ことはハイゼンベルクとボーアに関することである。とは言っても物理学のことを知らない人にはなんのことかわからないであろうか。
ボーアはデンマークの物理学者で原子論で知られた有名な学者だし、もう一人のハイゼンベルクもドイツのこれまた有名な物理学者である。
この二人はもちろんボーアがハイゼンベルクの先生にあたる。そしてこの二人深く互いを理解しあった中であったが、第2次世界大戦中の1941年にドイツ占領中のデンマークをハイゼンベルクが訪れる。
そして、ハイゼンベルクはボーアに連合国が原爆の開発に進まないようにとそれとなく伝えようとしてコペンハーゲンを訪れる。
そして実際に会うのだが、その話はハイゼンベルクがナチの情報部に漏れるのを恐れて遠まわしにしか言わない。そのためにボーアはナチのドイツが原爆を開発する意思があるのだと思ってしまう。
それで、歴史上ではアメリカの原爆開発だけが進行して、それは広島、長崎への原爆投下へと至る。
この辺のハイゼンベルクとボーアとの会話とボーア夫人の3人の会話が演劇『コペンハーゲン』のテーマである。ただ、私はまだこの演劇を見たことがない。
『数理科学』9月号はそのテーマがボーアであり、その記事の一つにこの演劇に関する対話のいきさつを山崎和夫さんが書かれている。
それによれば、ボーアとハイゼンベルクはそのときのことについて一度二人だけで話し合いを戦後何回かしようとしたらしい。しかし、それが行われないうちにロベルト・ユンクの「千の太陽よりも明るく」(平凡社)が出版され、そのデンマーク語訳を読んだボーアがアメリカの物理学者たちが悪玉として描かれているのに機嫌を悪くされてこの話し合いは結局されなかった。
これがハイゼンべルクに近いドイツの物理学者の思っている事情であるが、一方アメリカに亡命したかつてのヨーロッパの物理学者たち、特にユダヤ系の物理学者は身内が強制収容所で殺されてなくなったということもあり、ハイゼンベルクとそのまわりにいたドイツの物理学者の方がむしろ悪玉であると考えている。
そして山崎さんによれば、それが世界の大勢の考え方であるらしい。
私が興味深く思ったのは「千の太陽よりも明るく」の出版されるまではボーアはむしろハイゼンベルクとの和解を考えていたのだが、このノンフィクションのせいでその和解がなされなくなったらしいことであった。
私はこの書を学生の頃に読んだが、アメリカの物理学者の悪玉説であるとは思わなかったが、当事者になるとそうは思わなかったことに驚かされた。
(付記)そして広島への1945年8月6日の原爆投下によって、私の先生のSak先生とSaw先生とが原爆に被曝するという、結果となった。Sak先生はすでに故人だが、Saw先生はまだ存命である。