病気の話し、親や兄弟の介護の話など・・・・
何故か女性陣が気炎を上げて強い口調で話す介護の苦労話には入っていけない。
聞こえてくる話題だけでも≪明日は我が身・・・・お願いします≫と声が出そうだ。
夫婦で老々介護をするよりも仲間で交互に介護をするのが良いのでは・・・・
10歳若い介護者を今からキープする運動をしよう・・・等など


それぞれが持ち寄りの手料理には前菜からデザートまでが揃うバランスの良さ。
長時間ながら熱く語る後期高齢者予備軍団 正しい新年会となった。
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鳥追いと云うどんど焼 食技伝承の仕掛けに ◎

2010年01月09日 | 日記
1月9日(土)快晴  風もなく穏やか 

早朝から青竹を組み上げ〆縄や神棚のお札、墨で両目を黒くしたダルマ、そして書き初めも中につるされた。
集落の新年の行事≪鳥追い・どんど焼≫が始まった。


この時期に雪が無いと少々物足りないが、今年は充分に景色と気分を盛りたててくれている。
「大内道龍の子広場」集落の公園も行事を重ねるごと風格さえ感じさせるようになった。


集会所では僅かな時間差をもって、集落の21年度の企画『食技ルネッサンス』蕎麦打ちを始めていた。
老いも若きも昔食を改めて認識しようと云う試みも、今回が総締めくくりとなった。
どんどのまゆ玉をホウバリながら・・・蕎麦打ち会場になだれ込んだガキどもも手を出し足を出す。


門前の小僧習わぬ蕎麦を切る!!ではないが、彼らも既に4回の蕎麦打ちを体験していると
俺もできる・・・と包丁を手に・・・・


蕎麦も切り上げたあとは茹でる作業に入るが、タモの用意がない・・・・
そこは知恵と技で在るものを応用しての裏技を披露・・・


今日の蕎麦は全て集落内でとれたものと限定しての地域特産『葱蕎麦』となりました。
葱は長いまま焦げるまで焼き上げて香ばしさをそのまま蕎麦の上に・・・・
そこへ熱々の昆布出汁のかけ汁をたっぷりと注ぐ・・・


美味い・旨いの大向こうからの掛け声に子どもたちも、葱の甘さを感じ取ったようです。
葱嫌いの子どももこの冬の葱の甘さと、粉から麺に変化した過程を忘れることが無いことでしょう。


集落の地産地消・旬産旬消も当たり前の生活となったことが嬉しい。
平和な集落を包むような夕景の紅が浅間山も染めていた。

≪食技ルネッサンス≫・・・・
来年度は豆腐を作ろう!!の声がかかりました。。
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“ぴょる”というブランドの消ゴム印 

2010年01月08日 | 日記
1月8日(金) 晴れ  穏やかで暖かな一日



雲ひとつない青空が広がり心地よい。

1時半に公民館にでむき“ふるさとプロジェクト”の会合があった。
ウォーキングマップの最終校正と今後の活動のことなどを話し合うと云う。
ところが会長Tさんが持ち込んだのが大量のパック料理とビールと酒・・・
茶話会と謳っていたのだが・・・・・
酒好きの彼は新年会気分でおまけに購入した費用まで皆から徴収した。
おかしい・・・・飲むなら、飲むための算段があるだろう・・・・・
だいぶ酒が入ったところで会議も中途半端になり車を運転しない彼だけが顔を赤く染め上げて気炎を挙げている。
他のメンバーは車で来ていることだし酒を飲む空気でもない。
なんとなく無駄な時間を過ごした嫌な気分で会場を後にした。


社協へ寄りスタッフとひとしきり打合せなどをして家に戻ったが・・・・・
直ぐに6時半からの≪やらず会≫に向かった。
ヤラズというのは信州のことばで≪やろう≫と云う呼びかけの意味がある。
2月6日に落語会を開催するのでチケットの配布やポスターの張り出しなど打合せをしたところで新年会となった。
ここでは酒を飲む量もしっかりしているが酔って他人に無理強いをする者はいないのが素晴らしい。
打合せも充分に済ませて9時には散会となった。

家にも戻ると元の職場の同僚“ぴょるママ”さんからメールが来ていた。
最近、消しゴムで印を掘ることを始めたそうだ。
彼女は人に聞かせて充分に癒しを与えるパートタイムピアニストながら、彫刻刀を使って篆刻をするのだろうか?
消しゴムと云ってもいろいろあるが・・・・
それにしても愛犬“ぴょる”の姿を立体的に捉え、ぴょるにインクを塗りたくってハンコにしたように素晴らしい出来栄えだ。
他にも仕事で使うゴム印を消しゴムで作ったそうだ。
その出来上がりを見ると楽しい・・・、職場で無機質な明朝フォントのハンコを押されるより最高に楽しいだろう。
消しゴムで仕事に使うハンコを作ってしまう発想も素晴らしいが、“ぴょる印”の姿はどんなに見直しても嬉しくなった。



支離滅裂のような一日だが、なんとなく楽しげな一日のようだ。
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のんびりと無精は比例するものだろうか?

2010年01月07日 | 日記
1月7日(木)晴れ   暖かな日中  夕方から寒さが厳しくなる



庭の雪もすっかり姿を消したが、畑や田、陽の当らない物影はしっかりと雪が残り信州の冬を維持している。
昨夜から“明日は瓶のリサイクル!!”と云われていたので軽トラに大量の瓶が入った袋を積み込んだ。
しかし、色分けはされてないので、荷台の上で「緑」「茶」「その他の色」と3種類を分けて袋に入れ替えた。
ゴミ出しに行く準備ができたところでイザ、エンジンを掛けるとウンともスンともいわない!!
バッテリーが上がってしまったのだ。
歩いていくか??しばし悩んだところでМの車を使うことにした・・・

空気は暖かく今日の予定は瓶運びだけ・・・・
あとは明日の会議の資料をプリントするだけだった。
何も予定がないと云うとのんびりと過ごすことに幸せを感じる。
外の暖かさに生ごみの処理を畑のコンポストではなく、軒下の段ボール堆肥に入れた。
撹拌して水分を補充し、その中へ生ごみを投入し精米機から出たばかりの米糠を降りかけて全体に撹拌した。
最後にはコーヒーの糟を上に降りかけてから、生ごみの容器や研ぎ汁の容器を洗ったが・・・
これだけで汗ばむほどの暖かさだった。

午後にはМが返ってきたので、彼女の車のバッテリーを軽トラにジャンプコードでつないでエンジンを始動した。
軽トラのバッテリーは液が少ないと感じていた矢先!!
仕事をしていた時は冬になる前に必ずバッテリー液の補充をしたものだ。
そんな当たり前のメンテナンスの無精になっているのが露呈した。

一日中浅間山を見て過ごしたが頂上付近は強い風が吹いているのだろうか?
噴煙と云うよりも風に雪が飛ばされている雪煙りのように見えた。
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仕事始めではないが 病院通いに半日をついやした

2010年01月06日 | 日記
出1月6日(水) 晴れ   午後には雲が多くなったが・・・・ 暖かい一日

暗いうちに眼を覚まして・・・・
眼を覚ました訳は寝室に聞こえてくる ガサガサ・・ゴソゴソ・・・の音だ。
部屋の外に置いてある段ボール式の生ごみ堆肥をタヌキがハクビシンが物色しているのか???
そっと障子を開けても外の様子が見えるわけではないが、音はそのまま続く・・・
隣の部屋の窓から覗けばと思いそっと忍び寄ろうとしたときに、俺の直ぐ脇でその音がした。
全く予想もしなかった音の発信元はパン焼き機だった。
古いパン焼き機とは違う音で振動を与えて中の生地を撹拌しているのか・・・
少々樹が抜けたがタヌキやハクビシンには申し訳ない気がしなくもない。

夜が明けて7時を過ぎると隣の集落との境の山から鋭い光線が届き始めた。
山裾の集落では一番先に朝陽が当たるところだが、雪面に光る氷の反射光が貧しい。


11時の予約には充分余裕を持って佐久病院に到着した。
学校がまだ始まっていないためか、子どもの姿が待合室で目立つ。
予約時間より40分位過ぎたところで俺の診察の番が来た。
術後の経過を眼を覗きこみながら医師が確認して『良い状態ですね・・・・』
『眼圧は10で順調です・・・何か気になることはありますか?』
俺は“眼の中がゴロゴロしますが・・・・”と語尾を濁しながら言うと・・・
医師はキッパリと『手術をしてますからネ・・・まだ眼球がブヨブヨしている状態です』と云った。
迷わずに答えが返ってくると何故か納得して安心してしまうのが不思議だ。
このような医師と患者の関係が≪医は忍術≫と云われた所以だろう。


気分良く病院を後にして昼飯はいつもの蕎麦屋・・・
しかし、ここでは気分が良いついでに少々食べ過ぎたようだ。
満腹状態で社協へより会報の記事の確認など中途半端ながらお茶を濁しながら早々に家に戻った。

Мは友人Kさんからクリスマス前にいただいたカサブランカの水を返ると云う。
花が開きだすと毎日のように水を替え、その時に茎を一本ずつ洗うので助手がいるのだ。
助手は愛息Salaでは役に立たないらしく、次に俺に廻ってくる・・・・・
花を持っているだけだから大した作業ではなようだが・・・
咲きだした葉には花粉がごっそりと着いているのでそれに触れないように助手業務をしなければ役立たずと評価が下る。

  ≪花には水を 妻には愛を・・・・と云う言葉があるらしい≫





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正月開けながら 佳境に入る

2010年01月05日 | 日記
1月5日(火) 晴れ   午後には 雪  夕方には青空が広がる



朝から右の眼がゴロゴロしてすこぶる具合がよくない。
不快感を抱きながら午前中が通り過ぎていったが、昼飯を済ませたころには更にドライアイの症状を感じるようになった。
夜には二つの会議が控えているので、このまま出かけるには少々不安を感じていた。
会議に向けてレジメのたたき台をメールで送ったので少し休むことにした。
横になって思い出したのは・・・・朝目を覚ました時に俺は右を下にして寝ていたように思う。
右の眼に重力を掛けたり圧迫するようなことをしないようにと医者から云われていたことを思い出した。
これが原因で目にゴロゴロ感が発生しているのだろうか??

7時に向けて家を出たが以外にも寒さを感じない。
雪が溶けた道は既にシャーペット状態のまま氷になっていて車が進むとバリバリと音をたてる。
会場の福祉センターに着くと社協報の編集スタッフが既に準備をしていた。
同じ時間帯にたてしなエコ・クラブのスタッフミーティングも開かれる。
どちらも参加しなくてはならないが、先ずは編集会議にでる。
2月の1日に発行するのに原稿の割り付けと文字数を確認して記事を担当する人を確認した。
3・40分で終わると思った会議も最後のページまで来て来週に集まることを決めると90分も経っていた。

慌てて次のたてしなエコ・クラブに向かうと、既に段取りどおり進められていて説明を受けて終えることができた。
いない者が責任を負わされるのは仕方がないが・・・・
同じ時期に異なる会報を発行すると云う・・・・議論は佳境に入った。

いつの間にか右目のゴロゴロ感とドリアイ現象は治まっていた。
夕方には夏を思わせるような入道雲が現われていたのも変動の範囲内なのだろうか。
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恒例の ほんもの手作り 新年会

2010年01月04日 | 日記
1月4日(月) 晴れ  冷たい風  午後には雲が広がる

東の空が徐々に明るさを増してくるころ東の出窓では室内の空気が凍りだす。
障子を境に外と同じ気温に下がるのは三方をガラスに囲まれているからだろうか。
まるでレースのカーテンのように氷紋が浅間山をシルエットに映し出していた。


太陽が顔を出し始めると地上の温度は最低温度を示すと云われているが・・・・
光が届く前のガラスの温度は更に低くなり氷紋はクリスタルのような透明感を見せてくれた。


9時には福祉センターに到着して、《新春あったかふれあいのつどい》の準備に入った。
主催と云うかたちは見えないが、「ころころりんの会」「どんぐり」「さいころ」「手をつなぐ親の会」「手話の会」・・・
関わるグループががそれぞれの持ち前で集いを支え合い形づくっている。
のことで素晴らしい居心地のよさが醸し出されるのだろう。
昼までには充分時間があるなか、既にお好み焼きならぬ「ごちゃまぜ焼き」が焼かれ始めた。


11時になると焼き物は揃い、「豚しゃぶサラダも」スタンバイしている。


炊きたてのご飯で作った「酢飯おにぎり」はサーモンと三つ葉の色合いも美しくできあがっていた。


4つの班に分かれて34名が席に着いたところでRMさんの乾杯の音頭で一同
『あけましておめでとうございます』と唱和したところで会食のはじまり。
社会福祉協議会のスタッフを始め役場職員も席につき改めて全員の自己紹介が行われた。
様々なハンディーを持った人とそれを支える人たちがが集まりこの『あったかふれあいの集い』も23年回を数えるという。
新春の催しだけではなく年4回の集いはスタッフによりいろいろなプログラムが設定されている。
全員が協力し合って『自分ができることで参加する・・・・・』
この会のスタンスがそれぞれに心地よい居場所になっているのを俺自身も感じている。
俺がここに参加し始めて5年目となるが・・・・
この町に来て良かったことの一つでもある。


会話を楽しみ食事で満腹になったあとは階下の集会所でゲームに興じた。
歌に続いて、文字カードを広げ二文字合わせ、三文字合わせなど・・・・・
カードを集めて言葉を表すゲームは盛り上がった。
二文字は多く集められたが三文字となるとなかなか言葉が出てこないのが不思議だ。


参会となったのは午後3時、6時間を楽しく過ごすことができたのは素晴らしいチームワークの賜だろう。
少々疲れを覚えながら心地よさを感じた一日だった。
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雪の舞う正月 明日から始動

2010年01月03日 | 日記
く1月3日(日) 曇り   雪    遅めの午後に青空が広がる

信州に雪が降るのは当たり前・・・・・・
そう思うのだが温暖化でもあり正月と云うこともあって、出かけることもなく外を眺めるには嬉しい限りだ。
朝には重たい雲に追われていたが直ぐに白いものが舞い始め、やがて本格的な雪景色となった。

夏の終わりには白い小さな花を沢山つけた孔雀草も枯れ枝を切ることを忘れていたが・・・・
怪我の功名とでも云うのか“枯れ木に花”ならぬ雪が美しさを見せてくれる。
ベニシジミやヒョウモンチョウが盛んに蜜を水に来ていたことが昨日のように思える。


山裾の集落としても珍しくたっぷりの雪が降った姿を見せている。
道普請でカーブを描いた道の脇の土砂も農道も雪化粧をすると見違えるような姿を見せてくれる。


昼過ぎに新雪のなか宅配便の車が坂を登り小さな包みを届けに来てくれた。
我が家までは雪が降ると登り坂に躊躇するドライバーが多いが・・・・・
雪が止んでからでも良いと思うのだが・・・・それは怠惰な俺が思うことことなのだろう。


Мは3時過ぎに明日の新年会の準備があるとかで出かけて行ったが・・・
止んだ雪も雲が割れ青空が広がりだすと西からの強い光線が届き始めた。
集落の南東の奥にある胡桃の樹が太陽に照らされて美しさを見せている。
モノトーンの世界に一葉をも着けない樹が急に賑やかに見えるのが不思議だ。


東から集落に入る道は既に轍で二本の黒い線が描かれている。
その道沿いの茅葺の屋根には西陽のスポットライトがくっきりとキャンパスのように樹影を描いている。
観てる間にずんずんと樹影が右に移動しやがては暗い雪色に化した。


浅間山を覆っていた黒い雲も僅かに押しやられ山の全容を見せ始めた。
ほんの僅かな時間しか残されていないが、郷は既に陽は通り過ぎて浅間山麓を照らしている。


僅かな時間・・・数分だけ眼を剃らしていたのだが既に東の山々にも陽は通り過ぎてしまった。
まるで淡紅色に染められたホリゾントに映し出された幻燈のようなモノトーンの浅間が見えた。


明日への準備・・・夜の帳に消える瞬間なのだろう。

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正月気分 ダイエットは忘れてはいない のだが・・・

2010年01月02日 | 日記
1月2日(土) 雲は多いが晴れ 暖かい空気 夜は 青い 満月が輝く

正月二日目と云いながらもこの山裾では人が通ることもなく静かな正月の2日目
昼前には郵便屋のバイクが爆音を響かせながら坂を登ってきた。
今まで正月2日目は新聞や郵便は休みだったような気がするが・・・・
新聞は休みだが、郵便は休みなく配達をするという・・・・
これも心機一転民営化の影響だろうか?

浅間山も暮れからの雪模様で姿を見せなかったが昼をだいぶ過ぎてから雲が切れて
頂上付近が姿を現した。
しかし、里に降った雪の加減からさぞや頂上付近は純白の雪に覆われていると思っていたことが覆された。
暖かい空気が流れ込んでいるのか既に、頂上付近はバーコード状態になっていた。


5時前には何となく夕焼け? 僅かに雲が赤みを帯びているように見えるが・・・
少しだけだが陽が伸びたのだろうか??
浅間山全容が姿を表し山麓を西陽が照らし山裾の集落とは対照的に明るさを見せている。
午前中には雪を降らせた雲がかぶさっていた頂上も姿を見せているが噴煙も僅かに水蒸気を挙げているように見える。
静かな正月の2日目も帳を降ろそうとしている。


5時30分には集落のAさん夫妻のお宅で新年会と云うことで出かけた。
彼らも毎月1回、別荘に来ている都会暮らしゆえ、心おきなく話しが盛り上がった。
酒を飲めない俺のこと料理上手のAさんに感謝しながら、少々食べ過ぎの傾向・・・

正月気分 ダイエットは忘れてはいない のだが・・・
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元旦と云う なんも考えない一日

2010年01月01日 | 日記
平成22年元旦  曇り  薄日が射す  冷たい風  僅かな夕焼け

重い雲に覆われたまま夜が明けたが・・・
集落には除雪車のエンジン音が響びき、近くに来るとヘリコプターが舞い降りるようなパタパタという音が聞こえる。
町から請け負った土木業者の除雪はコミュニティーバスが通う道しかしないが、集落の生活道路は別になっている。
Mさんの大型トラクターに除雪用具を着けて小さな道までやってくれる。
集会所からの登る道は我が家だけが通る道なのだが、ありがたく感謝そのものだろう。


昨日の雪は殆ど解けることもなく朝を迎え、屋根の雪解け水も僅かに短いツララとなったようだ。
朝飯を終えたころには雲を通して太陽が薄ぼんやりとでてきたが、ツララをとか水滴が下に落ちることはなかった。



11時からは集落の新年会が催されるのだが、大勢の人が集まる中に入ると目が疲れる・・・・
昨夜の獅子舞も参加しなかったことから欠席をすることを電話で伝えた。
午後はのんびりと過ごし、この先一年のことを考えようとしたが・・・・
既に2月に発行する機関誌を二つも抱えてしまっている・・・・・
更に13日は≪エコを楽しむ一日≫があり、21日は≪町民活動センター発表会≫が予定されている。

一年の計は元旦・・・・とかだが、来月のことに追われている。
のんびりと構えることで廻りが助けてくれることを信じてみよう。


僅かに紅に染まった雲が、ツララの長さが伸びていた
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