物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

靴ベラ、孫の手

2017-04-04 11:45:25 | 日記

とかはそんなにいつでも使うことはないのだが、それでもそれがないと困ることもある。

最近新しい靴を買ったので、靴ベラが必要になった。それがないと靴を履くときにちょっと苦労する。孫の手などもいつでも必要なわけではないが、背中の手が届きかねるところがかゆいなどというときには便利である。こういうものはどこの家にもあるのではなかろうか。

そういうモノとは違うが、昔よく使ったものに電動の鉛筆削りとか電池で動く字消しがある。どちらもいまは少なくとも使っていないが、電動の鉛筆削りは昔計算をよくしたので、電動の鉛筆削りが必需品だった。

その後、シャープペンシルを使うようになり、電動の鉛筆削りからは縁が切れた。もっともシャープペンシルは日本で製造されてものは芯が細くて使い物にならないとこぼしたら、芯の細くないシャープペンシルもあるということを教えられた。これはドイツ製のシャープペンシルであった。

先日、雑誌『窮理』の6号を読んでいたら、朝永振一郎さんとか戸田盛和さんとかの書かれたエッセイは鉛筆で書かれており、そのエッセイを受け取った出版社の編集部員はその原稿から消しゴムのカスを払うのがまず最初の仕事だったとあった。時代を感じさせる話である。

いまでは、エッセイだって、論文だってパソコンで書くのだろうから、消しゴムのカスを払う必要などなくなっている。

そういえば、大学の卒論研究の発表だって、いまはパワーポイントでの発表であろうが、昔は大きな紙にマジックペンで書いたものを重ねておいてそれを一枚づつ外しながら、発表したものだ。その後、OHPができたときには目を見張ったものだが、いまではOHPを使う人などもいないだろう。それでもときどき徳島科学史研究会などで発表にOHPを使っているのを見かけるような気もするけれども。

 


花見一期一会

2017-04-04 10:57:43 | 日記

妻が今年もいろいろなサークルの人々と花見に出かけると言って出かけた。そのときに「来年の花見ができるとは限らんからね」という。

確かにそうではあるが、人間は楽天的なもので、今年中に死亡するような運命を抱えていてもそれは後からみてそうだったということであり、来年の花見もできると思っている。そうでなければ人間生きてなどいけない。

 

妻の属しているクラブは書道クラブだったり、パソコンクラブであったり、または医療生協の支部であったり、または歌声喫茶グループであったりする。なにせ気の多い人であり、人とつきあうのが好きなのである。そしていつのまにかそのクラブを取り仕切っていたりするから不思議な存在である。

もっとも車にメンバーの誰かを乗せて花見に行ったりするから、うまく使われているという面も大いにある。もっともそれが苦にならないのだから、私などは理解に苦しむところである。

昨年は松山市の石手川沿いのある場所に花見に連れて行ってくれた。そこには近くにス-パーが会って、商魂たくましく、そこでは花見弁当を売っている。そこで弁当を買って一時間か一時間半ほどの花見を楽しんだ。もっとも一昨年だったかにそこであった老齢の女性の H さんは昨年亡くなったと聞いた。

だから花見一期一会は現に私たちが経験していることでもある。この H さんと知り合ったのは1月に数年行っていた京都は南座での歌舞伎見物のバス旅行である。この人は演劇に関心が深かったのであろう。市民劇場(旧労演)の理事を長い間勤めておられた。

ときどき観劇に妻と行ったときに、観劇後にその会場のホールでお見かけしたりした。そういえば、演劇グループを率いていた別の H さんも昨年亡くなった。この人は少年のときに特攻隊か飛行士の一員であり、そのせいもあろうか、反戦の姿勢の毅然とされたかたであった。