市内某所のレストランでEさんと二人でゴールドスタインの訳の完成を密かに祝った。初校の段階でかなり手を入れたので初校の校正が実質的にこの仕事の完成となった。
もう一人のFさんは忙しいらしいので、今回は誘わなかった。だが、下巻が出版されたらもう一度三人で正式にお祝いをするつもりである。上巻が出てからでも3年が経ってしまった。
これは現在の大学が忙しくなったということの証拠であって、その割には何をしているのかわからない。そして基礎科学の振興とか誰かがノーベル賞をもらったときだけ叫ばれるが、日本の地方大学の実態は無残である。研究費は私が定年の数年前に貰っていた研究費の額の1/3か1/4となった。
研究費はどこかで取って来いということらしいが、応用研究でもなければ研究費を出す企業とか財団とかはありはしない。結局、自分の給料から研究費を捻出するというのが大方の研究者の実情ではないだろうか。
ところが、マスコミ関係でもそのことに危機感を抱く人はほとんどいないし、大学の研究者はもう黙っているしかない。これでは基礎科学を中心として学問が振興されるはずがない。
「科学とは国家がお金を出して研究者の好奇心を満足させることだ」とかいったのはイギリスの物理学者のBlackettだったが、そういう神話はほとんどもう生きてはいない。もちろん、研究費を私用に使ったりする人がいないわけではないが、そういう人はパーセントからするときわめて少ないし、いつかは金の卵を産むかもしれない基礎研究はもう金の卵を産む可能性も根本からか根絶しかけている。
優れたことをする研究者や技術者の少数精鋭主義でいいのかもしれないが、小林ー益川のノーベル賞の陰にはそれにはいたらないが、多くの研究があるのだということを忘れてはいけないと思う。また、そういう科学者や技術者を教育している多くの教育者がいるのだ。
もっとも、最近ではマンガではないかもしれないが、マンガまがいの数学の本まで出版されており、それらも何らかの役に立っていると思う。私も数日前から基礎数学のe-Learningのコンテンツをつくる仕事に復帰したところだ。そういういろいろな積み重ねがあり、教育が進み、科学が進み、技術が進むのである。
予算とか経費をどこかから取ってくるというようなことを断念したところから私たちの仕事は始まっている。そして類似の試みは決して少なくはない。