とはペンネームで、本名は野坂参三だという(注)。これは先日に妻が錦州日記という、ある満州にいた人が書いた日記をパソコン入力していると書いたが、その中に岡野進という人が出てくるという。
まったく他人の日記を頼まれてパソコン入力しているのだが、その話はだんだん日本の現代史とつながってくる。そのために急に身近なものとなってきた。
私の親戚にもご自身は満州帰還者ではないが、両親とか兄弟が満州で亡くなってしまった人がいた。いたと過去形で書いたのは昨年だったかにこの人が亡くなってしまったからである。
生きている間に彼の弟が生きているのではないかと中国の在留日本人の中を探したりしたが、結局は見つからなかった。そういう満州からの帰還者だった世代はもうほとんど亡くなってしまった。それでも妻の知人には高齢とはなっているが、満州からの帰還者もおられるという。
この錦州日記からそういう満州帰還者の人たちの集いを開く機会ができるかもしれないというところまで話にでるようになった。過去は現在にまで生き残っている。
漢字の難しいのが出てきたりするし、また歴史的事実として満州について、スマホで妻はにわか調査をしたりしている。それによると満州と言われた、今の中国東北部には日本人が170万人入植していたという。そして日本に無事帰還できた人数は105万にだという。そうすると約65万人の日本人が敗戦時に満州で亡くなったと推定されるという。
パーロと言われる八路軍だとかソ連軍だとかはたまた国民党の正規軍だとか入り乱れているらしい。まるで映画のシーンを見るかのごとくである。
100頁ほどの手書きの原稿の入力も最終段階らしい。助詞を補ったり、難しくて現在では使われていない漢字を現在の若者が読んでもわかるように少し手を入れたら、入力は終わりとなるだろう。
(注) 岡野進は野坂参三のペンネームだということもインターネットで知った知識らしい。野坂参三はかなり変わった考えの共産主義者であった。天皇を共産党の頭に担いだ共産主義を考えていたという。これは日本では実現はしないであろうが、それでも日本では天皇中心でことを進めないと上手くいかないだろうという、その洞察はなかなかおもしろい。また、野坂は経済学者の野呂栄太郎と交流があったらしい。
こういうことをインターネットで瞬時に知ることができる現在はすごく、いい時代である。