物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

桜の満開がつづく

2017-04-13 12:30:14 | 日記

昨日も天気が良かったが、今日も悪くはない。それで桜の満開が続いている。普通は桜の満開から散るまでに1週間くらいはあるであろう。

だが、昨日まで雨天とかで天気があまりよくなかった。もう大学の入学式もすんだようで今年は数日遅れての満開である。近所の松山地方気象台の庭にも桜の木が数本あるが、そろそろ散り始めている。

城山に登るほど時間的な暇はないので、たかだか車の窓から石手川の河畔のサクラとかを車で通り過ぎながら、見るくらいしかできない。昨年は石手寺の近くの岩渕石手川の上流のというところで1時間ほど花見をした。石手寺の後ろの山には弘法大師のコンクリートの像が下の私たちを見下ろしている。

いつだったか春にドイツ人のグループがホームステイで松山に来られたことがあったが、そのときには私の家ではホームステイの宿は提供しなかった。その機会に石手寺で出会ったドイツ人グループをボランティアの日本人女性がきれいなドイツ語で案内をされていた。それで弘法大師の像が山の上にあると話をされていたので、「石でつくった(aus Stein ?)?」と聞いたら、"Nein, aus Beton"と言われたのでコンクリ―ト製だとわかった。

それにしてもドイツ語の上手な方がおられるということをそのときに知ったが、あまりよくその方を存じ上げてはいない。英語も上手なかたらしく、本来は英語で観光ボランティアをされているというふうにそのとき聞いた。


子どもをもつことは

2017-04-13 12:10:24 | 日記

人生を2倍に生きるような気がする。ちょっとどう表現したらいいかわからないのだが、自分の人生をもう一度体験しているような気がしたものだ。

確かにどんな人でも幼児であったはずだが、その経験はあまり直接的ではない。というか記憶としては自分にはあまり残っていない。だが、子どもをもつとその幼児体験をこれは自分の幼児体験ではないが、直に見ることができる。それは自分の子どもという他人の体験ではあるが、育てる立場にいまはあるので、より近く幼児であることを再体験できる。

子どもをもつという人としての重大な責任もあるが、それ以外にとても得難い体験を人生でさせてもらえるということだ。そういうことを何十年か昔に感じた。だからかどうかわからないが、妻も子どもをもったことで親として貴重な体験をさせてもらったのだと改めて最近になって述懐していた。

いろいろな理由で子どもをもてない人とか、もたなかった人とかはそれはそれでいいと思うが、やはり人としてある種の貴重な体験を逃しているという気持ちもする。

だから、もし万一子どもをもたないなら、人生において別に違った大胆な試みをしてほしいと思う。人の生き方はそれぞれであるので、どれがよくてどれが悪いとか言うことはできない。


熱力学第一法則

2017-04-13 11:19:51 | 日記

として、内部エネルギーの変化dUは外部からした仕事d'Wと外部から得た熱d'Qの和に等しい。これが熱力学第一法則dU=d'Q+d'Wであるが、この右辺のd'Qとd'Wとは不完全微分だが、それをたした内部エネルギーは完全微分となる。

これがとても不思議な気がしたものだ。ところがこのことをきちんと説明したテクストがあまりないような気がしている。もっともこれは物理学者の書いたテクストという意味だが、ムーアの『物理化学』上(東京化学同人)にはその説明が出ていたと思う。

それでそれを読んだときにはなるほどと思ったものだが、その内容をよく理解していたわけではないので、もう一度読み返してみないとどういうことだったのかわからない。

私の学習のしかたが、不十分であったために実はdU=d'Q+d'Wで熱力学第一法則が表されるというふうに理解ができていなかった。これは前にもこのブログに書いたかもしれないが、入試問題の作問委員会である先生の話からようやく認識したというお粗末な話であった。

金属工学科に数年属していたことがあったので、そのときにやはりきちんと熱力学を学んだある同僚の先生から完全微分という言葉を教わったが、これもやはりムーアの『物理化学』に詳しく出ている。

その後、定年前の4,5年自分で熱力学を教える機会があったので、生まれて初めて熱力学を人に教えるという経験をもつことになった。もっともこれは初歩の熱力学であるので、あまり難しいことは必要がなかった。

それでも自分で理解していないことは学生に教えることができないので、努力してみたが、やはりつけ刃であったろう。