物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

もう4月が終わりそうだ

2018-04-27 18:31:21 | 日記

この間3月になったと思ったら、すぐに3月は過ぎて、もう4月が終わりそうになっている。それだから、ガスストーブはまったくつけないという訳にはいかないが、ほとんどつけないですむ、いい季節となった。それに空気を冷やすエアコンもまだ必要ではない。

電気代というか暖房代とかが比較的安くつくいい季節となった。6月の梅雨のころにはひょっとしたら湿度を下げるためにエアコンを使うかもしれないが、まあまだエアコンは使わないだろう。

10月半ばくらいから12月ちょっと前までと春先の現在が日本で一番いい季節となる。冬の寒さは暖房でなんとか切り抜けられるが、7月8月の高温多湿には長年日本人をやっているが、なかなか困らされる。これがヨーロッパ人なら、夏の間は自分の国に帰るなどということが考えられるのであろうが、こちらはなにせ日本生まれの日本育ちなのだから、どこにも逃げていくところがない。

友人が長野県に山荘風の別荘を数年前にもつようになったので、いつかたずねてみようと思いつつも先立つものがなく、なかなかそうもいかない現状である。


『近代日本の一五〇年』を購入

2018-04-27 13:49:53 | 日記

『複素関数論』の本と共に山本義隆『近代日本の一五〇年』(岩波新書)を購入した。しかし、どうも彼の著書は難しい。そういうことを言っては失礼なのだろうが、彼はなんでも徹底的に調べて書くので、難しくなる。

もっともちらっと見たところでは彼は科学技術という用語を特別な意味に用いているらしいことがわかった。これは武谷三男の技術の定義との関連において関心がある。

山本さんの科学技術の定義が18世紀末以降の科学と技術をさしていうらしい。それ以前の科学と技術とは全く別物という見解らしいが、意識的に科学がというか「客観的法則性が生産実践において意識的に適用された」のは19世紀以降だというのはちょっと考えが狭すぎないか。

山本さんはいろいろ科学史や技術史を調べて、多くの著書を著している人に弓を引いて悪いが、どうもちょっと言葉のあまり限定的な使い方ではないのかと昔の知人の一人としては思うのである。いやこれは私自身の直観であって、よく調べた結果の見解ではない。


複素関数論

2018-04-27 11:46:50 | 数学

の本を愛媛大学生協から受け取ってきた。

これは『複素関数論』(森北出版)である。著者は5人であるが、辻良平、柳原二郎、西尾和弘、佐藤シズ子、吉田克明の諸先生である。ちらっとみたところでは分岐点の定義はあからさまに書いてないが、「分枝」という用語はあって、log (1+z), arctan zは多価関数だが、z=0のところで1価関数(主値)となっていると説明がある (p. 73)。

これは私が年来わからなかったところだが、わかったと2005年に『数学散歩』(国土社)pp. 126-127で書いたことである(注)。もちろん私が初めて言い出したことではない。私は故安倍斉先生(愛媛大学元名誉教授)の『応用関数論』(森北出版)pp. 41-42とかベル(銀林浩・田中勇 訳)『数学をつくった人びと』下(東京図書)p. 194で知ったことであった。

それに虚数単位 i の導入のしかたがよいことはすでに先日のブログで述べた。ただ、この書では解析接続の方法についてそれほど体系的には述べていないようである。もっとも記述か全くないわけではない。

(注)『数学散歩』(国土社)は現在品切れで購入したくても購入できない。その代わりに『物理数学散歩』(国土社)が出されているが、これも出版社では品切れかもしれない。著者の手元には100冊以上も在庫してはいるが。

アマゾンコムでは、この書の古書が1万円を超えて値がついていた。この本の価値を認めた方が古本として売ろうとされているのだろうか。そのことはうれしいが、ちょっと驚いている。

また、『数学散歩』(国土社)の出版は2005年だが、その当該記事をはじめて発表したのはもっとはやく1996年6月であり、これは愛媛県数学協議会の機関誌「研究と実践」に掲載された。