とかはそんなにいつでも使うことはないのだが、それでもそれがないと困ることもある。
最近新しい靴を買ったので、靴ベラが必要になった。それがないと靴を履くときにちょっと苦労する。孫の手などもいつでも必要なわけではないが、背中の手が届きかねるところがかゆいなどというときには便利である。こういうものはどこの家にもあるのではなかろうか。
そういうモノとは違うが、昔よく使ったものに電動の鉛筆削りとか電池で動く字消しがある。どちらもいまは少なくとも使っていないが、電動の鉛筆削りは昔計算をよくしたので、電動の鉛筆削りが必需品だった。
その後、シャープペンシルを使うようになり、電動の鉛筆削りからは縁が切れた。もっともシャープペンシルは日本で製造されてものは芯が細くて使い物にならないとこぼしたら、芯の細くないシャープペンシルもあるということを教えられた。これはドイツ製のシャープペンシルであった。
先日、雑誌『窮理』の6号を読んでいたら、朝永振一郎さんとか戸田盛和さんとかの書かれたエッセイは鉛筆で書かれており、そのエッセイを受け取った出版社の編集部員はその原稿から消しゴムのカスを払うのがまず最初の仕事だったとあった。時代を感じさせる話である。
いまでは、エッセイだって、論文だってパソコンで書くのだろうから、消しゴムのカスを払う必要などなくなっている。
そういえば、大学の卒論研究の発表だって、いまはパワーポイントでの発表であろうが、昔は大きな紙にマジックペンで書いたものを重ねておいてそれを一枚づつ外しながら、発表したものだ。その後、OHPができたときには目を見張ったものだが、いまではOHPを使う人などもいないだろう。それでもときどき徳島科学史研究会などで発表にOHPを使っているのを見かけるような気もするけれども。