物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

伏見康治氏の死

2008-05-10 11:42:38 | 物理学

伏見康治さんが亡くなったと今朝の新聞に出ていた。98歳だったという。1909年の生まれというから来年は生誕100年だったことになる。

いつごろ伏見康治の名を知ったか覚えていないが、亡父の蔵書の中に彼の「確率論及統計論」があった。30代か40代のはじめに書いた本だと思う。

その本を知った当時はまだ大学生かまたは高校生の頃で、伏見康治氏は私には老大家という印象だったが、事実はそうではない。少壮の学者だったことになる。

読んだことはないが、「相対論的世界像」という本の著者としてとかガモフの全集の一部の訳者として知っていた。

大学院のころにたまたま頭のいい学者のことが研究室の先生の間で話題になり、その頭のいい学者の筆頭が伏見さんであった。また、小谷正雄先生も頭のいい人で東海道線に乗ってつぎつぎと来る駅の名前を覚えようともしないのに自然に覚えてしまうくらい記憶力もすぐれた学者だという話が印象的だった。

もっとも頭のいいことがすなわち業績をあげた学者ということにはならない。もっとも小谷さんなどはすぐれた学者だといっていいだろうが。

伏見さんは晩年には若いときにはむしろ思想的に敵対していたと思われる武谷三男をある意味で評価している(科学者の証言)。

これは家庭がそれほど裕福ではなかったから、生活に困ったというような家庭の事情が似ていたこと等もあるだろうし、二人が長生きしたこともあるだろう。そういうこともあって伏見さんは武谷さんを意外に肯定的に評価していると考えている。

日本での原子力の研究を進めようとしたところも方向は少しだけ違ったかもしれないが、似ている。そして伏見さんが大阪大学を辞めて名古屋大学のプラズマ研究所の所長になったところもひょっとしたら原子力研究のあり方に批判的であったためかもしれないと思ったりする。

みすず書房から出された彼の著作集には興味深いものがある。彼はあまり教育に関心を示さなかったが、その関心の一部は彼の著書の中にぽつぽつと出ている。私も母関数という概念の紹介に彼のあるエッセイの冒頭部分を「数学散歩」(国土社)で利用させてもらった。

人は死すべきものである。これはどうあがいてみたところで変えられない。だが、いかに生きるかは努力で変わってくる。人生は地球歴史的な長時間でみれば無駄なのだが、だからといって自分が無駄に生きる必要はない。


IT世界の進歩

2008-05-10 11:09:41 | 社会・経済

一時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったマイクロソフトも停滞気味である。停滞とまではいっていないのだろうが、それでもヤフーの買収がうまくいかなったことで戦略の見直しを迫られていることは事実だろう。

グ-グルとかユーチューブとかつぎからつぎへと新しいサービスというか新しい事業が立ち上がっている。これからも新しい試みがなされるのは間違いがない。

学術の分野でもいわゆる学術雑誌を各大学で購読していたのがその購読を止めて、ウェブによる閲覧に移行したのはここ十年位のことだろう。

また、5年以前の雑誌の内容を無料で検索閲覧および印刷できるようにした学会はかなり多い。私の関係している物理学会でも学会誌をほとんどウェブで閲覧できるようになった。

すべての雑誌がそうなっているかどうかは知らないが、世の趨勢はそういう方向に進んでいる。3年くらい前にはまだそのシステムができていなくて、Progress of Theoretical  Physicsのバックナンバーをウェブで見ることができなかったが、今では見ることができる。

もっとも購読者でなければ、見ることはできないかもしれないが、それでもなんとか雑誌にアクセスすることができる。同じように「素粒子論研究」もアクセスができるようになったと最近号のお知らせにあった。

著作権の問題があって、死後50年たたないと著作権は消滅しないが、それでもパブリックドキュメントへと移行した文献は多い。

いつだったかアインシュタインの全集が見られるようになっているサイトを見つけてびっくりしたが、そういう時代がそこまで来ている。