物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

観察眼

2018-04-12 17:40:21 | 日記

ブログを書く人のかなり部分にある写真を多く載せている人がある。これはなんでもないようだが、やはり緻密な観察眼がないとできないということを知った。なにがおもしろい、珍しい花かとか景色が珍しい人に見せるに値するのかとか矢張り判断が要求される。

私はあまりそういう視覚的な人間ではないので、むしろ聴覚的なところがある。そうはいってもあまり音楽が趣味という訳でもないからますます難しい。

いまのところは耳はそれほど悪くないつもりだが、妻などからはテレビの音声が大きすぎると注意されたりするから年相応に耳が聞こえなくなっているのかもしれない。

毎日、何か細かなところを思いついてそれをもう10年以上つづけてブログに書いてきたわけだが、なかなかそうはいっても人がアッと思って感心してくれるようなことは思いつくものではない。

自分ではあまり何も考えてはないつもりだが、それでも勝手に自分の頭がなにか考えているらしい。どうせくだらないことだとは思うが、そういうものである。

だからやはりモノを見ての観察眼ではないが、なんらかの観察眼が私の場合にも必要であろう。


The paper is mightier than the memory

2018-04-12 10:45:40 | 日記

これはもちろんThe pen is mightier than the sword. (ペンは剣よりも強し)をもじったものである。最近のマスコミをにぎわしている「愛媛県の文書は元首相秘書官の記憶よりも確かだ」ということであろうか。

これなどは多分首相官邸とか他の省庁にも同じ文書があったのかもしれないが、その存在はなかったことにされてソンザイシナイと言い張られている。こうなると誰だって本当のところはと憶測したくもなる。

これは真実がどうであるかよりも一般の人々の関心を呼ぶことだからである。一般の人々がどう思うかまでは強制して一律にすることなどできない相談である。

ジャナーリズムではないから、私どもには真相はわからないが、だからといっていろいろ憶測することを誰かがやめさせること誰にもできない。

これはどんな独裁政権下でも、権力に批判的な世の中の皮肉な冗談までを禁止できないのと同様である。