先日、雑誌「窮理」の10号が出た。
その中に原康夫さんの朝永振一郎さんとのやりとりのいくつかが記されたいたが、その中で先日にはふれなかったことをここで書いておきたい。
これは何かの機会に原さんが朝永さん宅にいくことがあったときに、朝永さんに質問したときの返答である。原さんは朝永さんの著書「『量子力学』II(みすず書房)の前半は後半ほどには興味深くはないですね」と尋ねたという。
そうすると朝永さんはそれはそうだと答えたという。それは「前半はSommerfeldの著書に沿って書いたからという」のである。原さんはいう。朝永さん自身が量子力学の理解が難しかった個所は、朝永さんの独創的な説明があるが、理解のやさしいところはSommerfeldの本に沿った説明をされたのだろうという。
朝永の『量子力学』ではいわゆるDiracのhが使われてないために式がとても見にくい。これをどうしてDiracのhを用いて書き直さないのか不思議に思っている。いま英語版も見てみたが、修正されてはいない。
これらは天才的な学者であった、二人の家庭環境から来ているらしい。
Diracの父親はスイス出身のフランス語教師であり、夕食のときにDiracにフランス語を話すように強制したために、英語でもDiracはほとんど話さないようになったと言われている。
誰かがフランス語圏からDiracに会いにやってきたときに、フランス語をDiracが解しないと思って一生懸命に英語で話そうとしたとかいう話があり、そのあとでDiracがランス語が話せることを知っておどろいたとか読んだことがある。またフランス語で書かれたDiracの論文もあったはずだ。
同じようにGell-Manも心理的要因から文章が書けなくなるという症状をもっていたらしい。卒業論文は完成するどころか、書き出すこともできなかったというから、Gell-Manのライターズ・ブロックは重症である。そういう病気があるとは私自身は聞いたことがない。
Yale大学では大学院には進めなかったので、MITに進んだという。そこで、Weiskopfにつく。
Wesikopfからは実践的な物理学を学んだという。「数学的洗練さよりも、証拠と一致するかどうかを重んじろ。できる限り単純さを追い求め、決まり文句やもったいぶった言い方は避けろ」
これはなかなかいいアドバイスである。こういうアドバイスをする人はその当時はほとんどいなかったのではないか。私などが育ってきた研究雰囲気と似通っているが、それは横道にそれる。
Gell-Manの優れた点は問題の表面的な細部に惑わされずに、「分析的な目」で、その裏に隠されたパータンを見抜く才能にあったという。
ただ、列伝の著者も彼が少し嫌な性格の持ち主であったことをほのめかしているようだ。