あおぞら文庫というのがあって、そこで死後50年を経て著作権がきれた、作家の作品を読むことができると妻に言ったら、まずスマホでそれを読んでみようとしたらしい。
が、どうも画面が小さくて読みにくいということでtabというのを買い込んで最近読んでいる。
夏目漱石の「坊ちゃん」は直ぐに読んだが、つづいて「吾輩は猫である」を読んでいるが、これはなかなか長くてまだ数日たつが読み切っていない。
その中に首吊りの力学というのがあるだろうと言ったら、そこを先日読み上げてくれた。
読み上げてくれたのを聴いただけではすぐに理解できたわけではないが、要するに数人の死刑囚を同時に並べて吊るすというときの、ひもにかかる横方向の張力が等しいというような式を立てているらしい。
この話は寺田寅彦がモデルと言われる寒月君の話を漱石が書いたのだが、このときにこの小説に出てくる数式に対する反応がおもしろい。クシャミ先生とメイテイさんは数式が出てくるとそこら辺は適当に飛ばしてとかなんとか言っている。
これが一般の人の数式に対する反応だと思って苦笑した。私などもときどき数式を含んだエッセイを書くことがあるが、一般の人々の反応がおもしろい。
あなたのエッセイの数式のないところだけ読みましたとか、言う方が大多数なのである。最近ある方に「ドイツ語圏とその文化」1号と2号を送ったら、その人は一般の人なのに、「私は数学が得意です。読んでみます」と返事が来たのだ。
こういう例は極めて少ない。
「社会には二つの文化がある」と言ったのはイギリスの文明評論家であったスノーであった。かれはケンブリッジ大学で物理学を学んだ方なので、もちろん数式を解する人である。
私の子どもが5年間の会社勤めで数学をすっかり忘れていたと言っていたから、かなり長い間、それも大学まで含めた学校で数学や数式を含んだ学問を学んでもすぐにそういうことを忘れてしまうものらしい。
あまり人のことばかりを言うことはできない。高校時代にきちんと覚えたはずの因数分解の公式がこの年になって来ると怪しげになってきた。
それで、1年くらい前に「因数分解の公式を忘れたら」という数学エッセイを書いた。