物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

木村真三氏の講演

2014-03-23 15:01:16 | 科学・技術

3月21日の春分の日に愛媛大学のグリ-ンホールであった、木村真三氏の講演を聞いた。題は『原発被曝後3年の現状と課題』というのであったが、印象に残った言句をここに書いておく。

木村氏は「データをとることが科学ではない」と強調されていた。そして「反証可能でないものは科学ではない」というカ―ル・ポパーの主張を述べていた。

もっともこの命題は私もだが、妻も違和感を感じたようである。普通に数学などの定理が一つでもそれにしたがわない例を挙げることができれば、その命題を否定することができるので、私にはしっくりとは来なかった。

要するにポパーがどういう意味で反証可能性を使ったかを知らないと何も言えないからである。

講演後の質問でもこの点に触れた質問はなかった。それは木村さんが別に科学論の講演をしたわけではないからである。

それでもそのことの違和感があって、妻と少し話をした。

福島の住民の人たちは一年に20mSvの被ばく量なら、帰還してもいいという国の方針に対して、木村さんは帰還すべきではないと言っているらしい。

そして20mSv以下の放射線量では、人体に影響がないということが証明されたわけではないという主張らしかった。確かにそうであろう。

放射線量の閾値があるという説とそんな閾値はないとする説とがあると聞いている。そして、人が受けていい放射線量はその人のリスクとベネフィットで決まるというのが世界全体で受け入れられている考えである(注)。

ポパーの引用「反証できないものは科学ではない」ということと上の放射線量の問題がどうもかかわっているらしいというのが妻の推測であったが、ほんとはどうなのだろうか。

(注)この放射線量の許容量はその人の受けるリスクとベネフィットで決まるという考えはいまではICRPの見解ということになっているが、もともとは日本の物理学者・武谷三男の言い出したことである。


Friction Ball Knock

2014-03-23 14:26:00 | 科学・技術

ボールペンみたいなペンで、強くこすると書いた字とか絵が消えるというペンがあるのは知っていたが、それをわざわざ自分で買うことまでは考えたことがなかった(注)。

別に自分で買ったわけではないが、NTTのポイントが貯まってそれをこの摩擦すると消えるペンをもらえるくらいだったので申請をしたら、先日届いた。

それで直ぐに新しいものを珍しがる、妻に見せてやった。タブを購入してあおぞら文庫で最近夏目漱石の『吾輩は猫である』を読んだ妻につぎの新しいものを教えておこうというつもりである。

もっとも妻はすぐに自分のもっているボールペンで字を書いて「これを消してみよ」という。「それはできないのだよ」という説明に手間取った。

確かにどのボールペンでも消すことができるようになればすばらしいが。

いつだったか、Eテレの「英語で話さないと」だかの放送で、見たことがあったのだ。そのときに値段がどれくらいなのだろうと思った。

多分結構な値段がするのであろうか。私はこのペンの値段をいまも知らない。

私は文章を書くことが多いので、これは便利である。大抵はパソコンから入力して、文章を書くことが多いのだが、それでも何度かそれをプリントして読んでチェックしないとどうもディスプレイ上だけのチェックではミスがなくならない。

パソコンが普及してペーパーレスになるという予想をした識者もいたのかもしれないが、そんなことはあり得ないという指摘を早い段階でしていたのは亡くなった技術評論家の星野芳郎である。実際にまたそうであった。

宇宙産業の社会への影響度が大きいと言っていた識者もいたのかもしれないが、宇宙産業の人類全体への経済効果はそれほど大きくないと指摘していたのも星野であった。

そういう見解を知っていたので、元同僚のある方が自分の関わっている技術が宇宙産業への広がりをもつと述べても、それをウソではないにしても誇大な広告みたいなものだと思っていた。

(注)これはpilotの製品である。