物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

計算の紙片

2014-03-12 12:30:28 | 数学

もう研究をしてはいないので、大量の計算をするということはない。

だが、じゃあ何もしていないかとそういうことはなくてプリントをし損ねた紙の裏にちょこちょこと計算をすることが多い。

その計算は思い通りはいかないことが多い。それでもときどき計算の筋が通ったときには別のレポート用紙に計算を清書するのが普通であるが、そういう風に筋が通ることなどまれである。

だから、それらの紙片は結構時間が経てば増えることになる。もうこれは何の役にも立たないと思って捨ててしまうものもあるが、私は計算が下手であるので、計算をまとめた後でもその草稿の紙片を捨てないでとっておくことも多い。

文書としてまとめた後でもその文書を読み直していて、書き写しのミス等が往々にしてあるので、そのときにすぐ訂正できればいいという考えからである。

そういう次第であるから、計算の紙片が私の机からなくなるということにはなかなかならない。それで一定の時間が経つと、これは机のごみになるから最近はフォルダーを買ってきて、それにファイルしている。

計算の草稿であるから、あまり後で見ても何を計算したのかわからないこともあるが、その量は一年にはフォルダーの2,3冊分くらいにはなる。

こんなことをすると私が死亡したときに家族がその処理に余計な手間をとられることは事実であるが、なかなか捨てられない。

書籍が邪魔者だと妻にいつも言われているが、それだけではなくこういった計算の紙片も結構大変であろう。

もっとも私が生きている間は意味があるけれども死んでしまえば、意味がないから、きれいさっぱりごみとして廃棄できるなら家族はせいせいするであろう。が、それを廃棄処分にしなければならないという、無駄な仕事を残すことになる。


吉本隆明全集の発刊

2014-03-12 10:37:37 | インポート

昨日の朝日新聞によると吉本隆明全集が晶文社から38巻の予定で出版されるという。

おめでたいことであるが、私などが考えると吉本隆明氏よりも武谷三男氏の方が思想的に重要のような気がする。

しかし、吉本さんが世間から評価されているということだろう。これはなかなか理系の方は世間からの評価が難しいことによると思う。

武谷は勁草書房から『武谷三男著作集』全6巻と『武谷三男現代論集』全7巻が出版されている。他にも私がまとめた「武谷三男博士の著作目録(第4版)」(『素粒子研究』電子版)では寄稿をした短いエッセイ等も含めて231件ある。

最近、また資料集として再刊されたものもあるようなので、第5版をつくらなければならないのだが、まだつくっていない。それに中国語訳されたものもあるのだが、それはまだ手に入れてはいない。

話が文を書いているうちにそれたが、新聞記事によれば、吉本隆明全集の総経費は2億円だと見積もられている。なんとすごい費用がかかることだろうか。

これではなかなか全集など出版できないはずだ。

私だけの意見ではないが、羽仁五郎だとか全集が発行されたらいいのにと考える学者は武谷以外にもいる。

私が肩入れをしている、もう一人の学者である、数学者の遠山啓の方は『遠山 啓著作集』(注)が太郎次郎社から出版されているし、いまも多くの出版社から前著の復刻版やその他の書籍が出版されている。

ところが武谷三男の方はインターネットの古書販売である、「日本の古本屋」でも遠山に比べて半分くらいに数である。

これは何を意味するのか。日本人の物忘れの早さには驚いてしまう。

遠山は自分の活動の場として数学教育協議会をもっていたし、晩年には数教協の活動の大部分を銀林さんにまかせて、雑誌「ひと」を活躍の場とした。そこで書いた文章も多く、それに感動した多くの人がいた。

ところが武谷は雑誌『技術と人間』等への寄稿はあるものの、そういう意味での自分の発表の場をもっていなかった。そこらが遠山とはちがいである。

(注)遠山啓著作集は 数学教育シリーズ(全14巻), 教育論シリーズ(全5巻),数学論シリーズ(全8巻)からなる。