物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

言語と家族と

2017-04-24 13:59:30 | 日記

言語が大切なものであることは当然だろうが、私は言語が一番大切という考えに対してはちょっとそうだろうかという考えをもつ。

アダマールという数学者が書いた『発明の心理』(みすず書房)という本がある。この中にいろいろな数学者とか物理学者に新しいことを考えつくときにどのように考えているかというアンケートがあり、それにアインシュタインがどうも自分は言語では考えていないというような答えをしている。

だからというわけではないのだが、私は言語が一番基本的なものだという考えをする人には警戒感をもつ。家族という語にもどうも同様である。家族はあるときには勇気づけられたりするし、ある場合は生きがいにもなる。それは否定しないし、それはいいことでもあると思う。

あるタイプの人は言語で考えるというが、そういう人も中にいるのだろうが、大多数の人はそうではないのではないかと思っている。

話は飛ぶが、羽仁五郎は家族の語源は奴隷だということをどこかで述べていた。家族はある意味で束縛でもある。家族は家族でそれはそれでいいのだが、手放しで喜んでいるわけではない。

そういう視点をもちながら、やはりもう一つとして家族を大切にしたり、子どもや孫を生きがいにするのならそれはそれでよい。だが、それだけで他のことに盲目的であるとすると、やはり楯の一面しか見ていないのではないかという気がする。

こんなことを考えたのは土曜日にあった雑談会でのレポータの K さんの論の立て方にちょっと違和感を感じたからである。すぐにそのことを K さんに意見として述べたのだが、多分理解はされなかっただろう。というのは誰でも自分のことしかわからないからである。

だからけしからんという気はない。大体、人間というのは他人を理解するということは難しいのである。特に、K さんのように長年の間を自分の考えをまとめることに費やしてきた人にとっては難しいだろう。

本に書かれたものを読んで理解することは K さんには難しいことはないだろう。だが、私は K さんとはまったくバックグランドが違っている。K さんは農業が社会の基になると考えている。人間が生きていくためには何かを食べていかないと生きていけない。

だから、農業が基本と考えたいのはあるていど理解できるが、だからといって日本の経済的基盤が農業にあるというふうに理解することはまちがっている。

他人との理解には言語が大切なことは当然であるが、それだからといってすべてが言語から生じるというふうな理解はやはり底が浅いと思う。そういうところが K さんに理解されたであろうか。