内包量の加法について詳しく書かれたものは矢野寛(ゆたか)先生の「量と数」(愛数協ブックレットNo.2, 1995)以外にあまり知らない。
この内包量の加法のことを考えたくて上記の書を読んだ。かなり突っ込んだことが書いてあるのだが、わかったと思えるにはも少し時間がかかりそうだ。
それで高橋利衛先生の「基礎工学セミナー」をとりだしてきて読んでみたら、量の理論は高校、大学と上級にあがってくるにつれてあいまいというか難しくなり一筋縄ではいかなくなってくると書かれている。これは森毅先生の本にそう書いてあると「基礎工学セミナー」に引用してある。
以前、矢野寛先生からも学習会でそのように聞いた。しかし、それにもかかわらず小学校、中学校の数学ではこの量の理論というか概念は有効であるというのが矢野先生のお考えであった。しかし、それを高校や大学にあくまで拡張しようとすると難しいことがでてくるという。
高橋先生によれば、内包量と思われていた量が場合によっては外延量と考えた方がよいとかいうことが起こるという。これはある意味であいまいでクリアカットでないという評価もあるだろう。
話は一寸違うが武谷の三段階論でも概念が規定がはっきりしないという批判とか、ある段階で本質論と考えられた理論がまったくの現象論だと思われることもありうる。そういった批判では概念規定があいまいだとかいう批判がある。
ある主張を言い切ってしまうとそこで異論が出ることがあるが、それでもその主張の本質的な正しさは変わらないことがあるのではないか。そんな考えが私に芽生えている。
徹底してその主張を拡張したり、一般化すればその主張に反することが生じてくる場合がある。だからといって、その主張のプリミティブな意味での効用というか主張の正しさを否定すべきではないのではないか。これは形式論理でものごとを捉える人には肯定できないことかもしれないが。
独創性の評価の問題はいつでも難しい。