1976年のことだからもう40年近く前のことである。
ドイツのマインツ大学の物理学科の研究室にいたとき、午前中だったが部屋の扉がノックされて学生が入ってきた。数学公式集はないかという。そこには数学公式集がなかったので、なぜ公式集がいるのと聞いてみたら、sinだったかcosだったかの微分公式が知りたいという。
多分こうだったよと教えたのだが、もちろん微分した結果を積分をしてもとの関数にもどることをその場で確かめた。
それで、なぜそんな公式が必要なのと尋ねたと思う。そうするとKlasurのためだという。Klasurという言葉を知らなかったので、即座にはわからなかったが、2,3のやり取りの後、試験のためであることがわかった。
こういういきさつで、Klasurという語を初めて覚えた。ラジオとかテレビで初級のドイツ語講座を30年以上聞いているが、Klasurという語はその後にも一度しかお目にかかったことがない。
私の覚えているのは
Der Student ist vor dem (正しくはder) Klasur am Fleissigsten. (その学生は筆記試験の前が一番勤勉です)
という例文であった。ところがいま辞書を引いてみるとdie Klasurとあり、これだとvor der Klasurでないとおかしい。
ということは私の記憶がいつのまにかvor der Klasurからvor dem Klasur といつのまにか勝手に変えてしまったらしい。
ドイツ語のクラスの講師Rさんによれば、試験をするのに部屋を閉め切って学生を部屋から出さないようにして試験をしたことに由来するらしい。だからこの語はラテン語起源である。
普通のドイツ語でいうならば、schriftliche Pr"ufung(筆記試験)とでもいうのだろう。これはもちろんmundliche Pr"ufung(口頭試問)に対するものである。
なんで、こんな昔のことを思い出したのか。
それは妻から昨夜の夕食の時にあなたの本はしかたがないから、しばらくそのまま置いておくが、30年以上たまっている、NHKのラジオやテレビのテキストはいまのうちに始末をしたいと言われたからである。
いつだったかもこのブログで自分が死んだ後の私の買い求めた書籍の処分についてどうしたものかと書いたが、それ以前の大問題があった。
なんとかこの大きな蓄積を生かす方法がないかと思うが、普通の図書館は大学の図書館も市や県の図書館も書庫は手狭であり、どうやって本の処分をするのかが大問題らしい。
国会図書館に問い合わせてもあそこは日本で発行された書籍や雑誌の類もすべてもっているだろう。さてどうしたものか。いいアディアはないものかと思案中である。