物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

日本の社会主義

2014-03-05 18:12:31 | 本と雑誌

加藤哲郎著「日本の社会主義」(岩波書店)という書が出版されている。まだもっていなかったので、午前中に注文をした。

なぜ注文したかというと書評で読む限り、加藤哲郎さんの武谷に関する批評は厳しいものらしい。

私はこれに憤慨をしている。もっとも加藤さんはそういう憤慨する人が出ることを自分の本を売るための手段にしているのかもしれない。そうだとすると著者の意図にまんまとひっかかった魚のようなものではある。

I さんという方が昨年8月の徳島科学史研究会で加藤さんの本が出るとか出たとか、そんな話をちらっとしていたので、そういう本が出るらしいとは聞いていた。

だが、あまりにも武谷のおかれた状況を無視した判断だと思うのである。私の判断は「日本の社会主義」の朝日新聞の簡単な批評とアマゾンコムでの批評をもとにしているので、これがちがうのならば幸いであるが、どうも私よりも若い学者たちにはそういう想像力がないのではないかと思ってしまう。

それこそ武谷が生きていたら、どう思っただろうか。2度も拘置所に入れられ、就職口もほとんどなく、ようやっと有志の篤志家から奨学金をもらって研究を続けてきたその辛さなどはなんでもないことだろうか。

同じ環境にいなければ、わからないことがあるのではないかと思っている。自分が実践するという立場にたって、ときの政治と対決する追体験するのでないとその気持ちはわからない。それも圧倒的な少数派であるときに。

「原爆が野蛮を追放した」と武谷が書くとき、自分を追いつめてきた軍部や特高に対する憤懣なのだということを知らなくてはならない。

ひょっとすれば、小林多喜二のように警察の拷問に会って死ぬかもしれない、そういう逼迫した気持ちを理解しなくては武谷の「原爆が野蛮を追放した」という語は真に理解できはしない。

感想は本を読んでからにするが、単に厳しく批判するだけではなく、自分ならどうしたか、またどうできたかの仮想的な思考がなくてはならないだろう。


マルクス-エンゲルス全集(MEGA)2

2014-03-05 17:46:06 | 社会・経済

以前にマルクス-エンゲルス全集のことを書いたが、今朝兄から電話がかかってきた。

亡くなった長兄の住んでいた家を取り壊すのだが、彼のもっていた蔵書の中にマルクス-エンゲルスの全集が残っていたというのだ。

それでこれはいくらなんでもブックオフに「ごみ」として引き取らせるには忍びないので、とっておこうかという相談の電話だった。

私の子どもが経済学に関係した職についているからというのが次兄のいう理由だった。その理由などはどうでもいいが、ちょっと捨てるには惜しい本である。

前のブログではMEGA(Marks-Engels Gesamt-Abhandlungen)の話であって別に大月書店発行の日本語訳のマルクス-エンゲルス全集の話ではない。

だが、ちょっとこの話と関係していないでもない。MEGAの話はマルクスとエンゲルスの遺稿を整理して、それを発行しようとしているという話であった。

もちろん、原文のままだと思う。注釈等はつけるのであろうが。それでも手書きの原稿を読み解くのは大変なのだという話であった。

もう何十年も昔のことで記憶が確かではないが、マインツ大学の数学教室にはケプラーとかいろいろの過去の偉大な学者の論文集があったが、ちょっと開いてみたらこれがなんとラテン語であり、私には読めなかった。

そして、これは他のところで知ったことだが、数学者のオイラー(L. Euler)の著作はまだ全編が出版されたわけではなく、まだ編纂がされているとか。

もっとも日本の大学では予算が減っているので、そういう古典ともいうべき書籍を購入できる大学はほとんどなくなっているのではなかろうか。嘆かわしいことだが、それだけ日本の経済の底力がなくなっているということだ。

これでは日本の科学とか技術には将来はない。


同窓会

2014-03-05 12:31:19 | 日記・エッセイ・コラム

出身の大学の研究室の同窓会を私が世話人になって開く年がまたやって来た。

とはいうものの、ここ3回のうち2回は私が世話人になって行っている。別に世話好きでもないのだが、たまたまこういうことになった。

先回は京都で2012年にあったのだが、そのときは友人のHさんが世話人だった。だから最近の4回の同窓会の内で3回を私が世話人として開くということになる。

私としては松山以外の愛媛県内で開きたいのだが、けっきょく交通の問題があり、松山で開くのがいいと勝手に判断してる。

このあと1時からある宿泊所に話を聞きに行くつもりだが、さてどうなるか。

もうなくなってしまった研究室の同窓会であるから、若い人が同窓生として入ってくる可能性はない。一番若い人でも60歳前後である。もうじきに私たちが世話ができなくなるのも時間的に考えてそう遠くでもあるまい。