物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

Francais sans larme

2013-08-07 16:07:38 | 外国語

Francais sans larme(涙なしのフランス語)というフランス語の入門書があった。

その書を読んだこととか購入したことはないのだが、それくらい涙なしにはフランス語は学べないということだったのだろう。

しかし、フランス語はどちらかというと英語に親しんだ人には入口は学びやすい言語である。だが、学習が進んでいくとちょっと難つかしいところがある。

それは動詞の変化である。動詞が直説法には現在、未来、半過去、複合過去、大過去、単純過去、全過去があり、条件法にも現在、過去があり、接続法にも現在、半過去、過去、大過去がある。

長年フランスの初級を学んでいても単純過去はあまりお目にかからなくて、物語とか小説でしかお目にかからないので、よくわからない。また、条件法現在と未来とが動詞の変化でよく似ているので紛らわしい。

それらが大変ではあるが、語順としては直接および間接人称代名詞が動詞の前に来るのと形容詞は原則として名詞の後ろに来るのが英語と違っているくらいである。あまり難しいことはない。

ドイツ語では定動詞(主語にしたがって変化する動詞)の位置が平叙文では文の2番目の位置に来るとか副文では定動詞が文の最後に来るとか現在完了や助動詞構文で動詞の第二成分が文章の終わりにおかれて枠構造をつくるというような面倒さがある。

こういう面倒さがフランス語にはない。

フライブルクのゲーテ・インスティチュートでドイツ語の講習を受けていたころ、友人のエジプト人の化学者が理解していなかったのはドイツ語のこういうところであった。

コースが進んでいった終りの方になってもこれらの動詞の語順を理解していなかったので、1,2度は先生も注意をしたが、ついには先生からも見放されたような気がした。

それに彼は英語は上手に話したから、あまりドイツ語を話せなくても痛痒は感じなかったであろう。

同様なことは途中から入って来た、ハンガリー人の若い学生にも見られた。話すことは何でも言うことができるように思えたが、やはりときどき先生に直された。だが、彼にはどこがどういけないのかわかってはいなかったろう。

ドイツ人にとってはドイツ語は空気みたいなものだから、ドイツ語の配語法の独特さにはあまり気がつかない。それで日本人はとくにそのことを気を付けて学ばねばならない。私はそう考えている。


幻の書

2013-08-07 13:32:32 | インポート

『微積分教育の新しい方向』(東数協ゼミナール1)(1988.8刊行)という幻の書を最近手に入れた。

これは近数協の古本市場で格安で手に入れたものである。私にとってはまことに幻の書であった。

これは一言でいえば、いかに量の理論の観点にもとづいて「微積分を教えるか」ということに焦点を当てた、宮本敏雄さんの『数学教室』連載の記事をまとめたものである。

矢野 寛(ゆたか)先生の『中学・高校における水道方式』(愛数協ブックレット)にたびたびその内容の一部が引用されていたが、私には幻の書であった。

これに明治大学名誉教授の銀林浩さんが解説をつけておられる。銀林さんは手放しで礼賛一方ではなく、その宮本さんの考えられたことの発展を考えておられる。

そして現に彼は『量の世界』(むぎ書房)という書を出されてもいる。今回まだ宮本先生の内容にはまだ立ち入っていないが、解説のところを読みつつある。

そのある個所で以下のように書いてある。

内包量を生み出す割り算の延長線上に微分を、そして外延量を生み出す掛け算の一般化として積分を位置づけようという遠山啓の根本理念は、すでに小学校算数の検定教科書『みんなの算数』編集当時1959年にできていた。しかし、理念だけでは『絵に描いた餅」同然であって、教育上の実効は期待できない。どうしてもカリキュラムと具体的教授プランが確立されなければならないのである。『量の問題とその発展』(森毅:引用者追加)にしても『微積分教育の新しい方向』(宮本敏雄:引用者追加)にしても同じことがいえるだろう。わが『量の世界』(銀林浩:引用者追加)だって同罪であって、理念のリファインに留まっているとしかいえない。(引用終り)

実際にその具体的第一歩は自由の森学園の増島高敬氏によって乗り出されたとその後に書かれている。

しかし、高校の教育課程ではそれでいいだろうが、高校だけではなく、大学の基礎教育の観点から見た、微積分学の具体的内容という点ではまたもう一つ問題があるのではないかと思われる。

高校から大学基礎数学へと移行していくときにそのテキストとカリキュラムをどうするのかという問題が残っている。

『微積分教育の新しい方向』にしても優れた著作ではあるが、それでもそれは高校レベルに重点があり、大学の基礎数学レベルまで含めた『微積分教育の新しい方向』ではない。そこに問題が残っている。

その後、高校での具体的な授業の実践は増島高敬さんが報告をブックレットにされていることを知った。