陶芸家に弟子入りすると、それなりのknowhowの無意識または意識的に技術の継承があるだろう。また、歌舞伎の世界でもおよそ芸事の修行にはそういうものが必要であるだろう。
一方、物理数学とか応用数学の分野ではどうであろう。この分野でも日本の書籍文化は圧倒的であり、いい書籍はもう汗牛充棟であるのかもしれない。しかし、それでもまだ技術の伝達が十分とはいえないのではないか。
それは私などがいろいろ応用数学のテーマについて解説を書いて教育用の用にあてようとする理由である。研究はだいたい1回ぽっきりのことであり、それで教育よりも研究が重要視されるのは当然である。
いままで誰もうかがい知ることのできなかったことを人類が知りえたということは貴重であり、それはなにものにも代えがたい。
一方、教育は代々にわたって受け継がれていることであり、ある意味ではいい研究者で、かつ、いい教育者の下には特別な知見が存在していると思われる。
そういうものがどういうものかはその大学で学ばなかったものには推測や想像ができないようなものもある。
そういう一例として、たとえば、京都大学の数学研究者であった、溝畑茂先生の「Stokesの定理は微積分学の基本定理の一般化である」というような所見がある。溝畑茂先生に学んだ人にそういう知見が根づいているのを感じる。もっとも最近では溝畑先生の微積分の本からそのことを学ぶこともできるらしい。
もう一つの例は、これは私には先生の固有名詞をあげることができないが、大阪大学の初期のころに学んだ人には「複素解析で解析接続の方法にどういうものがあるか」ということが鮮明に残っているのではないかということである。そのことを私はかすかに今村勤『物理と関数論』(岩波書店)とか後藤憲一、山本邦夫、神吉健共編『詳解物理・応用数学演習』(共立出版)からうかがい知るだけである。
その詳細はいままでのところ私にはわかっていない。
(2024.4.5付記)
二つ書いておきたい。
一つは「Stokesの定理は微積分学の基本定理の一般化である」という所見が溝畑先生の独自の見解であるかのように書いたが、その後、知ったのは微分形式を学んだ方々には常識であったらしい。
もう一つは「複素解析で解析接続の方法にどういうものがあるか」についてである。これについての問題意識が大阪大学理学部の初期の卒業生に濃厚にあったのは確かだと思うが、それをはっきりと例を豊富には書籍に書いて下さってはいないと思われる。
最近の本としては松田哲『複素関数』(岩波書店)と金子晃『関数論講義』(サイエンス社)に解析接続の方法の例がかなり書かれてあるという指摘をしておきたい。