以前の私の同僚であった S さんは金属の格子欠陥か何かの専門家であったが、多分7,8年くらいアメリカに住んでいたので、「日本語で文章を書くのは苦手で、いつも英語で書いた方がいい」と言っておられた。
これはたぶん本当にそうなのであろう。その S さんも亡くなってもう数年が経つ。私などはまだ英語で書くのがやさしいなどということなどまったくできない者だが、英語で書きなれて来て、ある程度使える英語の語彙をもてるようになれば、面倒なことなどは関係代名詞や関係副詞をつかって書けば、すっきりとするのは当然なのかもしれない。
だが、そのためにはまず発想法が変わらなくてはいけないだろう。ドイツ語でも関係代名詞や関係副詞は使えるはずだ。だが、発想が残念ながらいつまでたっても日本語的な発想であるので、すっきりした書き方ができない。
ドイツ語の文語にはあまり口語では使わない、冠飾句というのがあってちょっと日本語の形容詞が名詞に係るような面倒な書き方がある。
私が学んだQED(量子電気力学)のテキストはスウェーデン人である、K"allenがドイツ語で書いたQEDの本であったので、彼はドイツ語を母語にはしていないので、分かりやすいドイツ語であった。ところがK"allenのQEDの前にあった量子力学の部分を書いていたのはPauliで彼はドイツ語が母語であるから、こういう冠飾句をけっこう用いている。これではなんだかドイツ語を難しく感じる。冠飾句は大抵の場合には関係代名詞を用いた文章で言い換えることができる。
いつかもこのブログで愚痴ったことがあると思うが、ドイツ語を学んだ初期の学生のころドイツ語がまったくわからなかったのはこの冠飾句の方ではなくて、動詞の枠構造の方であった。そういうhaben(haveに相当する)だとかsein(beに相当する)だとかを助動詞として使うときに本動詞が過去分詞のかたちで文末にくるとか、助動詞構文では本動詞は人称変化せずに文末にくる。
そういうことに気がつかなかったというか、知らなかったから、ドイツ語がわかる人なんてすごい秀才なんだとドイツ語を学び始めてから、数年思い込んでいた。
孫が一昨年生まれたが、彼女が将来ドイツ語を勉強するかどうかはまだわからないが、もし教える機会があれば、まっさきにこの動詞の枠構造のことを教えたいと思っている。