加藤哲郎著「日本の社会主義」(岩波書店)という書が出版されている。まだもっていなかったので、午前中に注文をした。
なぜ注文したかというと書評で読む限り、加藤哲郎さんの武谷に関する批評は厳しいものらしい。
私はこれに憤慨をしている。もっとも加藤さんはそういう憤慨する人が出ることを自分の本を売るための手段にしているのかもしれない。そうだとすると著者の意図にまんまとひっかかった魚のようなものではある。
I さんという方が昨年8月の徳島科学史研究会で加藤さんの本が出るとか出たとか、そんな話をちらっとしていたので、そういう本が出るらしいとは聞いていた。
だが、あまりにも武谷のおかれた状況を無視した判断だと思うのである。私の判断は「日本の社会主義」の朝日新聞の簡単な批評とアマゾンコムでの批評をもとにしているので、これがちがうのならば幸いであるが、どうも私よりも若い学者たちにはそういう想像力がないのではないかと思ってしまう。
それこそ武谷が生きていたら、どう思っただろうか。2度も拘置所に入れられ、就職口もほとんどなく、ようやっと有志の篤志家から奨学金をもらって研究を続けてきたその辛さなどはなんでもないことだろうか。
同じ環境にいなければ、わからないことがあるのではないかと思っている。自分が実践するという立場にたって、ときの政治と対決する追体験するのでないとその気持ちはわからない。それも圧倒的な少数派であるときに。
「原爆が野蛮を追放した」と武谷が書くとき、自分を追いつめてきた軍部や特高に対する憤懣なのだということを知らなくてはならない。
ひょっとすれば、小林多喜二のように警察の拷問に会って死ぬかもしれない、そういう逼迫した気持ちを理解しなくては武谷の「原爆が野蛮を追放した」という語は真に理解できはしない。
感想は本を読んでからにするが、単に厳しく批判するだけではなく、自分ならどうしたか、またどうできたかの仮想的な思考がなくてはならないだろう。