これは朝日新聞の連載記事である、磯田道史さんの3月22日の分から、ちょっと好奇心に駆られたことを記す。
磯田さんという人は映画になった『武士の家計簿』の元となった資料を発掘して本か論文を書いたことで有名な歴史研究者である。
3年前の東日本大震災で人的被害の極めて少なかった村ではそれなりの津波の被害を最小限に食い止めようとした先人がいたという話であった。
それだけなら、あまり関心が起きないのだが、2011年に20mを越える津波に襲われたというのに、1人の行方不明者は出したが、あと死者等は出さなかったという。
その先人の名前は元村長の和村幸得さんだという。そしてその和村さんがこだわったのが堤防の高さで15.5mだったという。そしてさらに堤防の外に住宅を建てた人々のために水門を建設したという。
数字を見ただけで疑問に思ったのはもし3年前に20mの津波が村を襲ったのならば、堤防の高さが15.5mでは物的被害もやはりかなりあったであろう。その辺の事情は書かれていないのでどうだったか知りたいところである。
死者を出さなかったのはつまりハードな堤防とか水門だけで防げたではなかったのではないか。
もちろん、ヒントはこの記事に書かれてはいる。それは津波の力に逆らわぬ堤防の設計をすすめたとある。それがどのようなものであったかを知りたい。
それとそのような堤防の建設に尽力した土木技師の佐々木さんの存在である。
このような話を読むとオランダのゾイデル海の堰堤を設計した、オランダの物理学者ローレンツの話を思い出した。ローレンツの話は物理学者の朝永振一郎さんがエッセイを書いており、それはある年代の科学者や技術者にはよく知られている。
その話を磯田道史さんがご存じかどうかはわからない。
ご存じかどうかはわからないので一度こういう事例がありますよと教えてあげた方がいいのではないかと思っているが、面倒でそのままになっている。
彼の歴史学研究にローレンツの事例があるということが特に役に立つとは思わないけれど。