もう研究をしてはいないので、大量の計算をするということはない。
だが、じゃあ何もしていないかとそういうことはなくてプリントをし損ねた紙の裏にちょこちょこと計算をすることが多い。
その計算は思い通りはいかないことが多い。それでもときどき計算の筋が通ったときには別のレポート用紙に計算を清書するのが普通であるが、そういう風に筋が通ることなどまれである。
だから、それらの紙片は結構時間が経てば増えることになる。もうこれは何の役にも立たないと思って捨ててしまうものもあるが、私は計算が下手であるので、計算をまとめた後でもその草稿の紙片を捨てないでとっておくことも多い。
文書としてまとめた後でもその文書を読み直していて、書き写しのミス等が往々にしてあるので、そのときにすぐ訂正できればいいという考えからである。
そういう次第であるから、計算の紙片が私の机からなくなるということにはなかなかならない。それで一定の時間が経つと、これは机のごみになるから最近はフォルダーを買ってきて、それにファイルしている。
計算の草稿であるから、あまり後で見ても何を計算したのかわからないこともあるが、その量は一年にはフォルダーの2,3冊分くらいにはなる。
こんなことをすると私が死亡したときに家族がその処理に余計な手間をとられることは事実であるが、なかなか捨てられない。
書籍が邪魔者だと妻にいつも言われているが、それだけではなくこういった計算の紙片も結構大変であろう。
もっとも私が生きている間は意味があるけれども死んでしまえば、意味がないから、きれいさっぱりごみとして廃棄できるなら家族はせいせいするであろう。が、それを廃棄処分にしなければならないという、無駄な仕事を残すことになる。