イタリア語のことを書く。イタリア人のAlessi氏は日本語を話すのだが、イタリア語の発想のまま日本語を話す。
彼は話のはじめになんでも「あります」とはじめる。そしてその後ろにあるものが出てくる。それでもこちらには十分わかる。これはイタリア語での c'e (チェ)とか ci sono (チ ソノ)とか英語で言えば、there is とか there are にあたることばである。
これだと主語となるものが後から出てくる。たしかにthere is だとかthere areだとかで、「何があるのか」は後から出てくる。
もう一つ、Alessi氏とのやり取りで覚えていることはこれは大学の食堂でお昼の時間に出会ったことがあった。その時に、「昼間は何をしているのですか」と日本語で質問したら、彼はこの昼間というを聞いたことがなかったらしく、とまどってしまった。
もし今なら、in giorno(イン ジョルノ)とか言ってあげられたかと思うが、そのときに説明できなくて気まずい思いをした。彼は自分が書きためた分厚いノートを持ち歩いており、それが彼が日本語について勉強したノートであった。
私など音声としての外国語としてはまずはフランス語に触れ、つづいてドイツ語に触れ、その後にイタリア語に触れたわけであるが、そんな分厚いノートなど、どの言語に対してもつくったことがないという不届き者である。
だからという訳でもあるまいが、いつまでたってもなかなか片言のドイツ語とかフランス語しか話せない。