昨日、日本映画の「ひまわり」を見た。
もともとの「ひまわり」という映画はイタリア映画だったが、やはり一種の反戦映画だった。それで日本版「ひまわり」もそういう種類の映画だろうと思ってみたら、その通りだった。
この「ひまわり」は沖縄の基地問題を扱った映画であり、小学校のころに友人たちがその小学校に落ちたジェット機の犠牲になって死んだ方の終生のこだわりがその通奏低音となっているが、その人の孫の世代の話を中心に話が展開する。
沖縄は昔も現在も未来も展望としては暗い。それはアメリカ軍の基地が多くの面積を占めており、その様相はこのところ変わる気配が感じられないからである。
民主党政権時代の鳩山元首相の言にいくばくかの希望を感じた県民であったが、現実ははかばかしくなかった。鳩山氏の現実離れした構想を咎めるかたもおられようが、それが実は問題ではなくて、外交で、実務を担っている外務省がまったく基地を沖縄から減らすことが眼中にはないとかさらにいえば、アメリカが沖縄の基地を減らす気がないことが原因である。
そしてその日本の政策を支持している、多くの日本人の問題でもある。
沖縄にはいい展望がないが、それでも希望を失ってはいけない。