「思想の科学」研究会は多元的であったという。
その原則を提唱した人は鶴見俊輔さんではない。「思想の科学」の創立同人は7人であり、そのうちの5人までがアメリカとかフランスとかに留学していた人たちであった。
創立同人のうちで、都留重人、鶴見和子、鶴見俊輔。武田清子、渡辺慧はそれぞれアメリカとフランスの留学生である。丸山真男と武谷三男だけがその時までには留学経験がない。
だが、「思想の科学」の多元性の思想はまったく外国留学の経験のない、武谷三男から提唱されたという。その武谷の提唱が結局最後まで鶴見さんの「思想の科学」研究会に影響を与えた。
もう一つ、鶴見和子さんが戦後間もない時期に、共産党に入党したかどうかして、もう「思想の科学」の発行の意義がなくなったと言ったときに、武谷三男が「共産党に引き回されない雑誌があったっていいよ」という意見を述べたので、「思想の科学」は廃刊を免れたという。
こういういくつかの事実の一つ一つは、大したことではないかもしれないが、大いに考える必要があることだと考えている。