物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

内包量の加法

2008-05-06 13:20:37 | 数学

内包量の加法について詳しく書かれたものは矢野寛(ゆたか)先生の「量と数」(愛数協ブックレットNo.2, 1995)以外にあまり知らない。

この内包量の加法のことを考えたくて上記の書を読んだ。かなり突っ込んだことが書いてあるのだが、わかったと思えるにはも少し時間がかかりそうだ。

それで高橋利衛先生の「基礎工学セミナー」をとりだしてきて読んでみたら、量の理論は高校、大学と上級にあがってくるにつれてあいまいというか難しくなり一筋縄ではいかなくなってくると書かれている。これは森毅先生の本にそう書いてあると「基礎工学セミナー」に引用してある。

以前、矢野寛先生からも学習会でそのように聞いた。しかし、それにもかかわらず小学校、中学校の数学ではこの量の理論というか概念は有効であるというのが矢野先生のお考えであった。しかし、それを高校や大学にあくまで拡張しようとすると難しいことがでてくるという。

高橋先生によれば、内包量と思われていた量が場合によっては外延量と考えた方がよいとかいうことが起こるという。これはある意味であいまいでクリアカットでないという評価もあるだろう。

話は一寸違うが武谷の三段階論でも概念が規定がはっきりしないという批判とか、ある段階で本質論と考えられた理論がまったくの現象論だと思われることもありうる。そういった批判では概念規定があいまいだとかいう批判がある。

ある主張を言い切ってしまうとそこで異論が出ることがあるが、それでもその主張の本質的な正しさは変わらないことがあるのではないか。そんな考えが私に芽生えている。

徹底してその主張を拡張したり、一般化すればその主張に反することが生じてくる場合がある。だからといって、その主張のプリミティブな意味での効用というか主張の正しさを否定すべきではないのではないか。これは形式論理でものごとを捉える人には肯定できないことかもしれないが。

独創性の評価の問題はいつでも難しい。


面積図と内包量

2008-05-06 13:03:09 | 数学

面積図はもともとは内包量(主に度と率がつく言葉で表される量)と外延量との関係を表すのに有効なものです。

熱力学で学ぶ示量変数(extensive variable)が外延量で、示強変数(intensive varialbe)が内包量にあたります。

私も熱力学とか統計物理を大学で学んだのに、示量変数とか示強変数という用語を知りませんでした。

内包量のそもそもの定義は、外延量を外延量で割って得られる量です。

割られる外延量と割る外延量の単位が違うと速度のような度という言葉がつく量となり、割られる量と割る量との単位が同じならば、率という量(例として利率)となります。

ただし、濃度は度がついていますが、むしろ率と言われる量です。

面積図は高校生くらいまでに、三者関係(速度の場合なら、速度、距離、時間)を分かってもらうために考えられたものです。もし、加速度、時間、速度を取り扱うときには、面積を速度にとることもあるのですが、そこのところがかえって学生に分かり難いものになるのかもしれません。

二つの物体とか物質の合併で和となる量が外延量で、その合併では和では表せない量が内包量です。

簡単のために足し算ができないものが内包量といってはいますが、内包量がいつでも足し算できない訳ではありません。

その辺は一番よく知られているのは相対速度の場合で、相対速度は足し算ができますが、二つの自動車をつないでもその速さが和になる訳ではないので速度は足し算ができないと標語的にいっています。また午前10時に気温が15度だったときに、午後3時に午前10時よりも8度気温が上がっていたとすれば、午後3時の気温は23度となります。

しかし、30度の水1.5kgと40度の水やはり1.5kgを足し合わすと水の質量は3kgになりますが、水の温度は70度になるわけではありません。水温は30度と40度の中間の温度になることはだれでも知っているでしょう。こういうのを温度は加法性が成り立たないというのですが、気温の例のように温度差については気温は加法が成り立ちます。

もともと速度はベクトルなのでベクトルの加法法則にはしたがっています。

こういうことはガリレイの時代からわかっていたことですが、いまでもやはり面倒なことであることは間違いがなく、小学生5年生くらいになると度とか率のついた量が算数で現れ、子どもにとって算数は難しく感じられるようになります。

小学生5年生の2学期ころから世のお母さんが子どもに算数を教えられなくなり、子どもを塾に行かせるようになったり、子どもの算数嫌いが増えたりすると言われています。

いずれにしても外延量とか内包量は普通の教育を受けた私のようなものが学校教育では聞いたことがない、言葉であり、概念ですから、現在でも数学とか理科教育の中で欠陥の一つになっています。

それをきちんと指摘した一派が数学教育協議会です。この量の理論は遠山啓さんや銀林浩さんたちが提唱したものです。

狭い意味の水道方式としては量の理論は含まれませんが、広い意味では含まれています。

現代数学の研究者の中にはこの「量の理論」を評価しない方々もいるようです。