ワイルの『群論と 量子力学』は東京大学数学科を退学して、数学をやるかどうかを決めかねていた遠山啓にもう一度数学を学んでみようと決意させた書だという。
そして、敗戦後の1945年に 東京工業大学で自主講義「量子力学の数学的基礎」を行って学生に感銘を与えたという。吉本隆明だとか奥野健男とかもその講義を聞いたという。
それらの講義がその当時の大部分の学生に理解できたとは思わないが、戦後の混乱の中でも悠揚迫らず、落ち着いてそういう講義を学生の要望にもとづいて自主的にしていた、遠山の姿にその講義を聞いた学生は感銘を受けたという。
その当時、学生がどこかで手に入れて来た、牛肉をその講義のお礼にもらったと遠山は書いていた。食物もあまり手に入らない、その当時では牛肉はとても貴重であったろう。それくらい学生が遠山の講義に感謝をしていたという証でもあろう。
ところで、このワイルの『群論と 量子力学』は武谷三男にも感銘を与えたことが知られている。もっとも武谷はその当時に出た山内恭彦訳の訳書(裳華房刊行)を読んだ。そしてその1冊が武谷史料研究会会長の三本龍生さんの手元に残っている(注)。
三本龍生さんは現在、武谷三男の元蔵書とか文献を保管している方である。この『群論と 量子力学』の本はもう製本が壊れてしまってほとんど2つの部分に分解しているけれども。それでも読むことができる。ページのそこかしこに鉛筆での武谷による書き込みがある。
そういうときが来るのかどうかはわからないが、いつかはその書き込み等を詳しく調べてみたいと思っている。武谷は訳書で読んだのだが、遠山の方は『群論と 量子力学』をドイツ語の原書で読んだのだと思われる。
私などはそういう難しい著書で量子力学を学ばなかったし、大学での講義もすでにしっかりしたものであった。もっともそれでも量子力学の講義はなかなか難しいと感じた。
最近になって、『遠山啓』(太郎次郎社エディタス)という遠山の評伝が出た。数学教育界で大きな業績を残した遠山の評伝が今まで出なかった方が不思議なくらいであるが、その空白が埋められたことは喜ばしい。この書を編著された友兼清治さんに御礼を申し上げたい。
ちなみに遠山さんは1909年の生まれであり、武谷は1911年の生まれである。ついでにいえば、物理学者の湯川秀樹は1906年生まれ、朝永振一郎は1905年生まれである。