「反核運動と科学思想」は菅孝行さんが1982年に書いた論文である。それを『日本の原爆文学』15(ほるぷ出版。1982)を図書館から借りて帰って読んだ。この論文を優れたものとして、勧めてくださったかたがあったからである。
例によって、武谷の文章の批判があった。どうも私にはその批判は当たっていないのではないかと思われた。菅さんは私と同年の1939年の生まれで、劇作家であるらしい。
原爆を落とされる恐れを武谷はもたないので、広島と長崎の原爆の悲惨さに冷淡だというのである。それは違う。武谷の書いたものには爆撃機がただの1機だけ飛んできても、原爆を落とされるのではないかと恐怖心にかられたと書いてある。
どうも想像力がないのはそういう非難を書いた人たちではないのか。著作集に収めるにあたって、文章は書き替えなかったが、原爆をつくってもそれを都市に落とすのはどうかというような感じの注を編注としてつけ加えられている。それは原爆をつくったほうの科学者の反応ではあるが、原爆をつくることそれを実際に落とすのはやはりちがうのだということを冷淡と思われる武谷でも感じている。
やはり、武谷の書いたものを細かく読んでいないと、菅孝行さんのような反応になる。それは唐木順三の反応でもあった。
そのほかの点でもちょっとおかしい点があるが、それは9月末に締め切りの徳島科学史雑誌への投稿論文に書きたいと思っている。
もっとも「革命期の思惟の基準」だけからはこのようにしかとれないのであろう。そういうことは武谷には容易に想像できたであろうに、それでもそのままにしたのは大きな理由があったろう。
私にしても武谷のその内面を想像するしかない。