物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

オシュコーヌ先生

2008-10-17 14:08:17 | 日記・エッセイ・コラム

明日はこのブログはお休みにするので明日の分を今日書いておく。

ムシュー・オシュコーヌはフランス語の先生であった。三高の学生を愛し、三高の学生から愛されたという。私は彼の1回か2回の出張講義を受けたに過ぎない。しかし、それだけの出会いにすぎなくても深い印象を残した。

世間的には京都タワーができるときにその建設に反対した文化人として知られている。もっともムシュー・オシュコーヌは絶対京都タワーに反対だと言った訳ではないらしい。京都駅前からどちらかに数百メートルでもずれていれば許容できるという考えだった。でも結局は元の案どおりに建築された。それは私がムシュー・オシュコーヌに出会った後、数年後のことである。

ムシュー・オシュコーヌのことを話してくださったのはフランス語の長崎広次先生であった。フランス語を勉強しようかと思ったのは大学3年のとき1961年だった。半年だけ仏文の学生たちと一緒にフランス語の初歩の講義を受けた。夏休みまでに大体文法を終われば夏休みに学生がフランスの文を読めるという配慮から特急の講義であった。

理学部からフランス語の講義を聴きに行く学生はあまりいなかったので、長崎先生から私は理学部のムシューと呼ばれた。ただし、後期の講義は時間が空いていなくて聴くことができなかった。長崎先生に学内でときどきあったらフランス語勉強していますかといわれた。

ともかく、いまフランス語はカタコトは話せるとは思うが、難しいことは話せない。しかし、それは大学を出てから一時フランスに留学しようかと思っていたときがあったので、そのためにテレビで勉強したからである。以前はもっとフランス語を聞くこともできたし、話せたと思うのだが、今では心もとない。

長崎先生は大分以前に亡くなったし、ムシュー・オシュコーヌの消息は聞いていないが、フランスに帰られたのではないかと思う。それでも彼の人生のほとんどは日本で過ごされたかたなので、ひょっとすれば日本で亡くなられたのかもしれない。

彼はもちろん日本語も達者だったが、日本に来たころに「六つ」というのと「三つ」というのが区別が難しかったと日本語で聞いた(どうしてかはこれらの語を発音して見てください)。土曜日の午後にあった会話のコースの後で先生に話しかけたら、いろいろとフランス語の学習とか日本語の話をしてくれたのであった。あの熱心さは並大抵のものではなかった。ムシュー・オシュコーヌが三高生やその後の京都大の学生に愛された理由がわかる気がする。

およそ47,8年前のことである。ムシュー・オシュコーヌをアルファベットでどう書き表すのか今も知らない。Hで始まることだけしか覚えていない。


鶴見さんの新しい本

2008-10-17 11:30:26 | 学問

鶴見俊輔先生の新しい本が出たらしい。「悼詞」という本である。らしいというのは読んではいないからである。知り合いの人がなくなったときに追悼の文を書いた。それを集めた本である。

書店では手に入らない本で直接注文をしなくてはならない。少しほんの値段が高いが仕方がないであろう。ぜひ購入して読んでみたいと思っている。それにしても朝日新聞は鶴見さんが好きだなと思う。別に悪いわけではない。こころあたりが、朝日新聞のいいところといっていいのであろう。