昨夜、ドイツ語のクラスがあったので、Nullbockは独和辞書に出ていなかったといったら、ドイツ人の R 氏から次のような話を聞いた。
正しく理解しているかどうかは保証の限りではないが、一つの話題としたい。
1980年代から2000年代にかけて勤勉に働くことを徳とする、ドイツでもいくら働いても多くのドイツ人が自分の家を手にいれることもできなかった。(どこの国でもそういう時代はある)。
そういう自分の両親を見て育った子どもたちには無気力な子どもが多く育った。この世代は無気力世代Nullbockgeneration(ヌルボックゲネラチオン)と言われるようになった。(これは子どもせいなのか。それともその時代のせいなのか)
もともとBockはオスのヤギを意味する。だからnull Bock haben (気力がない)という言い回しができた。それでNullbockという名詞はないのだ。(これが本当に独和辞典にNullbockという名詞がない理由かどうかはわからない。R 氏は辞書Dudenの最新版にはNullbockが出ているのではないかという風にも言っていた。私たちのもっている独和辞典はすでに古いものだ。独独辞典も同様である。)
ちなみに R 氏は日本で発行されている独和辞典は優れているもので、一番発行年度のあたらしい辞書がそれまでのドイツ語研究の成果がとりれられおり、買うなら一番発行年度の新しいものを買うべきだという意見である。
もっともその彼の意見に素直に従えないのは、そうはいっても収録語数が大学生用の辞書の場合にはどうしてもその収録語数が少ないものがあるからである。
すなわち、大学生となってはじめてドイツ語を学ぶのなら、R 氏の意見に従って買うのもいいだろう。しかし、私たちはもう何十年もドイツ語の学習をしているのである。収録語数が多いのがいいのはずである。
独和辞典の充実度と比べて和独辞典のほうはあまり褒められたものではないというのが、一方での R 氏の和独辞典への評価である。
日独の協力で和独辞典を編纂する試みが数年前に始まったと聞いたが、その試みは中途で挫折しているとかとも聞く。それはやはり大変な作業であるからであろう。(労力もさることながら、資金も相当な額がいるであろう)インターネットでこの和独辞典が使えるとかも聞くが、その詳しい事情は知らない。
正しく理解しているかどうかは保証の限りではないが、一つの話題としたい。
1980年代から2000年代にかけて勤勉に働くことを徳とする、ドイツでもいくら働いても多くのドイツ人が自分の家を手にいれることもできなかった。(どこの国でもそういう時代はある)。
そういう自分の両親を見て育った子どもたちには無気力な子どもが多く育った。この世代は無気力世代Nullbockgeneration(ヌルボックゲネラチオン)と言われるようになった。(これは子どもせいなのか。それともその時代のせいなのか)
もともとBockはオスのヤギを意味する。だからnull Bock haben (気力がない)という言い回しができた。それでNullbockという名詞はないのだ。(これが本当に独和辞典にNullbockという名詞がない理由かどうかはわからない。R 氏は辞書Dudenの最新版にはNullbockが出ているのではないかという風にも言っていた。私たちのもっている独和辞典はすでに古いものだ。独独辞典も同様である。)
ちなみに R 氏は日本で発行されている独和辞典は優れているもので、一番発行年度のあたらしい辞書がそれまでのドイツ語研究の成果がとりれられおり、買うなら一番発行年度の新しいものを買うべきだという意見である。
もっともその彼の意見に素直に従えないのは、そうはいっても収録語数が大学生用の辞書の場合にはどうしてもその収録語数が少ないものがあるからである。
すなわち、大学生となってはじめてドイツ語を学ぶのなら、R 氏の意見に従って買うのもいいだろう。しかし、私たちはもう何十年もドイツ語の学習をしているのである。収録語数が多いのがいいのはずである。
独和辞典の充実度と比べて和独辞典のほうはあまり褒められたものではないというのが、一方での R 氏の和独辞典への評価である。
日独の協力で和独辞典を編纂する試みが数年前に始まったと聞いたが、その試みは中途で挫折しているとかとも聞く。それはやはり大変な作業であるからであろう。(労力もさることながら、資金も相当な額がいるであろう)インターネットでこの和独辞典が使えるとかも聞くが、その詳しい事情は知らない。