物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

デレク・ベイリー

2014-03-10 13:31:24 | 音楽

昨日の朝日新聞の書評で「デレク・ベイリー」(工作舎)という音楽家の伝記の書評があった。

私は音楽に暗いし、ましてやデレク・ベイリーという音楽家を知らない。この書評で関心をもったことはインプロヴィゼション(即興)ということに関してである。

ベイリーはイギリス生まれのギタリスト(1930-2005)である。フリー・インプロヴィゼションと呼ばれる特異な音楽の創始者の一人である。

ジャズのアドリブとは全く異なる「即興演奏」の可能性を発見し、追究し始める。それは過去には存在していなかった決定的に新しい音楽だったという。

ベイリーいわく。『インプロヴィゼションであるからといって、それは出鱈目とは全く違う。ギターであれ何であれ、その楽器に徹底的に習熟した上でそれを乗り越えるようにして、あるとあらゆる「音楽」の起源に潜在する一度切りの「自由=フリー」に賭けること。「フリー・インプロヴィゼション」とは「世界」に向き合う「自由」のレッスンでもあるのだ。』

私の関心があるのはジャズの即興とどう違うのかとかいうことである。ここではジャズの場合にはアドリブと表現されているがどう違うのか。そういうことである。これはここで、読んだ範囲ではわからない。

ベイリーが出鱈目とは違うとはいうが、擬似乱数をつくることを考えるときにこの出鱈目とは何かがよく考えるとわからないというか、なかなかランダムであることが難しいことを擬似乱数をつくることを考えた人はよく知っている。


安全神話

2014-03-10 13:08:42 | 科学・技術

安全神話が崩れるということは原発の安全性についてはもう経験済みである。

チェルノヴイリの原発に事故が起こった時に、日本の原発は別のタイプだし、日本の原発の技術は高いから、日本では事故は起こらない。こう言ったのは当時の原発関係者であった。

それが津波のせいかどうかはわからないが、簡単に原発事故が起こった。それを想定外というのはあまりに前言に照らしておかしい。だが、そういうことを反省した当事者を知らない。

安全神話のもう一つは新幹線の事故が起こっていないことである。これは創業以来50年以上たつと思うが、大きな事故は起こっていない。それは幸いなことである。

新幹線が原発と同様に危険なものかどうかは議論があるところであろう。私なども新幹線にハラハラして乗ったりはしない。しかし、星野芳郎の言を借りると危険はその速さの2乗に比例する。

なぜかと言えば、運動のエネルギーは速さの2乗に比例するからである。新幹線ということで思い出すのは武谷三男が新幹線が危険だと思って乗らなかったことである。

そういう話は知っている人はあまりいないと思うが、武谷は技術を過信する人ではなかった。

これはもう亡くなったある哲学者の先生から聞いた話であるが、この方は武谷の哲学にひときわ思い入れが深い方であった。それで松山のE大学に哲学の集中講義に来てほしいと頼んだことがあった。

そのときに、断りの理由がもし松山まで行くとすれば、JR在来線に乗って京都あたりで一泊し、それから松山まで行かなければならない。

それはあまりにもたいへんであるから、申し訳ないけれどもお断りしたい。その理由が単なる理由に過ぎなかったかどうかはわからないが、武谷が新幹線に乗らないことは多分事実であろうし、彼はやむに已まれぬ時以外は飛行機にも乗らなかった。

さすがに、彼がブラジルに行ったときは航空便でブラジルまで行ったと思うが、国内では飛行機には乗らなかったではないか。

それからこれはあまり確かではないが、ブラジルであるとき数人乗りの飛行機でどこかブラジルの奥地に飛んだことがあるらしい。そのときには狭い谷に沿って飛行機が飛んだので生きた心地がしなかったとか。

外出するときには必ずいつ雨が降って来てもいいように、傘を持ち歩くほど慎重な方だったという。安全というのはそういうくらい慎重にしていいはずである。