物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

『大学入試問題予想法(数学)』

2008-10-03 16:31:36 | 数学

矢野健太郎著『大学入試問題予想法(数学)』(日本評論社)という本から、私のこのブログにたどり着いたという学生さんがいたが、どうして彼がそういう本に関心をもったのかわからない。

「大学の数学の先生は高校の授業の内容をよく知っているわけではなかろう。むしろ、いつも教えている大学の数学の中から高校の数学として解ける問題を探して、大学の試験問題に出題しているのではなかろうか」というのが、矢野先生が本を書いた意図というか趣旨であった。

そうだとすれば、大学の数学の教材の内容から高校数学で取り扱えそうなものを選ぶというのが大学の数学の先生の出題法ということになり、そういうテーマを探して提示するというのが矢野先生の大胆な入試問題予想法であった。

その後、これに似た考えの本はたくさん出されているが、その全部を見たことがあるわけではない。

そして、その考えを利用して私も物理の入試問題を出そうと心がけた。いまはもう定年になっているから、こういうことを告白してもまあ罪にはならないだろう。

何らかの問題意識があって、そこから入試問題を出されているらしいということは他の物理の先生の話からもある程度想像ができたが、先生方の経験はいろいろ多岐にわたっているから、それを受験生である、高校生が前もってすべて体験したり、予想したりするのはやはりできないと思われる。

地道に勉強してよく基本の原理とその応用例を理解しておくのが一番いい受験勉強になるという平凡なところに結局は落ち着きそうである。


丹下健三氏の復権

2008-10-03 11:46:56 | 科学・技術

丹下健三氏は世界に誇る日本が生んだ建築家の一人です。今治の出身ですが、あまり今治の人にはいいイメージがない。

彼の設計した市の公会堂は造形的には優れているかもしれないが、自然の照明を活かすという風ではなく不経済であると昔から言われていました。

今日の朝日新聞の愛媛欄では今治での丹下氏の復権ともいうべき活動が起こっているということを伝えていました。今治中学(現今治西高)を出てから、広島高校へと進み、それから東大へと進んだ。

実は、私の実家は丹下氏の大きな実家のあったところから歩いて数分のところでとても近く、1945年8月の空襲で丹下氏の実家(大きな邸宅でした)は焼けましたが、戦後その屋敷を含む敷地が現在の今治小学校になっています。

その今治小学校には大きな蔵が残っていて、小学校の運動会のときに使う用具が収められていましたが、そこはもともと丹下氏の実家の蔵だったのです。このたび新聞報道でこの空襲で丹下氏のお母さんが亡くなられたことをはじめて知りました(注:私の母校の今治小学校も少子化のために廃校となっている)。

丹下氏は高校の頃には勉学以外のほうに精を出したためにその当時としては珍しく、高校卒業と共に大学へと進学することができず、1年浪人をしたといいます。しかし、そのことが彼の後世の建築の仕事のために役立ったと思われます。

もっとも偉人は必ずしも郷里では受け入れられないとの点は今治だけの問題ではなく、彼の卒業した広島高校の同窓生にもあまり受け入れられなかったと下世話話に聞いたことがあります。

私は今治西高(今治中学の後身)の卒業生ですし、また、広島高校の後身の広島大学教養部でも学んだ者ですから、彼を貶めるつもりで言っている訳ではありません。彼は高度成長時代にふさわしいきわめて優れた建築家だったのだと思います。

しかし、一方で彼の設計した建物は年が経つと雨漏りがする(雨漏り健三)とかの憎まれ口もきかれたのは事実です。これは本当は設計者の問題ではなく、施工した建築業者の問題なのでしょうが。

偉大な人々の業績も時代の枠を出ることはなかなか難しいものだと感じています。