物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

『物理学天才列伝』下

2018-08-20 10:33:41 | 物理学

ブルーバックス(講談社)を図書館から借りてかえって、その一部を拾い読みしている。

私がおもしろかったのはチャンドラ・セカールであった。南部さんの『素粒子』(ブルーバックス)だったかに天文台からシカゴ大学まで大学院のセミナーをするために出てきていたとか書いてあって、彼のクラスの全員がノーベル賞をとったと説明があった。

これはリーとかヤンとかがその直後にノーベル賞をとったことを意味してもいた。そのうちにチャンドラー自身がノーベル賞をとる。

わたしが関心をもったのはチャンドラーの最後の研究である、ニュートンのプリンピアの話であった。彼はプリンキピアをはじめからは読まないで、自分で力学の定理を書いてそれを現代的に証明して、それからその点をニュートンがどう書いているかをプリンキピアを読むことで比較したという。そして、どのようにニュートンがうまく力学のことを書いているかを痛感したという。

この研究はいつものチャンドラの流儀で本にした。すなわち、チャンドラーは自分の研究の総括としていつもその分野の専門書を書いて、その分野の研究を終わりにしていた。このチャンドラーの最後の研究書は中村誠太郎さんの訳で講談社から出されている。もっともこの本は一万円を超える定価がついていたと思う。

もっともこの説明で私もこの訳本を読んでみたくなった。 

もう数十年も昔のことだが、日本にチャンドラがやってきて、ブラックホールについて物理学会で講演した。その講演の訳が物理学会誌にでていたのだが、その最初の部分のアイディアを使って、試験問題をつくったという思い出がある。

入試の問題になるくらいのやさしい話にしたのである。


お盆やすみを過ぎて

2018-08-20 10:03:08 | 日記
このブログのアクセスが増えたのはどうしてだろうか。

ちょっと皆さんが暇になったのだろうか。日曜はアクセスがふつう落ちるのに300を越していた。

先週の土曜日には仕事場に来なかった。これは近くの生協病院で「この世界の片隅で」というアニメの上映会があるというので、仕事場に来るのを急遽やめたからである。

このアニメはもともと漫画か何かをアニメ化したものである。それにドラマとしてもどこかの局から放送がされている。

それでそのアニメの上映後に仕事場に本と雑誌を取りに来て、昨日はそれを読んで過ごした。ようやく夕方になって、8月25日の徳島科学史研究会での報告のめどがついた。それまで全く何を話したものやら、全く見当がつかなかった。

2016年6月発行の「現代思想」という雑誌の特集「日本の物理学者たち」の塚原東吾さんの論文を読んでいたのだ。「ポスト・ノーマル・サイエンスの射程から見た武谷三男と広重徹」と題する論文である。


塚原さんだけではなく、最近の科学史研究者の見解では武谷の批判者としての広重から中山茂と吉岡斉へと発展したというようなことらしい。ところがそういうのは考えの発展としてはそうであってもどうも体制批判というような点では弱くなっていてアピール力がとても小さな力しかもてていないのではないかとしか感じられない。

科学論としても科学技術批判としても中山茂とか吉岡斉の社会への影響は武谷のかつての影響ほどにはないのではないか。この点はどう考えるのか。

科学者としての武谷の実績とかには中山も吉岡もはるかに及ばない。そのことともあって原発政策の批判を吉岡もされたのであろうが、社会を動かしという点においてもやはり弱かった。