物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

γ線とX線との違い

2007-10-12 12:03:09 | 物理学

γ線とX線との違いは何だろうか。

物理を学んだ人なら誰でも、それが波長(または振動数)の違いだと知っている。

だが、あるときに私の研究室の技官だったKさんが放射線の講習会に出て帰って来て「やっとγ線とX線との違いがわかった」と言ったときにおやっと思った。

それで「どういうことですか」と聞き返したら、Kさんの答えて曰く。「発生の機構というか関与するものが違う。すなわち、γ線は原子核から発生するが、X線は原子から発生するということを知らなかったんです」と言った。

この事実を私はもちろん知っていたが、そのことを私が認識していたかといえば、認識していなかったと思う。私もそれで一つ賢くしてもらった。だから、このことは私の授業ネタの一つになった。


潮の干満

2007-10-11 15:54:00 | 物理学

学生だったころ春休みに友人と四国旅行をしたことがあった。

そのバス旅行のバスの中でふと思いついた疑問が海には潮の干満があるが、湖にはないのだろうかとの疑問であった。

その旅行から帰って、その当時在学していたH大学の図書館で百科事典を調べたら、大きな湖にはやはり干満が観測されるとあった。記憶がもう確かではないが、カスピ海では干満が観測されているということだった。

日本で一番大きな湖は琵琶湖だが、ここで干満が観測されているかどうかはその百科辞典に出ていたように思うが、どうだったかは覚えていない。

と書いてインターネットを調べたら、琵琶湖と霞ヶ浦には干満があるそうである。その干満の差がどれくらいかについては書いてなかったが。

そういえば、地球物理学の分野で有名な竹内均先生は地球大地の潮汐を若いときに計算してLagrange賞をもらったとかである。海の水が引力を受けるのなら、大地も受けるということであろう。しかし、どうやって観測をするのだろうか。


大江健三郎のふるさと

2007-10-10 13:20:41 | 日記・エッセイ・コラム

10月8日の体育の日にイチジク狩りに行った。雨が降るという天気予報だったが、なんとか日中は降らないで済んだ。それでということもないのだが、大江健三郎さんのふるさとの内子町大瀬を訪れた。これはこの土地に昔勤めていた人が案内をしてくれたのだ。

国道からはずれて旧の村内に入り、元村役場跡に大江健三郎を記念して彼の著書や写真等の資料がおいてある。村の空中写真のような描いた図があり、彼の生家は単に生家とだけ書いてある。これは彼の親戚が現在も住んでいるから、観光客がぞろぞろ見に来られるのは迷惑だということもあるのだろうが、それだけではなく大江の謙虚な意向が反映されていると思える。


液体と気体の違い2

2007-10-10 13:03:56 | 物理学

昨日の液体と気体の違いの説明をしたが、そのことに触れた文献としてクドリャフチェフ著(豊田博慈訳)「熱と分子の物理学」(東京図書、1970) 93-94を挙げておこう。

これには液体と固体または気体との比較が書かれているが、温度によって気体の膨張が大きいことは直接には触れられていない。これは主題が液体にあるからだろう。

いつか授業で液晶のことを話そうと思って調べたことがあった。これには岩波の「科学の事典」を参照したのだが、このとき融解直後ではむしろ液体は固体に近いことを知らされた。

上記の「熱と分子の物理学」にもその温度によって液体は固体にも気体にも近くなるとある。だから、液体は気体に近いのか固体に近いのかの議論はあまり意味がないと書いてある。

しかし、液体は自由表面があるということは固有の体積があるということである。

気体は容器の体積によって体積はかわるので、固有の体積はない。これは気体と液体を区別する顕著な性質であろう。

液晶の現象については詳しくないが、しかし液晶を使ったディスプレイはパソコンとかテレビで日常使っている。現に私のパソコンのディスプレイも液晶である。

最近では有機ELのディスプレイが大画面でできるということで将来は有機ELのディスプレイが日常的に私たちの身の回りにあるということになるのは数年後だろうか。


気体と液体との違い

2007-10-09 13:42:39 | 物理学

気体と液体とは似ているところがあるので、あわせて流体と呼ばれる。

これは液体も気体も自体では固有の形を持たないとか流動的とかいう性質が共通だからである。

だが一方ではこの二つは違った性質をもっている。しかし、どういうところが違うかというとなかなか明確に言える人は少ない。

(1)気体はその容器の大きさに広がるが、液体は容器に入れたとき必ず自由表面ができる。しかし、気体には自由表面がない。

(2)気体は温度が上がれば、とても大きく膨張するが、液体は気体ほど温度によって膨張はしない。その二つの性質が気体と液体とを大きく区別している。

こういったことは確かに物理の授業で習ったことはないが、もちろん物理のテキストをよく見れば書いてある。しかし、あまり意識されていないことなので、このこともいわば授業のネタの一つにしていた。

学生は変なことを尋ねる先生だと思ったかもしれないが、誰でも知っていることでいざ開き直って聞かれるとはっきりと答えられないことを尋ねることは学生に一歩進んだ理解をもたらす一つの手段と考えていたのだ。

(2011.4.16付記)

上記の気体と液体の違いにもう一つ大きな違いを付け加えておく。

(3)圧力を加えて、液体はほとんど圧縮されず、体積の変化があまり起こらないが、気体は圧縮すれば、液体と比べてかなり容易に体積を小さくすることができる。これも気体と液体との大きな違いであろう。

液体は固体から液化した直後では液体というよりは固体に近いということとか、逆に気化が起こる直前の液体は気体によく似た性質をもつと「科学の事典」(岩波書店)に書いてあった。


物理の問題の解き方

2007-10-06 12:16:26 | 物理学

標題のことについて雑誌「科学の実験」(理科専攻の学生だった長兄が購読していた雑誌)だったかで高校3年(1957年)のときの10月号か11月号で読んだ覚えがある(これを読んだ直後だったか直前だったか覚えていないがソ連の人工衛星が上がった)。

問題に述べられた量とそれに関係する隠れた量を全部文字に表して、それらの間に成り立つ式を立て(これは一般に複数ある)、それらから問題に与えられてない量を表す文字を消去すれば、すべて問題で与えられた量で求める量が答えとして求められる。

物理の参考書等でも問題の解き方は書いてあるのだろうが、ここまで徹底して書いてあるのはまだ読んだことがない。

旺文社の「物理の傾向と対策」を何十年も書いていた竹内均先生も同じようなことを書いておられたが、それほど詳しくは書いておられなかった。

きちんとした解き方を物理をいい加減に学んだ人は知らないのではないかと思う。また、原島鮮先生の物理の本にも解き方が例題として書かれてあったように思う。

ファインマンの「物理を学ぶコツ」(岩波)にはそんなことが書いてあるかと思っていたが、訳本をちらっと読んだ限りでは書いていないようだ。テクニカルな話ではあるが、そういうことはどこかできちんと学んでいる必要がある。

ごく最近だがアメリカのやさしい物理の本に問題の解き方が出ているのを見た。そのページはコピーしてどこかに持っているはずだ。

前述の雑誌「科学の実験」だったかを図書館で探してその記事を読み返して要点をどこかに書留めておきたいと思っている。これも学校ではきちんと習ったことのないことの一つである。

世の中には少なくなったとはいえ物理を教える先生はたくさんいるはずだが、そういうことを高校レベルできちんと教えているのだろうか。私なども老人の仲間入りをしそうな年齢だが、そういうことがきちんと教えられているのかとても気になることだ。

先生の物理の問題の解き方を見て、みよう見まねで、聡明な生徒は自ら学ぶのだろうが、それでもこのようなことをきちんと意識して教えるべきであろう。


ハイゼンベルクは?

2007-10-05 11:50:30 | 学問

昨日、藤森良夫先生の「解析の基礎」で計算の仕方を学び、戸田清先生から合理性と科学的ということを学んだと言った。

そのときに意識をしていた訳ではないのだが、ハイゼンベルクはゾンマーフェルト(ミュンヘン)に楽天主義を学び、ボルン(ゲッチンゲン)に数学を学び、ボーア(コペンハーゲン)に物理学を学んだと言っていたそうだ。

どうも私の場合はスケールの小さい話で申し訳がないが、しかしそれでも誰かに何かを学んだと言えるのは幸せであろう。高校の数学で劣等生であったが、しかし高校時代に自分で勉強したことが今でも役に立っていることは否定できない。

そういえば、基礎物理学研究所に約40年前に滞在していた頃、誰かが話しているのを小耳に挟んだところでは湯川先生はそんなに物知りではないが、中学校や高校の頃に学んだ英語でもしっかりしていて、それを十分達意に使いこなせるといったところにその特徴があり、その点では他の追従をなかなか許さないといった風である、とのことであった。

「私の記憶力は十分でない」と湯川先生は自伝で書かれているが、なかなかどうしてしっかりした記憶力の持ち主であったらしい。確かに、地質学の試験で岩石の名が覚えられなかったというようなことはあったかもしれないが、どうも大したことではなさそうだ。


戸田清先生

2007-10-03 12:36:18 | 数学

戸田清先生を知っている人はかなり年配の方に違いない。

私が高校生のころ旺文社のラジオ受験講座で一世を風靡した先生である。戸田先生と田島一郎先生はコンビで共にわかりやすい、いい数学の講義をなさっていた。

中学2, 3年、高校1, 2年とあまりいい先生に教わらなかったので数学がわからなくなって興味を失って英語学かなんかを大学で学ぼうかと思っていたが、高校2年のときに人生の行く先を考えて理系に戻ることにした。それはかなりつらい決断だったが、その決断は間違っていなかったと思う。

その決断を促したのは戸田先生のラジオ講座と高校2年の中ごろから読み出した藤森良夫先生の書いた『解析の基礎』というシリーズの受験参考書だった。

『解析の基礎』前、後、続(考え方研究社)から代数計算の仕方を学んだ。また戸田先生のラジオ講座から合理的、科学的思考を学んだ。それが私の本来持っていた、科学嗜好を呼び覚ました。

大学の物理学科の同級生はほとんど小さいときからずっと続いて理科や数学が好きな者ばかりだったが、私はいったん挫折しかかっていたので、そういう学生は珍しかった。

思うに教育っていうのは気の長くなるような話である。戸田先生や藤森先生のおかげで今日の私がある。そしてそれに感謝の意を表明するということもいままでなかった。

「穀物を植えるのは1年の計、木を植えるのは10年の計、人を教育するのは100年の計」と高校の漢文の時間に教わったが、まさにその通りである。

(2021.3.2付記)  数学者の戸田清先生の所属していた大学の学部は違うが学生だったので、先生が退官の講義をされたときに聞きに行ったことを覚えている。ときどきは学内でもお見かけしたことはあったように思うが、それほど頻繁にはお会いしたわけではなかった。

ブリルアン帯

2007-10-03 12:14:23 | 物理学

固体物理学を専門にしている人なら、「ブリルアン帯」とは誰でも知っている言葉だが、これをどうやってつくるのかは私は知らない。いやテキストに書いている方法を知ってはいるのだが、分からないところがある。

3次元空間でのブリルアン帯でなくて、平面での正方格子ならキッテルの本にも載っているが、第1ブリルアン帯、第2ブリルアン帯へと進んで行くと図に出ている、ある領域がその第何番目のブリルアン帯に属するのかをどうして決まるのかわからないところがでてくる。

そのことをどう考えるのか書いた本などあまりないが、溝口正さんの「物性物理学」(裳華房)の本にようやくその説明を見いだした。他の本ではその決定の仕方を見たことがない。こういう疑問は私だけのことなのだろうか。

それとも固体物理学の学生は研究室でそういうことをちゃんと学ぶのだろうか。確かに研究に入る前の大学院生のセミナー等で、普通に本には書いていないことを学ぶのが普通である。

私はもちろん固体物理学の専攻生ではなかったから、そのことを聞いたことがないのは仕方がないが、このことを固体物理の専攻の大学院生に聞きたいところである。


逆格子ベクトル

2007-10-01 11:55:00 | 物理学

逆格子ベクトルという結晶学で出て来る概念がある。

もちろん逆格子ベクトルが出て来る前に正格子ベクトル(直接格子ベクトルともいう)の概念があり、それの逆格子ベクトルになっている。

数に逆数があるように格子ベクトルにも逆格子ベクトルがあるという訳である。

結晶学は実際に学んだことがないので、知っているのは固体物理学における格子ベクトルと逆格子の概念だけしか知らない。

実は、大学のときにX線結晶学という講義があったが、なんだか退屈で理解ができなかったので、2、3回出席して聞くのを止めてしまった。

ところで、ベクトルでは双対基底というのがあって、元の基底とその双対基底とは積をとると正規直交している。

逆格子ベクトルは正格子ベクトルの双対基底になっているのだが、この双対空間が元の空間と同じなのか違うのか私にはわかっていない(2020.11.2注)。言い方が曖昧だが、空間が自己双対かということを意味しているのではない。

普通のベクトルでは基底を共変基底にとるが、反変基底にとってその成分を共変ベクトル(1形式)とみてもよい。

だから、この場合には単に同じベクトルを違った見方をしているだけだが、格子ベクトルと逆格子ベクトルのときにはどうなのだろう。

同じ空間を別の基底ベクトルをとっているように思えるが、逆格子ベクトルはX線のBraggの回折条件を表しているので、どうなっているのかわからなくなる。

中性子回折が専門の友人に電話をかけて聞いてみようと思いながら1日2日と電話するのを引き延ばしている。

これは私の理解がいまいちということで、多分同じ対象を違った基底で見ていることになっているのだろう。ただ、元の空間とその双対空間とは違った空間であるかのように思われるところが悩ましい。

このことはJOHさんの「ベクトル代数」には空間自身は違ったものであっても、対象としては違ったものではないとの見解が明確に書かれてはいる。しかし、自分が納得できるかどうかが問題なのである。

ここまで書いて来て、どうも対象は同じだがいろいろな見方が出来るだけだという気がやっとしてきた。元の空間とその双対空間というのも単に見方の違いだと。

(2020.11.2 注)双対空間は元の空間ともちろん同じではない。量子力学での座標空間と運動量空間との関係に元の空間と双対空間とはなっているのではないかと考えている。

(2011.4.22付記)

結晶格子ベクトルとその逆格子ベクトルとは違うから、当然違った空間となる。

そこが同じベクトルの共変成分を考えたり、反変成分を考えたりするのとは違う。結晶格子ベクトルの成分の次元は長さであるが、その逆格子ベクトルの成分の次元は長さの逆数である。

そうでないと、逆格子ベクトルとはならない。上に書いてあるところはそれで、ちょっと誤解を招くが私の理解が十分でないときの自分の頭の中のもやもやを表した文であった、ということでそのままにしておく。ご了解をお願いする。

すなわち、実空間(位置空間)とその波数空間(運動量空間)との違いになる。

なぜ波数空間を考えるかというと、元の結晶は周期性をもつから、それを表すのにフーリエ級数とかフーリエ変換を使うのである。

ブログ「フーリエ級数と結晶」でも触れたように、もともとフーリエ級数は周期的関数を三角関の級数で表すという思想にもとづいている。もっともフーリエ変換ではその周期性は必ずしも必要ではないが。

ところで、結晶はこの3次元の周期的関数のいい実例である。逆にフーリエ級数とかフーリエ解析は、この結晶の解析とあわせて解説をした方がいいであろうと考える。

また、蛇足だが、この逆格子ベクトルは結晶のブラッグの回折条件を表す大事な概念となっており、結晶の解析を専門家にはとても重要なものである。

現在、Kittelの固体物理学入門の第2章「逆格子」を私風に読み解いている。

 (2019.3.27付記)  

「逆格子ベクトルとはなにか」というエッセイを書きはじめている。しかし、これが全く完成しない。

いつだったか友人の中性子回折の専門家に読んでもらったのだが、あとで逆格子の定義か、なにかがまちがっているとか口頭で言われたのだが、そんなはずはないのだ。

しかし、この友人は日本でも有数の優秀な中性子回折の実験家であったので、まちがっているとも考えにくい。彼の意図を理解できないままに、その原稿は放置されている。

同じように、何十年も未定稿で放っておかれた、エッセイ「Lameの定数の導出」の方は、最近「数学・物理通信」にようやく区切りをつけて、掲載した。

しかし、「逆格子ベクトルとは何か」のエッセイの方は、まだできあがらない。こちらのエッセイのほうが、「Lameの定数の導出」のエッセイよりも、完成度が高いと自分では思っているが。

(2019.11.26付記)
またこの逆格子のブログがいくつかアクセスされる時候となった。逆格子の概念がちょっと難しいのが、このブログが見られる理由であろう。残念ながら逆格子ベクトル原稿はその後も進んでいない。不十分であることを覚悟のうえでいつか「数学・物理通信」に掲載すべきであろうか。

 (2020.9.23付記)

結晶の幾何学での逆格子空間がベクトル空間の双対空間のいい例となっていることをここで付け加えておこう。ベクトル空間の双対空間というのは抽象的な概念みたいだが、そうではないということだ。もっともそういう説明が述べられている数学の本はほとんどない。

インターネットで「物理のかぎしっぽ」のベクトル代数の項に付加的にこの説明があった。ひょっとしたら私が以前にこのことをこの項を書いたJohさんにメールでお教えしたのだったかもしれないが、もう自分でも忘れてしまっている。

結晶の幾何学には、ベクトル空間の双対空間という語が出ているのを私は見たことがない。

(2021.5.7付記) 逆格子についての私の書きかけのエッセイは永久に書き上がらないかもしれない。それはかなり書いたのだが、自分の中でやはりまだ足らないからである。

これは多くに人がなかなか納得できない概念の一つであると思うので、かならず生きているうちに完結しておきたいのだが。

(2022.2.9付記) 北野正雄さんの『新版 マクスウエル方程式』(サイエンス社)には双対空間の重要性が述べられている。