に関心をもったことがなかったが、最近では複素解析がかっている。
とはいってもできるだけやさしい複素解析の本を読むとか、どこかのサイトの記事をプリントして読むとかである。はじめは二つほどサイトの記事を読んだ。
Cauchy の定理の証明がとても簡単に書かれていることをこれらのサイトの記事で知った。Cauchy の定理の証明がいろいろあるらしいということがわかった。関数論の講義で聞いたことがあるのはなかなか面倒な証明であった。これも先々月の「数学教室」の記事で示されてあったのは「Cauchy の定理」の Goursat による証明とかであった。
しかし、これを見ても私が聞いた関数論の講義での証明よりは易しい感じがした。感じがしたとしか言えないのはもともとの50年ほど前に聞いた講義の証明のしかたなどまったく覚えていないからである。
この講義をされた及川先生はそれ以前は東工大の助手だった方だが、私の学んだ大学の助教授を勤められた後は、母校の東京大学に転勤になった。その後、リーマン面についての専門書を著されたのを知っているが、定年後だったかにわりと早く亡くなれた。
この先生は自分の講義に出て来なくても試験に通れば、それでもいいですよと常々言われていた。それで Cauchy の定理の証明を聞いた後に、すぐに講義に私は出席しなくなった。
試験のときに私は可の評価で単位をもらった。これは数学教室の掲示板での通知で知った。それでも単位の認定がなぜだか、なかなか学務係にでなかったのでたまたま理学部内で出会った先生に直に申し出たら、「お情けの可だったかね」と言われたが、すぐに調べて「堂々たる可だったね」と前言を修正された。
もっとも評価が可であることには「お情けの可」も「堂々たる可」もあったものではない。可は可である。あまり褒められたものでないことにはなんら変わりはない。
一般に言われていることかもしれないが、理学部での数学科生が対象の微分積分学では集合論の基礎の話が講義の大部分で私たちの物理学科の学生からはとても評判が悪かった。物理学科の学生の方が数学科の学生よりも数式の計算は達者であったと思う。
それで計算達者な多くの連中が理学部の微分積分の単位を落としてしまった。私は前期の微積分の単位はどうしたことか最低線で単位をもらっていた。しかし、これと同時にあった解析幾何の単位がこれまた最低線であったので、こちらの方に危機感を感じていて、後期には解析幾何の方に力を入れたら、こちらは単位をもらったが、その影響もあってか後期の微積分の単位を落としてしまった。
この話には後日談があって、同級生だが、一年私が遅れてしまって一年上の学年となっていた、G 君がこの後期の試験の後にやって来て、Y というローマ字ではじまる学生が比較的解析幾何の成績がいいから、そのノートを借りて勉強しなさいと先生から言われたからノートを貸してくれといったので貸したら、そのノートは2度と私のところへは帰って来なかった。
山県とか、山川とか私だとか Y で始まる学生が少なくとも解析幾何の成績が良かったのは確かであろう。もっとも成績が比較的よかったと聞いていたので、優の評価をもらったのかと思っていたが、留学をするときに資料として必要になって、大学時代の学部の成績を取り寄せたら、なんのことはないただの良であった。
2年生の後期の微分積分の単位を落としたので、3年生の後期はこの微分積分学の単位をとることがかなり多くの私たちの重要な問題となった。I という同級生などはこれだけやっても微分積分の単位がとれなかったら、4年のときには点字をならってカンニングをするしかないとまで冗談まじり、半ば本気で言っていた。もっとも後期の試験の後にはそのことを2度と口にはしていなかったから、結局首尾よく単位をとったのであろう。
もっとも3年のときにも微積分の後期の単位を落とし、4年ときにも試験に失敗して単位を落とした同級生もいたが、指導教官が数学の先生にかけあってくれたのか、この Y 君も卒業式には出て来ていて、無事に卒業したから、最終的には数学の先生も無情ではなかったのかもしれない。
もっとも、こういう数学の先生にかけあってくれる指導教官をもたなかった、一年下の W 君は微積分の単位がとれなかったために卒業が一年遅れてしまった。そのためということもあったのであろうか。この W 君は発奮してつぎの年には京都大学の宇宙物理学科の大学院に入学した。
ながらく、この W 君は N 大学の研究施設に勤めていたが、I 大学の教授となり、もう定年となっている。まだ健在だとは思うが、その消息を知らない。この I 大学の教授のある方からも現在どこにおられるかわからないとしか聞いていない。