物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

高林武彦『量子力学』

2019-04-15 15:43:32 | 物理学

高林武彦『量子力学』(海鳴社)の最後の章の終わりの方だけ昨日の日曜に読んでみた。

もっとも、de Broglieの物質波仮説のところからしか読んでいない。ところがこのde Broglieのアイディアの数式の部分はフォロウできなかった。

これは、いま編集している、小川修三『量子力学講義ノート』を読むのにあきたための気分転換であった。昨日、第5章「連続固有値」のおよそ半分だけ読んで間違っていたところを直した。結構ミスがあった。

午前中から先ほどまでこの部分の修正をした。それで昨日読んだ部分についてはようやく修正ができたので、さらに、これからこの章の残りの部分を読まなければならない。

どうも一つの章を修正するのにやはり4,5日かかる。図の入力をする前に数式と文章は直しておいたつもりだったが、なかなかそうではなかった。それに元の講義ノートの小さなミスもあった。人のやることにはミスがつきものである。


onは

2019-04-15 12:26:02 | 日記

onは英語では「接触して上に」という意味だろうが、フランス語では「人は」という意味である。ドイツ語を知っている人になら、manと一緒の意味をもっている。

ドイツ語のmanは英語のmanとはちがって「男」という意味ではない。そういう意味のドイツ語はder Mannである。ちなみにいうとder Mannに対応して、女性はdie Frauである。men and womenに対応するドイツ語ではMann und Frau(または Herr und Dame)である。  

マインツ大学の外国人課に登録に行ったときに、トイレへ行きたくなり、そこにいた人に聞いたら、近くにあるというのでそこへ行こうとした。ところがどこかよくわからない。実はそのトイレの前を通っていたのだが、気がつかなかった。

というのは、トイレにはHerrenとかDamenとか書かれていると思ってそういうところを探していたのである。ところがそういうところがない。それでトイレの前を気かずに通っていたのだ。何回も前を行き過ぎたのだが、よく見るとDとHとが扉に書かれてあった。

もちろん、Dは女性トイレであり、Hは男性トイレである。大学生のときにドイツ語の先生がDamenは「ダメ」であり、Herrenは「入れん」だと冗談で言われていたのを覚えているが、それが単にDとHになっているとは気がつかなかった。


昨日は日曜日だったが

2019-04-15 11:55:33 | 日記

昨日は日曜日だったが、アクセス数が多かった。なぜなのか。

「対数とは何か」だとか「e の導入」だとかの数学に関係したブログの記事が閲覧されている。そういえば、対数の意味は常用対数ならば、対数は十進法でいっての桁数(すなわち、10の何乗かを示す数)であり、自然対数ならば、その数が底eの何乗であるかを示す。

また自然対数の底 e は連続無限小期間の複利の利率である。これらはもし「数学・物理通信」を検索すれば、どこかにエッセイが出ている。

そういう疑問を持つ人がすくなからずいるとすれば、日本もまんざら捨てたものでもないと感じている。


凛々しい人

2019-04-15 11:26:58 | 日記

凛々しい人として記憶に残っている第一は哲学者であった、小林登先生であった。この先生の亡くなったときの葬儀にも参列させてもらったが、その死顔も凛々しいものであった。

第二に思いつくのは、物理学者の T さんである。彼は私よりも数歳年下であるが、N 大学の名誉教授である。

この凛々しいというのはいわゆる顔がイケメンだとか美人だとかというのとはちがう。もちろん、私が思い出して例としてあげたこの二人の方はいわゆるイケメンでもあったし、ある。

この凛々しいという感覚がどこから来るのかわからない。いわゆる、この凛々しい感じの人にはあまりお目にかからない。

テレビに出てくるタレントさんでもたいていイケメンか美女ではあるが、凛々しい感じの方はまれである。