Idylleとかidyllischというドイツ語を知っているようだと、多分初歩のドイツ語の域をすでに出た人であろう。Idylleは日本語に訳すると「牧歌」とか「田園詩」とかであろうか。idyllischは「牧歌的」とでも訳すことができよう。
ところがところがである。「牧歌」という名詞は聞いたことがなかった。それで牧歌を先日国語辞典で調べた。これは「牧人が歌う歌」という意味である。のどかな田園風景や牧場の景色が思い浮かぶ。「牧歌」という名詞は聞いたことがなかったが、形容詞の「牧歌的」という日本語の方は知っていたのだから変なモノである。
だから、ドイツ語のほうでも名詞のIdylleよりも形容詞のidyllischの方を先に知っていたから、おかしなものである。
「ドイツ語2000」Deutsch 2000という初歩のドイツ語を学ぶテクストがあった。もちろん、ドイツでつくられたテクストである。だからドイツ語をもし2,000語知っていたらドイツで日常生活には困らない。もっとも知的な生活ができるにはもう少し語彙を知っていなければならない。
私が自分で判断するに、もうドイツ語の私の知っている語彙は2,000よりは多いと思う。だが、自分で使えるドイツ語と言えば、やはり2,000語のレベルであろうか。聞いてわかる語彙はもっとあろうが、それでも4,000もあるかどうか。
これはH大学での学生のときに、ドイツ語の羽田先生が授業で言っていたことだが、日本の大学生がドイツ語の語彙としては3,000から4,000くらいのレベルだという。そして、教養あるドイツ語を母語する人なら、8,000から10,000語くらいだと言われていた。
羽田先生は旧制の松山高等学校始まって以来のドイツ語のよくできた学生だったと、羽田先生を松山高等学校で教えられた M 先生が言われていたと、これはもう何十年も前に亡くたった、私の兄から聞いたことがある。
私の兄は E 大学でこの M 先生からドイツ語を教わった。もっとも私の兄は英語が不得意であったから、大学での第一外国語にドイツ語を選び、第一外国語の必須である、8単位のドイツ語の単位をとるのに悪戦苦闘した部類であった。
こういう兄の判断は, 英語はしかたがないが、ドイツ語ならば、大学に入ってみんな一緒に学びはじめるのだから、英語ができなくてもどうってことはないだろうという判断であった。この判断が間違っていたのはいうまでもない。
私自身は大学でドイツ語の単位をとるのに悪戦苦闘したという記憶はないが、それでもそれは単に単位をとっただけのことで、ドイツ語の力がまったくついていなかった。まったくドイツ語がわからなくても、大学で単位だけはとれるのである。