物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

思想の意義

2008-05-15 11:39:31 | 日記・エッセイ・コラム

若い学生の頃に兄の友人のYさんから、指揮者は音楽を自分なりの解釈をして、それを楽団の演奏者に説明して自分のイメージの音楽を演奏するのだと聞いて指揮者の存在意義がやっとわかったということがあった。

音楽を解釈する余地があるなどということは音楽に疎い私には想像を遥かに越えることであった。話は音楽からはずれるが、私の長男が大学受験に失敗して予備校に通っていたころ、彼がFeynmanの物理学の本を受験勉強の暇々に読んでいて、「物理学は思想だ」とつぶやいたときもびっくりした。

残念ながら、私は物理学は思想だとは思っていなかった。もっとも単なる知識の寄せ集めかと問われれば、そうとも言いかねるとは答えただろう。

いまでも物理学は思想かと尋ねられたら、ううんと考え込んでしまうだろう。しかし、物理学者には思想家的な人もいる。物理学者の中でもとりわけ湯川とハイゼンベルクは思想家としての色彩が強い。また、ハイゼンベルクの先生だったボーアとか、アインシュタインもそうだろう。

ガリレイだとか、ケプラーとかはたまたニュートンも思想家なのだろうが、彼らのことはよくはわからない。30年以上前に留学していたマインツ大学で、数学教室の図書室に行ったら、ケプラーの全集もあってそれが大部のものであることはそのときに知ったが、多分ラテン語で読めなかったと思う。

思想が一番大事なものかどうかはわからないが、何ごとかをする人にはかならず思想があるように思う。その思想は簡単なものからもっと多重なものまでいろいろだろう。しかし、ともかくなにか思想とでも呼べるべきものがあるのは確かなようである。


俳優の演技

2008-05-14 13:05:06 | 芸能ネタ

NHKの「プロフェッショナルの条件」を昨夜初めてはじめから見た。いつも火曜日の夜はテニスなので帰って来て、風呂から出た後に見るので、途中から見るのが常である。

映画監督の堤幸彦さんという方が出ていた。今、撮っている映画に吉永小百合さんが出演している。吉永さん演ずる女性の夫が亡くなったので、吉永さんが回想して懐かしがるという場面で、はじめ吉永さんは涙を流して回想するという風に演じたのだが、堤監督はその場面に違和感を感じて明るく微笑んだ場面として演じて下さいと吉永さんに頼む。

そうすると吉永さんは明るく微笑んだような顔で演じる。若い俳優さんなら涙を出す場面で目薬をさすのだろうが、吉永さんぐらいの芸達者になると自分の感情で涙を自然に出すことができるらしい。そのことも大変な驚きなのだが,監督にいわれて演じ方を簡単に変えることができるという俳優さんのすごさを感じた。

なお、堤さんは吉永さんにはほとんど演技の指導を行ってはいなくて、吉永さんの解釈による演技にほとんどまかせていたのだが、ここだけは監督としての直感を重視して演じ方を変えてもらったということであった。

俳優が俳優なら、監督も監督であって、それぞれがそれぞれになかなかできることではない。


物理量の次元

2008-05-13 11:42:36 | 物理学

物理量の次元について大学で教わった記憶はあるのだが、どの先生にいつごろ習ったかはもう記憶にない。それでそのことを書いた本があるかと探すのだが、私の大学で使った教科書の中には物理量の次元のことはでてこない。

物理量の次元のことを講義で聞いたときに感激をしたような気がするが、どうもあいまいなのだ。というのはいまM大学の薬学部でそのことを教えている。それで自分でもしっかりした知識にこの際しておこうと思って文献を探している。また、断片的に見つけてきた物理量の次元についての記述は私の記憶にあるものとはその記号法がちょっと異なっている。

きちんとした教育を受けた人はどこかで学んでいるはずだが、それでそのことをきちんと記した書籍はと思って調べると意外に見当たらないものなのである。私もひとかどの物理教育の専門家なのにそういう風である。ましてやまったく専門でもない人にはどのくらい物理量の次元のことが定着しているのだろうか。

さあ、これから急いで授業のプリントをつくらなくては。


「さらば財務省!」

2008-05-11 20:01:30 | 社会・経済

高橋洋一著「さらば財務省!」を読んだ。といっても財務省の中の話とか経済に仕組みとか金融の知識とかが私にまったくないので、お話としてだけである。

この著者は合理的思考の持ち主ではあるが,市民の苦労はあまり知らない人ではないのだろうか。まあ、それは著者が超エリートなのだから仕方がないだろう。またご自分の能力があることから、そうでない人のことを慮ることは少ないようである。

世間の人が年金のことで怒っているのも少しの年金ももらえなくなった人が社会保険庁に行って申し出ても記録とか書類が不十分だとか言われて門前払いされるからなのだ。このような官庁の体質こそがいま問われているのである。

「役所を国民が信用し過ぎだ」とかいってもそういうシステムをつくってきた官庁や国が十分に異議申し立てを出来るようなシステムを作って来なかったことに起因している。それを単に国民の咎とするのはなんといっても無理がある。

そういう点からいって、この書の終わりの方で著者が書いているように「ミス必ずは起こるのだから、毎年各人に確認のための書類を発行するべきだ」との指摘は、もしそうしていれば5,000万件の間違いとか不明とかの記録の多くは正せたであろう。むしろそういう観点がもっと早く出てこなかった点に現在の政府とか官庁のどうしようもなさが浮き彫りになる。

もちろん、その提起はいいが、責任のない国民に責任転嫁をすることは止めたがいい。そういうことをいうのは残念ながら今となっては遅すぎる。

大体、年金は戦争中に軍備の資金が足りなくなってその資金調達のために、年金の制度をつくったとかいわれている。そういう不純な動機がはじめにあるのに、だまされていた国民こそかわいそうである。そして、官庁のそういう事情をもらせば、秘密保持の観点から罪に問われるという体質がある。

著者は民主党を非難しているが、民主党がいろいろの事実を明らかにしてきたということから国民はやっと不誠実な政府とか官僚の実態を知ることができたのである。その役割を完全に無視してしまっているようである。それではあまりにも一面的にしかすぎないのではないか。ともあれ、読み物としては結構面白いものである。


伏見康治氏の死

2008-05-10 11:42:38 | 物理学

伏見康治さんが亡くなったと今朝の新聞に出ていた。98歳だったという。1909年の生まれというから来年は生誕100年だったことになる。

いつごろ伏見康治の名を知ったか覚えていないが、亡父の蔵書の中に彼の「確率論及統計論」があった。30代か40代のはじめに書いた本だと思う。

その本を知った当時はまだ大学生かまたは高校生の頃で、伏見康治氏は私には老大家という印象だったが、事実はそうではない。少壮の学者だったことになる。

読んだことはないが、「相対論的世界像」という本の著者としてとかガモフの全集の一部の訳者として知っていた。

大学院のころにたまたま頭のいい学者のことが研究室の先生の間で話題になり、その頭のいい学者の筆頭が伏見さんであった。また、小谷正雄先生も頭のいい人で東海道線に乗ってつぎつぎと来る駅の名前を覚えようともしないのに自然に覚えてしまうくらい記憶力もすぐれた学者だという話が印象的だった。

もっとも頭のいいことがすなわち業績をあげた学者ということにはならない。もっとも小谷さんなどはすぐれた学者だといっていいだろうが。

伏見さんは晩年には若いときにはむしろ思想的に敵対していたと思われる武谷三男をある意味で評価している(科学者の証言)。

これは家庭がそれほど裕福ではなかったから、生活に困ったというような家庭の事情が似ていたこと等もあるだろうし、二人が長生きしたこともあるだろう。そういうこともあって伏見さんは武谷さんを意外に肯定的に評価していると考えている。

日本での原子力の研究を進めようとしたところも方向は少しだけ違ったかもしれないが、似ている。そして伏見さんが大阪大学を辞めて名古屋大学のプラズマ研究所の所長になったところもひょっとしたら原子力研究のあり方に批判的であったためかもしれないと思ったりする。

みすず書房から出された彼の著作集には興味深いものがある。彼はあまり教育に関心を示さなかったが、その関心の一部は彼の著書の中にぽつぽつと出ている。私も母関数という概念の紹介に彼のあるエッセイの冒頭部分を「数学散歩」(国土社)で利用させてもらった。

人は死すべきものである。これはどうあがいてみたところで変えられない。だが、いかに生きるかは努力で変わってくる。人生は地球歴史的な長時間でみれば無駄なのだが、だからといって自分が無駄に生きる必要はない。


IT世界の進歩

2008-05-10 11:09:41 | 社会・経済

一時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったマイクロソフトも停滞気味である。停滞とまではいっていないのだろうが、それでもヤフーの買収がうまくいかなったことで戦略の見直しを迫られていることは事実だろう。

グ-グルとかユーチューブとかつぎからつぎへと新しいサービスというか新しい事業が立ち上がっている。これからも新しい試みがなされるのは間違いがない。

学術の分野でもいわゆる学術雑誌を各大学で購読していたのがその購読を止めて、ウェブによる閲覧に移行したのはここ十年位のことだろう。

また、5年以前の雑誌の内容を無料で検索閲覧および印刷できるようにした学会はかなり多い。私の関係している物理学会でも学会誌をほとんどウェブで閲覧できるようになった。

すべての雑誌がそうなっているかどうかは知らないが、世の趨勢はそういう方向に進んでいる。3年くらい前にはまだそのシステムができていなくて、Progress of Theoretical  Physicsのバックナンバーをウェブで見ることができなかったが、今では見ることができる。

もっとも購読者でなければ、見ることはできないかもしれないが、それでもなんとか雑誌にアクセスすることができる。同じように「素粒子論研究」もアクセスができるようになったと最近号のお知らせにあった。

著作権の問題があって、死後50年たたないと著作権は消滅しないが、それでもパブリックドキュメントへと移行した文献は多い。

いつだったかアインシュタインの全集が見られるようになっているサイトを見つけてびっくりしたが、そういう時代がそこまで来ている。


Heitler 's "Quantum Theory of Radiation"

2008-05-09 12:06:04 | 物理学

花粉症がもう去ったとばかり思っていたら、ひどい花粉症の症状が出た。そういえば、この1週間くらい薬を飲んでいなかった。

東京に行ったときはそれほどひどくなかったのだが、昨夜は眼が覚めてしまって眠れない。とはいっても少しは寝た。そしてそのとき夢を見たらしい。

大学院の学生のときに有名なハイトラーの「輻射の量子論」を購読で読んだ。その中でこれまた有名なクラインー仁科の公式を計算した。何度も計算ミスを繰り返し、正しい結果が出るまでに3日ほどかかった。

その後には電子の対創成の計算があったが、ここはとうとう正しい計算はできずじまいであった。まあ、クラインー仁科の公式がこの本のハイライトであるからというわけで、それでお茶を濁してしまった。

大学院の一年のころ、ほぼ毎日あるセミナーのためにハイトラーを自分で読んで計算をフォローしていた頃、親友のY君がいつも私の研究室を夜の8時頃訪ねて来るのでいつもハイトラーを読む時間が取られてしまって困った。

Y君はユーニクな実験家であったが、彼はいつもフラストレートしていた。それで彼の話を毎日何時間か聞くことが多かった。

ときには早めに下宿に帰ってハイトラーを読むこともあったが、大体は大学の研究室で本を読むことにしていたので、いつもこのY君の訪問との葛藤に苦しんだ。頭の鋭くない私には本を読んで理解するのに時間が必要だったのだ。

現在は仕事場に訪れる人はほとんどいない。だが、さびしいと思ったことはない。十分に時間があるはずだが、それでもその時間を十分に活用しているかどうかはわからない。やりたいことはやまほどあるが、それも夢のまた夢である。

例えばその内の一つにしか過ぎないが、Pauliの量子力学の本を心ゆくまで読んでみたいと思っている。だが,まだそういう時間がとれてはいない。

ところで昨夜見た夢はよくは覚えていないのだが、このハイトラーに関係した話だったらしい。もうそういうことは完全に忘れていたのだが、潜在意識で何十年か前に戻ったらしい。

この購読の指導をしてくださったO先生も先年亡くなった。もう一人のS先生は健在だが、かなりのお年となっている。


花と植物

2008-05-09 11:42:09 | 日記・エッセイ・コラム

仕事場の鉢植えのネギが花を咲かせていた。いつも鉢植えに水を一日に一回やっている。先日数日留守にしたときに他の草がしおれて枯れたかと思ったが、水を2、3日やったら、元のように元気をとり戻してアオアオとしてきた。生きのいいのは気持がいい。

深紅のシクラメンの花が一輪だけ今もきれいに咲いている。朝鮮に住んでいた4,5歳のとき、字が少し読めるか読めないかの頃に本を読んでシクラメンという花の名前を知った。といっても名前だけで現物のシクラメンを見たことがあった訳ではない。それから数十年して30数歳のときに初めてシクラメンという花を見知った。

ということは前にも書いたことがあるかもしれない。普通の人が知っている花も植物も私にはあまり関心がなかった。今でも関心があるとはいえない。鳥を見ても鳥としか分からない朴念仁である。食べ物も特に食い道楽であるわけでもない。

何がおもしろくて生きているのかと不思議に思う方もあろう。そう思われても仕方がない。だが、自分では人生を退屈したことはあまりない。それはしかしどうしてなんだろう。


外延量と内包量の訂正

2008-05-08 11:21:31 | 数学

外延量が示量変数に、内包量が示強変数に対応すると先日書いたが、ウイキペディアによるとこの対応は正しくはないという。

熱力学では質量や体積に比例する量を示量変数に、質量や体積に関係しない量を示強変数にしているという。ただ,紛らわしいのは英語では外延量と示量変数をextensive quantity、内包量と示強変数をintensive quantityと同じ言葉で表されているということである。

この示量変数、示強変数の定義だと外延量と内包量の方が定義が広いので、外延量は示量変数の概念を含んだもっと広い概念だし、内包量も示強変数をある特殊な場合として含むもっと広い概念だということになる。

ウイキペディアでは外延量と内包量とは日本だけで使われる独特の用語だとのことであるが、それは日本の数学教育協議会のとり扱う教育内容が世界を遥かに越えた高い水準にあるということでもある。

一般に日本では日本で考え出された思想とかアイディアを無視したり、軽視したりする傾向が強いが、これは間違っている。やはり独創的なものはいいと素直に認めてその普及に努力すべきであろう。優れた発見とかアイディアとかは外国,特にアメリカとか西欧のみから生じるという劣等感というか考えは払拭すべきであろう。

そういえば、この量の理論とか水道方式を広めるための英訳本が出たという話を聞いたか読んだような気がする。もちろん、数学教育協議会が出している簡単な各国語訳のパンフレットのことではない。もっときちんとした大部の英訳本がいつか出版されたと「数学教室」で読んだような気がするが、もしそうだとしたら、その反響はどうだったのだろうか。


国際九条の会

2008-05-07 10:37:35 | 国際・政治

正式名称は忘れたが、5月4日に千葉の幕張メッセであった国際九条の会に出かけた。ところが行ったのは結構早かったのだが、列に並ぶのがいやだったので、昼食を近くのホテルでとって入場するのにちょうどいい時間に出かけたら、長い列ができていてなかなか中へ入れない。おかしいなといいながら待っていると参加者が多くて会場に入れないとのアナウンスが流れ出した。

またしばらく待つうちに近くの広場で会場に入れなかった人のために会場外でメーンゲストのスピーチをするという。それで大会関係者に誘導されてそちらの広場に向かう。3,000人くらいが会場に入れなかったらしい。会場は7,000人の定員というから約3,000人のオーバーであった。

北アイルランドのマクガイアさんとニューヨークからきた何とかさんとのスピーチがあり、参加者全員が盛り上がった。最後にWe shall overcome somedayを歌って散会したが、主催者の期待では5,000人も集まればいいだろうと思っていたとのことで、その予想をはるかに超した。

歳のいった参加者は若い参加者も多かったので、希望をもったようである。草の根の憲法九条を守るという運動は結構浸透している。世界の現状では世界的な大戦はもう行えないという状況だが、それにしても地域的な戦争は行われている。しかし、それもいつまでもはそうではなかろう。人類の戦争廃絶と核兵器廃絶はしかしいつのことだろう。

戦争を放棄した国は日本とコスタリカがあり、パナマも軍隊をもたないようにしたという。後は日本の軍備を縮小することが必要だろう。しかし、これは軍需産業の圧力でそう簡単なことではない。


内包量の加法

2008-05-06 13:20:37 | 数学

内包量の加法について詳しく書かれたものは矢野寛(ゆたか)先生の「量と数」(愛数協ブックレットNo.2, 1995)以外にあまり知らない。

この内包量の加法のことを考えたくて上記の書を読んだ。かなり突っ込んだことが書いてあるのだが、わかったと思えるにはも少し時間がかかりそうだ。

それで高橋利衛先生の「基礎工学セミナー」をとりだしてきて読んでみたら、量の理論は高校、大学と上級にあがってくるにつれてあいまいというか難しくなり一筋縄ではいかなくなってくると書かれている。これは森毅先生の本にそう書いてあると「基礎工学セミナー」に引用してある。

以前、矢野寛先生からも学習会でそのように聞いた。しかし、それにもかかわらず小学校、中学校の数学ではこの量の理論というか概念は有効であるというのが矢野先生のお考えであった。しかし、それを高校や大学にあくまで拡張しようとすると難しいことがでてくるという。

高橋先生によれば、内包量と思われていた量が場合によっては外延量と考えた方がよいとかいうことが起こるという。これはある意味であいまいでクリアカットでないという評価もあるだろう。

話は一寸違うが武谷の三段階論でも概念が規定がはっきりしないという批判とか、ある段階で本質論と考えられた理論がまったくの現象論だと思われることもありうる。そういった批判では概念規定があいまいだとかいう批判がある。

ある主張を言い切ってしまうとそこで異論が出ることがあるが、それでもその主張の本質的な正しさは変わらないことがあるのではないか。そんな考えが私に芽生えている。

徹底してその主張を拡張したり、一般化すればその主張に反することが生じてくる場合がある。だからといって、その主張のプリミティブな意味での効用というか主張の正しさを否定すべきではないのではないか。これは形式論理でものごとを捉える人には肯定できないことかもしれないが。

独創性の評価の問題はいつでも難しい。


面積図と内包量

2008-05-06 13:03:09 | 数学

面積図はもともとは内包量(主に度と率がつく言葉で表される量)と外延量との関係を表すのに有効なものです。

熱力学で学ぶ示量変数(extensive variable)が外延量で、示強変数(intensive varialbe)が内包量にあたります。

私も熱力学とか統計物理を大学で学んだのに、示量変数とか示強変数という用語を知りませんでした。

内包量のそもそもの定義は、外延量を外延量で割って得られる量です。

割られる外延量と割る外延量の単位が違うと速度のような度という言葉がつく量となり、割られる量と割る量との単位が同じならば、率という量(例として利率)となります。

ただし、濃度は度がついていますが、むしろ率と言われる量です。

面積図は高校生くらいまでに、三者関係(速度の場合なら、速度、距離、時間)を分かってもらうために考えられたものです。もし、加速度、時間、速度を取り扱うときには、面積を速度にとることもあるのですが、そこのところがかえって学生に分かり難いものになるのかもしれません。

二つの物体とか物質の合併で和となる量が外延量で、その合併では和では表せない量が内包量です。

簡単のために足し算ができないものが内包量といってはいますが、内包量がいつでも足し算できない訳ではありません。

その辺は一番よく知られているのは相対速度の場合で、相対速度は足し算ができますが、二つの自動車をつないでもその速さが和になる訳ではないので速度は足し算ができないと標語的にいっています。また午前10時に気温が15度だったときに、午後3時に午前10時よりも8度気温が上がっていたとすれば、午後3時の気温は23度となります。

しかし、30度の水1.5kgと40度の水やはり1.5kgを足し合わすと水の質量は3kgになりますが、水の温度は70度になるわけではありません。水温は30度と40度の中間の温度になることはだれでも知っているでしょう。こういうのを温度は加法性が成り立たないというのですが、気温の例のように温度差については気温は加法が成り立ちます。

もともと速度はベクトルなのでベクトルの加法法則にはしたがっています。

こういうことはガリレイの時代からわかっていたことですが、いまでもやはり面倒なことであることは間違いがなく、小学生5年生くらいになると度とか率のついた量が算数で現れ、子どもにとって算数は難しく感じられるようになります。

小学生5年生の2学期ころから世のお母さんが子どもに算数を教えられなくなり、子どもを塾に行かせるようになったり、子どもの算数嫌いが増えたりすると言われています。

いずれにしても外延量とか内包量は普通の教育を受けた私のようなものが学校教育では聞いたことがない、言葉であり、概念ですから、現在でも数学とか理科教育の中で欠陥の一つになっています。

それをきちんと指摘した一派が数学教育協議会です。この量の理論は遠山啓さんや銀林浩さんたちが提唱したものです。

狭い意味の水道方式としては量の理論は含まれませんが、広い意味では含まれています。

現代数学の研究者の中にはこの「量の理論」を評価しない方々もいるようです。


新緑の季節の城山

2008-05-02 11:05:18 | 日記・エッセイ・コラム

毎年のことだが、いま城山が新緑である。新緑と言ってもまだ緑色ではなく、黄緑とかむしろいくらか赤みがかった黄緑色である。いつもは深い緑の城山であるが,この季節だけ山全体が大きく色を変える。これを見て「ああ松山の春だ」と思う。

この城山が松の山であったから、松山と言われるようになったともいうが、現在はこの城山はほとんど椎の木が多くて松山ではなくて、椎山だと数年前にテレビで聞いた覚えがある。

松山に住んでいる人の望みは(1)城山の見えるところに住み,(2)道後の湯に入ることだという。ところが残念ながら、城山の見えるところに住める人はとても限られるようになった。私の家からもいまでは城山は見えなくなってしまった。

ケーブルテレビのシンポジウムの放送で都市工学者のKさんが学生に市内から城山の見える場所を探させたところ、いまでも城山が見えるところはほんのわずかしか残っていないことがわかったとわずかに城山が見えるところを市街地図上で印をつけて示していた。

私は仕事場への行き帰りに永木橋を通るが、この橋の上からは確かに城山がよく見える。そして今年も新緑の季節を迎えたことがわかる。

もう少しするとこの城山の木の葉からの強い匂いがして来るのが常である。と昨夜書いて今朝仕事場についたら、いつもの匂いなので何のような匂いかなと鼻をくんくんしたらまるでたけのこのような匂いである。昨日まではそういう強い匂いがしていなかったが、匂いがここまで拡散して来たのだろう。


ジャガイモの花

2008-05-01 15:23:08 | 日記・エッセイ・コラム

今日出かけようとしたら、家の前の畑のジャガイモにうす紫の花が咲いていた。日の光が強くなってジャガイモの葉が青々としている。それに花が咲いた。

子ども頃、家の前の家庭菜園でジャガイモを父母が育てていたが、ジャガイモに咲いた花は記憶にない。咲いていたのだろうが少なくとも気には留めたことがない。

ジャガイモはサツマイモと違ってたくさん食べることができるので、好きである。そういえば、いつかドイツ語の先生のMさんがドイツ人を招待して「ジャガイモのてんぷらをするといくらでも食べるのだよ」といわれていたことを思い出す。

ジャガイモがドイツの主食のようにいわれたが、実はそれほどでもないらしい。しかし、ドイツの主な食物の一つではあるだろう。FreiburgのNordseeという海産物を主としたレストランで食べたSalzkartoffelとか、ケチャップをつけて食べたPommefritesとかは懐かしい。


ブログの話題は?

2008-05-01 15:08:57 | 日記・エッセイ・コラム

いろいろと書いているブログのテーマが尽きて来ている。ほぼ毎日の更新をしているが、いつも感じたこととか考えたことを書いている。いろいろ感じたり,考えたりすることはいつもあるようだが、その大方を忘れてしまうのだ。

それでも何ほどかはブログの話題にしている。たとえば、寝ているときにも何か考えているようで、それらのいくつかはブログに反映している。

私の生活はとても単調なもので、世の修道僧よりも単調な生活をしているかもしれない。面白い話題等は薬にしたくともない。

それでもできるだけ政治の話題はとりあげないように心掛けている。しかし、政治から遠いところにいる私でも何ほどかの政治的な思いがない訳ではない。

ところで、思い出したのだが、亡くなった湯川秀樹は彼の天才論で軍人と政治家は取り上げないと言っていた。一つの見識であろう。石川啄木や空海はとりあげているが、確かに政治家や軍人は取り上げてはいない。

人が考えることは多いのだが、それを文章にするというのはある程度訓練が必要である。普通の人が文章を書いたのを読んでみて何を言いたいのかわからず、何をいいたいのですかと尋ねるとこうこういうことを言いたいのですと返事される。ではそれを書けばいいではないですかといつもいうのだが、思うこととそれを書けるということとは同じではなく、大きなギャップがある。

私もたまに人の書いた文章を添削することがあるが、その人の気持になって文を書き足してあげると、後で「実はこういうことを言いたいと思っていたのです」と感謝されたりする。ではその人がその気持を十分に表した文が書けるかと言うとそれが簡単には書けないのである。達意の文を書けるようになることはとても難しい。