田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

曇に姿を隠す浅間山にあやかり なにもしない一日

2012年01月16日 | 日記

1月16日(月)  曇り   太陽も姿を見せない 暖かさを感じない一日  

夕べはなんとなく身体がだるく風邪でも引いたかのような気分、早々と寝室に入り込んだ。早く寝たから早く起きる「早寝早起き」が身体に良いと云われているが、言葉的には辻褄が合わない。俺のように屁理屈を前面にだすと“早く寝たから遅く起きる”が帳尻が合うのではなかろうか?

快晴のマークを一日中並べた天気予報は全く外れ、日乃出からだいぶ時間が経った頃に僅かに曇の切れ目に陽の光が感じられる。

庭ではムクゲを剪定した枝にモズが来ていた。このところモズの姿も鳴き声も余り耳にすることはなかったが、肉食系の彼らの今時の食料は何のだろう。

秋にカエルやトカゲ、バッタを木の枝に刺して蓄えたハヤニエでも食っているのか、身体を回転させたり首を伸ばしたりして啄んでいる。餌取りに夢中になりながらも、姿勢を戻し辺りを警戒する姿は猛禽類の鋭さを感じさせる。翼を閉じた背中に白い紋が見えるのがこの時期の百舌の可愛らしさを表す。春に向かって婚姻色に色濃く変化する兆しか、枯れ木色の中でも活きいきした姿が嬉しい。

朝には僅かに頭を曇の間に見せていた浅間山、その後は全く姿を隠していた。午後3時頃、薄くなった曇の中にシルエットで姿を表した。浅間の頂上付近は白くなっていないことから、山は雪でなかったようだ。

Mは介護学習グループの仲間と新年会だと云って朝から出かけ、午後3時過ぎに戻った。行き先は聞いてなかったが、帰って来た様子を見るとお気に召さなかったようだ。根掘り葉掘り聞くわけにもいかないが創作会席を謳っている処だと云いい、どっと疲れた様子で別メニューを食べに行こうと云う呼びかけもない。彼女のお気に入りの処となれば、メニューにある別料理を試したくなるのが常だ。しかし、こればかりは誘われてお供をしても納得できる処は少ない。俺的に云うと自分の食べたいものを食べたいときに口に入れるのが一番だと思っている。

気だるい感じのMが“夕飯ど~する”と聞いてきたので、俺は間髪をおかずピッザと云った。我が家のPizzaはメインディッシュとなるのでボリュームがなくてはならない。クリスビータイプのピザは発酵も要らず簡単にできる“お家ピザ”には最適だ。トッピングに重きをおく台はともかくとしてドライトマトとバジルはオイル漬け、ボリュームを持たせるのにジャガイモをスティック状にしてレンジで軽く調理してから載せる。あとはチーズを多めに被せてオーブンで焼いて仕上がる。これにインスタントのオニオンスープとミズナのサラダが添えられた。簡単に言えば晩飯はピザにサラダとスープっていうことだが、写真で見るとヤケに豪華に見えるのはどこで入手したか覚えはないが、唐辛子の赤が目に入るToscanaと書いてある皿だろう。

美味しく いただきました

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小正月 小豆がゆを蕎麦汁粉に代えて どんど焼き

2012年01月15日 | 日記

1月15日(日)  曇り   風もなく穏やかな一日 寒さも和らぐ

恒例になっている集落のどんど焼き、今年は小正月の15日にできることで殊更御利益を預かろうと云う面々が張り切った。

小正月にはアズキ粥が縁起物と云われているが、どんど焼きの後に粥というのも何ダカラと、しゃれっ気をだして蕎麦汁粉とした。

汁粉なら前の日から仕込むのが当然のことだが、今回は前日に俺の関係する新年会があり、これも恒例となっているので時間がとれない。昨夜は遅くまで我が家でどんちゃん騒ぎ、お開きになった日付は今日になった ・ ・ ・ 

朝飯を簡単に仕上げて集会所に一人向う。台所で先ずは湯を沸かし、そば粉を溶いてゆるいソバガキ状にして湯に投じるのだが、これが形良くと云うわけにはいかない。慣れてくるとスプーンの上で転がすようにすると、ラグビーボールの如く型よく収まったところで終わりとなった。

汁粉の方はもっと手を抜いて粒餡を買ってきたモノを湯に溶かし、湯の分量も適当に鍋まかせ。あとは蕎麦団子を入れて一煮立ちさせればOKと云う段取りで、集落の公園、龍の子広場へ向かった。

11時着火のかけ声で火を放たれると先ずは書き初めが煙と共に高く昇った。竹の葉が黒く焦げてこれも風にのって舞い、雪の上に舞い降りると一際風情を醸し出してくれる。竹がバンバンとなる音にびくつきながら、繭玉を焼こうと近づくとタイミング良くバンどなる。当に爆竹、生爆竹とでも表現したくなる。

火勢も治まったころにしっかりと焼いた繭玉が参加者に配られた。風邪を引かないように直ぐに食べてくれっと云うことで、俺は2個も口に放り込んだ。

全てが終わり集会所に戻って全員で蕎麦汁粉をいただいた。汁粉も作るまでは俺の役目だったが、テーブルにだしたり片付けや洗い物は女衆の役だと俺の出番はない。なんとなくご馳走になる立場になってカメラをポケットから取り出すことも忘れたまま最後の片付けででた生ゴミを受け取った。

余った汁粉は参加できなかった高齢者のお宅へ届けたが、喜んで受け取る人、俺ぁ汁粉はキレ~ダぁと云って受け取って貰えない人、小さな集落でもいろいろある。

持ち帰った生ゴミを段ボールに入れようと被いをとると温かい空気が立ちのぼる。温度計を見ると55℃、更にスコップで天地返しをするとモウモウと湯気が立ちのぼった。

詳しくは下記サイトをご覧ください。

http://garbageate.exblog.jp/17077147/ 

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ボランティア喫茶 金はいらねぇってこたぁ~ねえだ

2012年01月13日 | 日記

1月13日(金)  快晴   陽射しは温かい  太陽の恵みを感じる一日

外の気温が低いと云うことはガラスに張り付いた氷の様子で判る。また、空気が澄んでいることは冬の朝としはあたりまえのことだが、今朝は東から南にかけて太陽を迎える横断幕のように薄い曇があるのが美しい。

人の目では美しさを脳が倍加させてくれるのでカメラのレンズとは異なるが、朝陽が顔をだす瞬間、金銀の蒔絵を施した加賀の漆器の豪華さを表した。尤も漆器の蒔絵はこの自然の美しさを巧みな技で工芸としたもの、その原点を見る思いがした。 

 

11時にはボランティアルームに行くことにしていたが、僅かに遅れた。そこではいつもの殺風景な部屋はテーブルクロスで被われお洒落な空間が出来つつある。

喫茶室を開くといく企画の実行日だが、昨年から始めた企画で本来は通年と言うか、「週に3日くらい開きたいね」と始まった。人が集まり会話が弾むような場所作りを目指している。

コーヒーの香りも程よく部屋に広がるころ、昼飯を早めに摂ろうとコンビニ弁当と云うよりも簡素な巻物づくしの昼飯となった。 

12時開店と同時にお客様はこの日を楽しみにしていた云いながら入って来た。広報はJAの有線放送、会報、口コミと様々だが、一番の効果的だったのは“口コミ” のようだ。

混雑時はお運びやらナンヤラで写真を撮ることも忘れてしまったが、1時半を過ぎると席も空き始め、一般の喫茶店並の客の入り具合になった。しかし、コーヒーの香りは一級品で「STARBUCKSが出来たみたいだ」と通りかかった人が言う。 

全てを片付けて家に戻ると4時すぎ、それから薪運びやストーブの灰の処理など今朝の風呂に入った後に風呂場の掃除をしたことで風邪を引いたようだ。

ナレナイことはしない方がよいのだろうか ・ ・ ・

 

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-12℃ 最低気温の更新 ネコは炬燵で は過去の話

2012年01月12日 | 日記

1月12日(木) 快晴 厳しく冷え込む 日中の気温も上がらず 夕方-6℃

午後の陽射しがだいぶ西に傾いたころAlgoとSalaがヤケに騒がしい。リビングのガラス戸のところを右に左に走りながら、なんとも言えない声を発していた。覗き込むと外にご近所のネコが来ている。この近くは野良猫が多く彼らはSalaやAlgoの吠え声を聞くと一目散に逃げていくが、今日はSalaたちも勝手がちがうようだ。イヌがネコ撫で声と云うのもおかしな物だが、寒空のなかネコが家の中のイヌに“マネキ手”を教えるとは驚いた。

 

寒空に 招けとばかり はいタッチ

童謡唱歌にある「ネコはコタツで丸くなる」と云うの死語になっているのか、今朝の温度計を見ると最低温度が更新されている。-12℃と比較的暖かな場所に吊してある温度計でのこと、大寒まで更に気温が低くなる。

寒いときには新しい発見があるのではと裏山に散歩に出た。上衣は厚いダウンジャケットを着込み、足下は遠赤外効果があるとされるゴム長にジーンズの裾を突っ込んだ。このジーンズはユニクロの風防ジーンズと名打っているものが、値段から見ても優れもので寒さを感じない。

大内道の急さを昇ると道には鹿や狐の足跡がある。昨日の雪は一端溶けたコンクリートを白く見せていた。

昨年の晩秋に鹿除けネットを張り巡らされた集落を囲む道。食害がどの程度防げるかは解らないが、このフェンスの内側には鹿や獣の足跡がフェンスに行く手を阻まれて乱れている。本来は集落の外側、道に獣たちの足跡が残されていなければならないのだが、ここには人の踏み後に沿って獣たちも歩いているの残されていた。

長門町(現長和町)との境にある地蔵尊ロクテンさまにはちょうど朝陽が当たりほのぼのとした空気を感じた。4月の祭りには前掛けと帽子を新調して貰えるのだが、まだまだ寒さが厳しくなるので無事なことを願う。

気温が下がると雪も軽く、いつもは鬱陶しい蔓延った竹を美しく演出してくれる。

一廻りしてきただけだが、手袋をしないでカメラを掴んでいたので指の感覚がなくなってきた。家に入り洗面所の湯に手のひらを浸すと痒く感じた。ここのまどから見る浅間山にも太陽が射している。

朝飯の前に寝室を見に行くと出窓に氷の紋様を描かれたいたのも、陽の当たるところから水滴に戻されている。寝ているときの人の息に含まれる水分なのだろうが、夢を辿るとこの模様となるのだろう。

冷え切った身体を一気に温められるのは薪ストーブ、扉を開け放った暖気が心地よい。

 

 

おまけ

なんとも可愛そうだが ・ ・ ・ 信州のネコは雪の上でも散歩する

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つかの間の朝陽 それでも夜明け前はステキだ

2012年01月11日 | 日記

1月11日(水) 晴れ   午前中から雪が舞い始める  午後は断続的な雪

今朝も暗いうちから起きだす。それは寝ているときに思い出した、2月のボランティア活動発表会の配付資料が出来ていないことが気になって寝付けなくなった。ストーブに薪を放り込んで時計を見ると5時を過ぎたところ、少々早すぎたようだが、パソコンを開き頁の配分を見ていると障子が白み始めた。

夜明けのCoffeeといきたいところだが、朝のコーヒーは俺には合わないのでハーブティーの香を楽しみながら朝焼けを見ていると不思議な放射状の光の影が見えた。海上自衛隊ではないが日章旗の光の帯が今の時代でも起こるのかと、不思議な気持ちになった。 

天気予報では午後から雪となっていたが、朝飯を摂っている頃にチラチラと雪が舞いだした。西からの風に横になったり下から吹き上げられたりと、軽い雪だと云うのが部屋の中からも解る。

雪で景色が白く霞むようになると、次は陽が射してきたりする。数時間前は朝日が眩しく集落を照らしたが、それも光が通り過ぎたように記憶にのこらないほどだ。 

朝飯を片付けてから雪が本格的に降っても良いように、昨日の薪を積み上げたところにシートを掛けに外にでた。部屋の中で見ているほど寒くはないし、コンクリートに舞い降りた雪は直ぐに消えていく。薪割りをしえいるときに樹の中からでてきたカミキリ虫の幼虫を夜中に徘徊する動物の餌となるように並べておいたがそのまま残っていた。野生動物にとってはこの季節には口にすることはできない貴重なタンパク源だと思うが、俺の心を知るところではないらしい。 

薪のタワーもまだ半分くらいの高さなので、この上に雪が積もって貰っては困る。次の作業は来週になると思うが、1枚100円のシートで 我慢して貰う。

断続的に舞う雪は夕方になっても積もることはなかった。北側の石積みは粉砂糖を振った焼き菓子のように並んでいる。裏山の手前に並ぶニセアカシアは伐採を予定しているので雪はあまり積もって欲しくない。 

 

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仕事始め 季節に追われて 暮れに残されもの

2012年01月10日 | 日記

1月10日(火)  晴れ   薄い曇が広がる  暖かな一日

年明けの仕事始め、庭木の防寒対策が遅れているし、電線にかかる白樺の枝降ろしもできていない。三が日が過ぎて4日が仕事初めと云うところだが、集落にチェンソーの音を響かせるのは少々気が引けた。

成人式も終わり、天候も快晴続きで地面の雪も溶けたということで、先ずはイチジクのコモ被りに採り掛かったがどうも格好がよろしくない。細い枝は払うとしても太い枝は実の成る枝と云うわけでカッコウは我慢の為所のようだ。

無花果の木から次は太陽光パネルに覆い被さったネムノキの枝を下ろした。拳くらいの太さだが、チェンソーの具合が悪い。チェーンオイルがでていないので刃が熱を持つのが解る。このあとは白樺の木を切るのでその前に分解掃除をしてオイルの出具合を調整した。

昨年の秋に切る予定だったが、これも遅れて年が明けてしまった。ここは電線があるので、枝が伸びると危なくなる。白樺は折れやすい木、電線に擦られ折れ宙ぶらりんになれば大事だろう。

枝は電線の方に張りだしているのでロープで倒す方向に引いた。ロープの結束は慣れたもので、万力縛りは運送屋のバイトで身についたもの、ここでも大いに役に立っている。枝払いをしたことで陽当たりと風通しが良くなるので今年の白樺レストランは盛況になるだろう。

 

昼飯を採ったのが何時かは定かでないが、Mが帰って来たときが飯時ということ、時間には関係なく昼飯前は午前中という解釈が正しい。瞬間的に昼飯を採り終えて庭を一廻りすると、タラの木の皮が剥がされて光っているのが目に入る。鹿の食害なのだが、棘の有るタラの木の幹の皮を剥いで食っているを見ると、彼らは余程食料に困っているのか、タラの木の皮が美味いのかのどちらだろう。

次は薪割り。暮れにリンゴの木6本分を運び込んだままになっている。今月中には割って乾燥させたい。リンゴの木も種類によって芯の色が違うのか、この木ややけに赤い。

積んである丸太の手前の列を割った。割るのは機械だからどうってことはないが、乾燥させるために運び出すのに生木は重い。一輪車で一回に運ぶのは割った薪12本、丸太は4分割か5分割にしているので往復の回数は覚えられない。

全ての薪を運びパレットに積み上げたときは既に暗くなってしまった。この薪は夏前には積み替えをして夏の陽に当てる。来年の冬に焚く薪となるのか、余裕をもって再来年に暖をとることになるのだろうか?

薪割り機を掃除をして道具を片付けるのにガレージの灯りを灯した。仕事始めにしては夢中になりすぎた。

初仕事 去年の暮れの 置き土産 (哉)

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正月が明けて なんとなくボンヤリ

2012年01月08日 | 日記

1月8日(日)  快晴   寒さも一頻りよりゆるむ 穏やかな一日

午後4時過ぎに月が昇る頃だろうと東の窓を除くと既に浅間より上に黄色い月が見えた。月の昇る時刻を一日間違えていたが、今日の月の出は3時55分、一日で1時間遅くなる。

夕暮れに僅かに紅に染まる空を見ていると寒さも忘れ遠い昔が思い出されるのが不思議だ。

午後には次の日曜日に行われる集落の「どんどやき」の案内状をつくり配った。昔からの習わしで昨年不幸があった家は参加できないという。少ない世帯数でさらに親戚関係が絡んでくると参加できる家がほんとに少なくなる。しかし、そのような取り決めで長く伝えられてきた行事、全てを受け入れて続けることが必要なのだろう。

葉書サイズの案内を配り終わってから、ストーブの薪を積み替えたが、昨年より寒さが一段階強いのか、俺の身体が寒さに弱くなったのかはどちらともいえない。下屋に積んである薪をガラス戸のところに運ぶ作業は毎週日曜日の作業としている。このところの寒さで残る薪はなく一週間で使い切っている。この薪は2年間乾燥させたもの燃やすようにしているが、この寒さがもっと続くと1年前の薪を燃すことになりそうだ。

薪の消費を気にすることはないのだが、寒いと云っても我が家は太陽が照る日中は暖房は使わないですむ。朝陽が顔をだせば直ぐに陽射しは部屋の奥まで入り込むし、日中もストーブや床暖の暖房器具の温もりとは異なった太陽の暖かさが充満する。天気予報では明日も晴れだと云うし、最低気温も-8℃と比較的に暖かで寒気もゆるんだように思える。

しかし、天気図を見ると微妙なところで、太平洋の気候が僅かでも齢と日本海側の雪が降る。ここ東信州は微妙な位置にあり太平洋と日本海の中間になるのだろう。

 

正月も7日終わりと思うが、松が取れると言う15日が開日となる。俺の学生時代は1月は15日の成人式が終わってから始まったが、今時の大学は正月も早くから始まるようだ。

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あったか ふれあい 新春の集い

2012年01月07日 | 日記

1月7日(土) 晴れ   快晴   風は冷たいが爽やかな一日

快晴の空に白く浮き立つ浅間山、土曜日とあってか噴煙を激しく上げる。観光立国の信州を意識しているかのような浅間山は週末や休日となると噴煙を風に靡かせて活火山の呈を見せる。今朝の冷え込みを表しているように山麓の木々は白く固まっている。

9時30分に家をでて「新春あったかふれあいの集い」に出かけた。この会は障がいを持つ人、家族、そのともだちなどが集まり、互いに手を結び助け合おうと云うものです。そして昼飯はテーブルに沢山の料理が並び、全て自分たちで創った手料理でした。

毎年恒例の「ころころりんの会」が開く新年会『新春あったかふれあいの集い』はハンディーを持った人も其れを支える人も手をつなぎ、楽しく日々を過ごそうと云う。協賛は「手をつなぐ親の会」「蓼科町手話の会」「立科町町民活動センター」となっている。総勢39名の参加者が先ずは近況報告など自己紹介。

4つの班に分かれてお昼を創るのだが、スタッフの決めたメニューは本格的なものだった。ロールキャベツ、大根サラダ、焼きそば、デザートはリンゴゼリーと山盛りの食材に取り組みました。

食事のあとは歌で腹ごなし、初めて歌う「友だち賛歌」二つの歌をいっしょに歌う「歌のゲーム」など賑やかな一時でした。部屋の片付け清掃をしてからは町内の老人介護施設で使う新聞紙をたたみ直す作業をボランティアで沢山の新聞が整理されました。

 

手のひらの 料理で集う ころころりん ロールキャベツに サラダに焼きそば (哉)

詳しくは下記サイトをご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/cyoukatutowntateshi/e/f32df8aa19d9e3e056751a0ffeb9db58

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消える雪 残る雪も 溶けるゆき

2012年01月06日 | 日記

1月6日(金)  快晴   冷たい風  午後からは 曇が流れ

今朝も最低温度が更新されると云い覚悟を決めて起きる。しかし、それほど寒さを感じなかったのはMが寝る前にストーブに太い薪を入れたようだ。彼女は夜更かしで俺よりも数時間後に床につく。

起き出してストーブの扉をあけると黒くなった薪が残っていたが、空気が入ると直ぐに炎があがる。室温は充分すぎるほどの暖かさ、Mの言葉を借りれば、「寒がりSalaや夜中に徘徊するAlgoのため」だそうだ。 

朝陽が昇る直前が一番気温が下がることから、北側のボイラー室の外にある温度計を見に行くと-10℃と意外にも温かい。考えて見れば温度計の上にはボイラー室の排気筒があり壁も暖まっているだろう。僅かの誤差だが百葉箱までは必要としないが正しい数値を示して欲しい。尤も我が家の温度計はズボラな性に合っているもので、最低温度と最高温度が記録されるようになっている。朝に見過ごしたからと云って最低温度を確認できないことはない。

ボイラー室の裏でご託を並べている間に太陽は隣の集落との境の落葉松を越えて姿を表している。眩しい陽の光を見ながら朝が早くなったように思う。冬至のころから比べると数分しか違わないのだが、陽の光が明るくなったと思うのは雪のせいかい俺の心の持ちようかもしれない。 

朝陽がしっかりと顔をだすと浅間の山は雲海の上に静かな佇まいでいる。この山は活火山っと思わせるほどの、何の変哲もない山に見える。ほんの僅か水蒸気を細く上げているように見えるがカメラには写らなかった。 

ゴミステーションに月一回で出しに行く燃えるゴミ、辺りの雪の上には昨日太陽に溶けた雪が氷の粒となってダイヤモンドのように輝いている。小さな粒だが“誰でも拾っていいよ”って云っている。 

まばたきに 応えるダイヤ 氷粒 (哉) 

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雪がもたらす至福 そこそこの雪は楽しい

2012年01月05日 | 日記

1月5日(木)  晴れ   気温は低い 雪は溶けず銀世界

陽の出前、障子はいつもより明るく見えるのは雪のせいだろう。南東の空は朝焼けが曇を染め上げ華やかな朝を演出している。新聞配達もバイクから車に変えて山を登ってきたようだ。 

太陽が山の木々を通り抜けて顔を見せると辺りの景色が一変する。程よい曇の多さに眩しさもなく、庇から下がったつららに光が当たり出す。今年初めての氷柱になるが、冬本番の時に比べると短い。その短い氷柱を太陽の光は太く見せるのだから、彼らの関係は上手くいっているように見せるが、皮肉にも本格的に陽の光が当たる頃になると氷柱は前触れもなく雪の中に落ちて消える。 

昼前に社協へ出かけたが集会室では町の賀詞交換会とやらが開かれていた。賑やかさは感じないが俺は事務室でボランティアがらみの連絡事項を確認して家に戻った。町の道路は雪が少なくなっているが溶雪材を撒いていると思うが山裾の集落とは大違い。帰りの最後の坂を登るとそこはスキー場のように一面銀世界のままだ。我が家の登り口も青空がでたので雪は溶けると思っていたが、気温が低いのでまだ地面は見えるまではいかない。4時になると浅間山には夕陽に染まった日本海側の雪雲がちぎれて流れていた。 

街路灯が灯るころ上州の山々が瞬きをする度に薄暮に吸い込まれていく。 

明日の朝は-11℃と天気予報いっている

アメダスのある役場前より我が家は3℃低くなる 

毎日が最低温度の更新日となる

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太陽と雪 両方が顔をだした一日

2012年01月04日 | 日記

1月4日(水) 晴れ   昼前から曇り  雪    夕方には 止む

今朝は相当に寒かった。温度計は確かめなかったがアメダスのある町では-8℃とされている。ここ山裾でも北東の角にある小さなガラス窓には氷が張り付くと云うよりも走っていた。朝陽はまだ昇っていないが空は氷の影響でガラス越しには青く見えた。

まだ暗いリビングに行くと夜中に騒いでいた二人は別々のベッドで寝ている。Salaは僅かに青い目だけを開けたが起きようとはしない。Algoは小さな音でもビックッとして起きるのだが、俺の足跡と知っての上で動かない。

浅間の上空に曇は見えないが湿り気が多いように見える。

10時頃までは太陽がでていたが急に曇が張り出し、気がつくと雪が舞っていた。昼前に役場に出かけたが帰りには地面は白く変わっていた。

3時に友人が訪ねるとメールが来ていたので雪が心配だった。彼が到着したときにはかなりに降りで町の景色とは違うと云いながら暫く外を眺めていた。3月までの行事のことを話しながら文書の確認などを済ませて2時間ほどで彼は帰られころには雪は止んだ。

夕方には耕耘機の後ろにブレードを付けて除雪が来てくれた。集落の生活道路を隈無く除雪してくれる。除雪は集落の2軒がやってくれている。僅かの費用を常会費のなかからだしているが、対価には相当しないほどの大変な作業になる。夜中に雪が降れば通学や通勤に支障のないように早くから除雪の音がするので申し訳なく思う。

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通い道 

2012年01月03日 | 日記

1月3日(火) 薄曇り 午後からは 陽射しもないが寒さはやわらぐ

静かな山里の正月、況してやリタイヤの身としては休みが続くと云うことでもない。町から集落に入るのは一本の道、この道『大内道』は俺の好きな道で小さなドラマを演じてくれる。

『大内道』は大深山集落を東西に通り抜け、西は武石・松本、東は芦田・望月・野沢を通り内山峠を越えて下仁田から倉賀野へ通じている。かつて中山道ができる前からの地域の交易の主要道とされた。

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初夢も 薄氷のように 覚めて流れる

2012年01月02日 | 日記

1月2日(月)  晴れ   昼前から雪  夕方には青空が広がる

山裾、我が家は太陽がでているとリビングはSalaとAlgoの天国となる。勿論、暖かさから見れば人間にも充分な恵みとなるが、贅沢を言わしてもらえば太陽が低いこの時期は陽の光が部屋の奥まで入り込みすぎる。

ピアノや直射日光が当たってはいけないモノを陽の光から守るために、障子を閉めて対応している。しかし、Salaたちはこの太陽に当たることが至福であり、障子が閉まっていても自分で開けてガラス戸との間で日向ぼっこをする。

今日も昼前まであれほど暖かな陽の光を受けていたが、急に雪が降り出した。北からの大きな雪雲が流れてきたのだろう。

窓の脇に置かれたベッドも雪が降ってくるとストーブの脇に移される。SalaもAlgoも遠赤外線のためかストーブの近くにくると直ぐに眠くなるようだ。Algoはコアラのように丸くなってねるが、Salaは神経質そうに青い目を薄く開けたまま寝入っていることがある。起きているのかと手のひらを近づけるが反応がない。

新年早々犬の話題ばかりだが、静かな山裾の一日はなにもなく一日がすぎる。薪割り機のエンジン音を響かせるもよいが、三が日くらいは静かな山里にしておこう。

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新年 おめでとうございます

2012年01月01日 | 日記

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風邪の神追い出せ 福の神舞い込め 恒例の子ども獅子舞

2012年01月01日 | 日記

12月31日(土) 快晴  風もなく穏やかな一日 夜には冷え込む

師走大晦日、太陽が沈み月が昇る頃になると集会所に子どもたちが集まる。彼らにとっては集落の年明けの一番行事の主役となるのでいつもより華やいだ雰囲気がある。

ここでは日没となると正月料理が並べられ獅子舞が来るのを待つのが習慣になっている。今年の獅子舞が廻るのは17世帯のうち身内に不幸があった家を除きと9軒を廻る。都会から見ると不幸が多いような気がするが、集落の構成が廓(親戚関係)がまとまっているので仕方がないそうだ。先鋒の年始の挨拶のあとは大きな御幣を持った小学校1年生、内から外へ振るときには「風邪の神追い出せ」と云い、外から内に振るときは「福の神舞い込め」と大きな声で叫ぶ。この御幣は子どもにとっては大きく重たい。

外では太鼓を叩きそのリズムに合わせて獅子が舞う。大きく舞うときには囃子方の大人たちが声を合わせる。獅子は最後に家人の肩を咬み座敷を一廻りする。

これを各家を訪ね歩いて行った。9軒全てを終えて集会所に戻ると2時間くらいかかっただろうか。集会所では豚汁と子どもたちへのご褒美が用意された。一年の締め括りと云うか始まりのような行事、戦後暫くは中止していたがその昔から続いているものと聞く。冷え込みの激しい夜の2時間を外ですごすのは当に年の締め括りには良いものと感じた。

夜には厳しい寒さだが、朝の陽が射すリビングは天国のようなもの。SalaとAlgoはいつものように太陽が当たり出すとベッドを窓際に移される。しかし、この二人の格好から見ても解るように、一つベッドでも見る方向が違うのだ。Algoはいつも外を、そしてSalaは余り外は見ない。夫婦ではないがこれが互いの平安をたもつ秘訣なのだろうか。

28日に生ゴミを段ボールで堆肥化していることをUPしたが、そのときに栄養満点名食材が冷蔵庫の大掃除のお陰で堆肥化する方へ廻された。今朝はその段ボールの蓋を開けて驚いたのだが、一重の段ボールでは0℃前後だったのが、段ボールを二重にしたことで微生物が活性化し汗をかいた。

 

詳しくは下記サイトをご覧ください。

http://garbageate.exblog.jp/17015843/

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