今朝、朝日新聞の書評欄を読んでいたら、写真家の濱谷浩さんが45年もかけて日本人の各界の人の写真集を作ったという話を読んだ。その中に皆様ご存知の湯川秀樹先生の名前も出てきた。
写真と湯川先生と言えば、私もちょうど50年前に半年ほど先生が所長をされていた研究所の非常勤講師を務めたことがあった。
そして、そのころ湯川所長室の隣の小会議室で所員の人が昼食をとるのに参加するようになった。このときに先生が話をされたことの一つである。
あるとき、有名な写真家の土門拳が先生の写真を撮り来たことがあった。そのときに土門拳は写真をとる対象となる人が腹をたてるようなことをわざというのだという。
これは土門拳はその人は怒ったときに、その人の本性が一番よくあらわれると考えていたためにとる、写真家としての一つのテクニックであったのかもしれない。
もちろん土門拳の写真家としての名声はすでに確立していた彼の晩年のことなので、それからほどなくして土門拳は亡くなった。湯川先生からこぼれ話をうかがったのはもちろん私一人ではないが、覚えておられる人がどれくらいおられるであろうか。
写真と湯川先生と言えば、私もちょうど50年前に半年ほど先生が所長をされていた研究所の非常勤講師を務めたことがあった。
そして、そのころ湯川所長室の隣の小会議室で所員の人が昼食をとるのに参加するようになった。このときに先生が話をされたことの一つである。
あるとき、有名な写真家の土門拳が先生の写真を撮り来たことがあった。そのときに土門拳は写真をとる対象となる人が腹をたてるようなことをわざというのだという。
これは土門拳はその人は怒ったときに、その人の本性が一番よくあらわれると考えていたためにとる、写真家としての一つのテクニックであったのかもしれない。
もちろん土門拳の写真家としての名声はすでに確立していた彼の晩年のことなので、それからほどなくして土門拳は亡くなった。湯川先生からこぼれ話をうかがったのはもちろん私一人ではないが、覚えておられる人がどれくらいおられるであろうか。