物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

力学の講義とテキスト

2008-07-19 12:16:33 | 物理学

大学で力学と称する講義を6単位1年半も聞いたのに、力学の何たるかがわかっていない。

アメリカから帰ってきたばかりのM先生は長身でなかなかスマートな先生で、使ったのは寺沢寛一著の「力学概論」、2年生から3年生の前半までの間だった。このテキストはマトリックスを使って書いてあり、当時としてはなかなかスマートな書き方に思えた。

もっとも講義が終わってからは一度もこのテキストを読んだことがないから、このテキストで力学を勉強したとはいえない。私がもっぱら読んだのは一年下の学年にいた妹がやはりM先生から習っていたときのテキストの原島鮮著「力学」であった。

これは大学院の入試を受けるために自分で勉強したのであるが、試験に出そうな解析力学を中心にして勉強したと思う。

それからは力学を勉強したのは2,3度力学を講義したときくらいにしかすぎない。それでも自分が力学のテキストを書くとすれば、いくつかのところは独特の書き方をしたいと思うが、テキストを書くことはないだろう。

改良したいことの一つは寺沢さんのテキストにあったようなマトリックスを使いたいということである。もっとも座標変換のところをあまり記憶力のよくないものにもできるだけ無理のないようにできたらと思っている。

そのマトリックスだが、マトリックスの微分を導入したいと思う。線形代数ではマトリックスの微分はあまり出てこない。だから、そこをまずどう教えるかだが、そこがクリアできると一気にすっと進めるのではないかと考えている。

優れた人は記憶力も相当あって、私のような記憶力の足らないものとは違ってなんでも記憶できてしまう。そこを何とかしたいと考えているが、前にもいったように力学のテキストを書くこと機会はまったくないであろう。


泡沫ブログ

2008-07-18 12:03:59 | 社会・経済

私のブログも泡沫ブログかもしれないが、ブログのほとんどが泡沫ブログで10数個もブログを持っている人もいるという。

そのブログについた広告やインターネットをクリックしてもらうと本人にお金が入るという。それがまともな広告ならまあ仕方がないが、迷惑メール等の関係のサイトだとこれは社会的に問題になる得るだろう。規制を考えているとはいうが、多分規制はよっぽど目に余らないとできない。たとえば、人が大勢死ぬとか詐欺事件や恐喝事件が多数発生するとかしないと。

いやこれはそれでいいといっているのではなくてそういう体質を行政がもっているといっているのだ。日本のブログの2/3がそういうブログになっているという話もあるらしい。

まともな情報発信者はどこかにかすんでしまい、利をむさぼる人たちが生き残るそういう時代が来るのかもしれない。確かにお金はあったほうがないよりはいいが、それをどうやって得るかにはどうも自己抑制が効かないものらしい。

投機で原油価格が高騰したり、小麦の価格や米の価格が上昇したりするのもそういった利潤追求によるものであろう。でもそうやって人間は自分で自分の首を絞めていることになっているのを気づかない。


水は温度が高いほど早く凍る

2008-07-17 12:21:11 | 物理学

これはNHKの「ためして合点」で触れられていたことで事実だそうだが、どうしてかよくわかっていないのだという。先日インターネットサーフィンをしていたら、早速そのことをブログで取り上げていた人がいた。

その人のできることも世界のインターネットでどう説明されているかの引用らしかった。結構古くから知られている事実らしいが、それがどうしてかわからないというのが不思議である。

現代科学では測定技術等は進んでいるのに、まだよくわからないことがあるということがあれば、哲学の不可知論が勢いを増して来るのではないかと心配になる。

こういったわからないことではないが、「デンマークこま」というのがあって回転しているうちにさかさまに回転するので「さかだちこま」ともいわれているものである。これは大学のときに力学を教えて下さったM先生が授業のときにもってきて見せてくれたので知った。

その理論の講義はなかったと思うが、あのボーア先生が解けなかった問題だということで記憶に残っている。いくつか論文がでているようだが、そのような論文を読む気が起こったことはない。大多数の人がそうなのだと思う。

これとはまったく違うが「鏡に映った自分の像はなぜ左右が反対か」という問題があって、これについてもいろいろな人がエッセイを書いていたり、本まで書いていたりする。でも簡単になるほどと思う説明にはであったことがない。いろいろ詳しく議論を読めば、なるほどと思うのだろうが、そこまで暇ではないし、根気もない。

ということは擬似科学とかにはまるのと同じ構造を人間精神はもっているということらしい。


外国人の芥川賞初受賞

2008-07-16 11:30:54 | 本と雑誌

楊逸さんという中国系の作家が芥川賞を受賞したと今朝の新聞で読んだ。

このころはアメリカ出身の詩人や作家がいたりして日本語で書いたりしているのだが、それでも芥川賞のような文学賞を受賞する日本語を母語としない人が出てくるとは隔世の感がある。

日本人でも多和田葉子さんだかがドイツ語で小説を書いてドイツ語圏で評価されて何かの賞をとったというので評判になったが、それでも母語でない言葉で書いて文学賞をとるというのはすばらしい。

この頃の傾向として直木賞とか芥川賞とかをとるのは圧倒的に女性が多い。これは近年の傾向だと思うが、女性の作家のすばらしい人が多いのだろうか。

人類の約半分は女性なのだから、女性の作家が多いといってもまったくの不思議ではないのだ。でも単に感覚が鋭いだけではなしに書くべきことをしっかりともっているとはとてもうれしいことである。


エントロピーの意味

2008-07-15 13:21:47 | 物理学

何回かエントロピーについてその意味を聞かれていたので、昨日の講義で最後の機会と思ってその説明をした。

クラスで出席番号の順番に席を決めて座るとすれば、それは秩序のある座り方になるが、その座り方は一通りに決まる。一方、各自が好きなところに座る場合の数はとても多くなり、そういう場合は無秩序でエントロピーが大きいのだと前にした説明を繰り返した。

さらに君たちが授業を受けにこの教室に集まっているのはある種の秩序であって放課後に君たちが家にいようと街に遊びに行こうと勝手にするのはもっと無秩序となっている。そういう場合は学校で授業を聞いているのと比べればエントロピーがとても大きくなっているのだと話した。

自然現象はエントロピーが増大するというのが自然の方向であるが、その中でも生物現象は特別なところがあって、そのエントロピーの増大ではなくてむしろエントロピーの減少になっていると見られる場合もあるとつけ加えた。

その例として、昔のビキニ環礁での水爆実験で放射能汚染をされたマグロがたくさん獲れたが、廃棄処分されたりした。これは普通には生物濃縮といわれているプロセスで自然界に拡散した放射能物質がプランクトンを汚染し、それらを食べたマグロが放射性物質を濃縮した結果であった。

こういう現象は別に放射能に限らない。10数年前だったかPCBの廃棄物が焼却場の煙突から外界に拡散してそれが野菜とか牧草を汚染し、そのためにそれを食べた母親の母乳のPCB濃度が高くなったということがあったという例を話した。

この授業の後で、さすがに「エントロピーはわかった」という感想がアンケートにあり, そして「エントロピーとは確率なのですね」と書かれていた。しかし、エントロピーはしかし即確率ではない。ボルツマン風にいってS=klog Wであるのだから。ここで、Sはエントロピーだが、Wは熱力学的確率だったと思う。また、kはボルツマン定数である。しかし、ここまで立ち入って話すことは時間の関係であまりないのだ。

また、エントロピーの意味の科学史的な文脈での説明をT先生から聞いたことがあるが、覚えていない。これは講義ではなく、E大学の先生仲間の会食の席だった。

また、これも20年くらい昔のことになるが、京都大学工学部の上田先生から情報工学でのエントロピーと物理学でのエントロピー等の関係について講演を聞いたことがあるが、ノートをとらなかったのでそれについて書かれたものを読んだことがない。

そのときに上田先生が戸田盛和先生の「エントロピーのめがね」(岩波)を推奨されていたので、その本の中に上田先生の説明されたことが出ているのかと思って、いつだったかその本をインターネットで購入したが、どうもこの本にはそれについての解説はなかったようである。もっともエントロピーそのものの説明がその本にあるのはいうまでもない。

(2012.1.12付記)  エントロピーの意味は「エントロピーのめがね」(岩波)に説明があるが、それでもその説明で十分だとは思われない。もちろん、普通の人にとってはこの本の説明で十分すぎるぐらいだろうが、もう少し突っ込んだ議論を期待していたからである。

世の中にはエントロピーを解説した本は数十冊は日本語でも出ている。それらをすべて見ることができるわけではないし、どれかが意を尽くした説明をしているのかどうか。

少なくとも数十冊の本が出されているということがエントロピーが分かり難い概念だということを示していると考えられる。

いま、私の納得したいことはつぎのようである。

1) S=klog Wと熱力学のdS=d'Q/Tを結びつけた説明(統計力学の書に説明があるらしい)

2) 情報理論のエントロピーと熱統計力学でのエントロピーとの関連の説明

3) 熱力学のエントロピーの歴史的、発見法的に説明


授業の終わり

2008-07-14 13:20:15 | 受験・学校

なんでも始まりがあれば、終わりがある。早いもので私のM大学での基礎物理学の授業も今日で終わりとなった。再来週に試験があって終わりとなる。

さすがに今日は最後の授業だったので質問をされても答えることはできませんと断っていたら、質問はなかった。ねぎらいの言葉とよくわかったという人が半分とやはりよくわからなかったという人が半分に分かれた。

そもそも理解を要する講義で講義を聞いていただけでわかるなんてことは私は信じない。自分でわかろうとする努力なくしてわかることなどないと思う。

でもわかったといってくれた人が半分近くいたということは高校時代とか大学入学のための受験勉強で自分がいくらかわかろうとして勉強したことがあったからに違いない。そういう予備知識があれば、理解可能だったということだろう。

一方、難しかったとかわからなかったという人には私の授業をよく聞いてかつ教材のプリントを読んだりして努力をしなかったのなら、わかることは難しかろう。もっともそうしてもわからなかったという人がいるのならば、謝るほかはないが、そういう人にとっては理解のヒントは十分に与えたつもりである。

いつも思うが、なんでもわかろうと思う意思をもっていない人にはものごとをわからすことなどできはしない。これはわかるという行為がとても個人的な行為だということから来ていると思う。

来年この授業をすることができるのかどうかはわからない。講義をするという人生は今年で終わるつもりでいる。


リリーマルレーン

2008-07-13 22:34:56 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の土曜日は忙しかった。それでNHKのドイツ語講座でドイツ語の歌の再放送をしているのだが、ちょうど「リリーマルレーン」だったのに聞き逃してしまった。残念である。

Vor der Kaserne, vor dem grossen Tor, stand eine Laterne und steht noch davor. -----と歌い出だされる「リリーマルレーン」はいつ聞いてもいい。よりによってこの日が忙しかったなんて恨めしい。

これは往年の名女優マレーネディートリッヒの歌として有名なのだが、その歌を最初に歌ったのはマレーネディートリッヒではないという。一種の反戦の歌かとも思うが、第二次世界大戦中に連合国側と枢軸国側の両方で好んで歌われた歌だという。憂愁を帯びた歌である。


市民コンサート

2008-07-11 11:09:39 | 芸能ネタ

7月7日の七夕の日に市民コンサートがあった。はじめに演奏されたのがバイオリンソナタ第5番へ長調作品24春だった。これがなかなかいい曲でベートーベンとは思えない曲であった。ベートーベンさん失礼。

私の好みとしてあまり重厚な曲は好きでないのだが、これはバイオリンとピアノの曲でピアノの音もあまり耳障りでなかった。バイオリンの演奏は鍵富弦太郎、ピアノは松本和将であった。ピアノの松本は多分2年前にも市民コンサートで聞いたと思う。感情たっぷりの演奏であった。

しかし、私は一般にピアノの音が好きではない。どうしてもバイオリンの音の方がすきなのである。特にがんがんと頭に響くような曲は好きではない。それが好きな人もあるのだとは思うが、これだけは好みの問題だから仕方がない。


電気の用語2

2008-07-10 12:32:33 | 物理学

電のついた用語としてまだある。電気力線、電場、電束密度まだあるかもしれないが、今は思いつかない。本を調べればまだ他の用語もあるだろう。

たくさん同じような用語が出てきたときわからないといってほっておくのも一つの考えだが、やはりそれを書き出してどう違うかを調べてみるというのがいい勉強法だろう。

いわゆる比較対照というのは物事をつかむ一つの方法である。どうも半年にわたってM大学の非常勤講師として授業をやっているわけだが、そういう学問の方法論についてもそれとはあまり意識しないで言及してきた。どこまでわかってどこからわからないのか、わからないところをはっきりさせるとかいうのもものごとをつかむ一つの方法であろう。

学生はぼんやりとわからないといっているが、それでは本当にわかるようにはならない。すべてわからないということは、しかしまたないのである。あるところまでは自明というか当然のことである。ところがどこかある新しい概念かなにかが出てきてかそこいら辺からわからくなるものである。そういう箇所をはっきりさせる。その境がはっきりすれば、その境のところをよくわかるように努力すればいいのである。

そういった学び方についての質問も今年は多かったが、質問にひきずられて肝心の物理の内容で大事なことを落としてしまったような気がする。例えば、準静的過程の大切さとか、慣性の法則だとか、電気のいろいろな性質を丁寧に説明することとかいったことである。

電磁気学では遠隔作用の概念が近接作用の概念で置き換えられたとかそういう大事なことはプリントで強調はしてあるが、どうも希薄になってしまった。反省しきりである。


電気の用語

2008-07-09 12:41:53 | 物理学

電位、電圧、電流、電荷(電気量)、電気容量、電気抵抗、電力とここで上げただけでも7個も電のつく用語がある。学生からそういう違いというか定義を聞かれた。電圧と電力との違うを聞かれたのだが、ちょっとこれだけではいけないだろうと思って書き出してみたら、7個あった。

これは自分ですぐに思いついたものだけであるから、まだ他にもあるかもしれない。電気は目に見えないから力学と違ってなかなかイメージを描き難い。それで水とのアナロジーで説明をしているのだが、十分にわかったかどうか。もともとアナロジーはアナロジーにしか過ぎないので水とのアナロジーで電気のことがすべてわかるとはいえないだろう。

水圧で電圧をイメージし、水の流量で電流をイメージし、水の量で電荷をイメージする。電位は水のあるところの高さ、水位でイメージする。なにも元とするイメージがないよりはいいだろう。電位差は水のある場所からもっと低い場所への位置の差でイメージする。どうも中学校レベルで申し訳がないが、このイメージすらもないとしたら、どうやって電気のことを理解したらいいのだろうか。


ナダルの優勝

2008-07-08 12:40:48 | スポーツ

ウインブルドンでナダル(スペイン)がフェデラー(スイス)の6連覇を阻んだ。もしフェデラーが6連覇できたら、120年ぶりの快挙だったというが、さすが6連覇は難しい。あのボルグでさえも5連覇までで6連覇はできなかったという。そのボルグを破ったのはマッケンローであった.。

28年ぶりのフェデラーの快挙を頓挫させたはナダルの執念だったらしい。こうしてクレーのフランスオープンとウインブルドンを同じ年に制覇した選手としてボルグに続いてナダルが歴史に名を残すことになった。

ある事情でとうとうこの決勝戦をテレビで見ることができなかった。2ゲームをナダルが先取してフェデラーに圧力をかけたが、その後フェデラーがその後の2ゲームを取り返し、最終セットにもつれこんだという。そこで9-7だったかでナダルが最終セットをものにして優勝した。

テニス仲間が決勝に至るまでのフェデラーの試合をテレビで見ていて、あれではフェデラーを破ることはできないとまでいっていた。ところが、ところがである。だから、人間のやることは予測がつかない。


断ることの難しさ

2008-07-07 14:23:58 | 日記・エッセイ・コラム

先日の夜に妻が息子に電話をかけていた。近々上京するのでそのときに息子に会いたいという電話だった。息子は忙しいので、会えないと断ったらしい。妻はぷんぷんとしばらく怒っていたが、後で息子から「ごめんね」と電話がかかってきて機嫌をなおしていた。

今回は私は都合で上京できないので、一人で夕食するのはさびしいのでにぎやかなことが好きな妻は二男に電話をかけたらしい。

こういうときになかなかなんでも以前なら断ることのできない性質(それはまったく妻の性質でもある)の二男なら、忙しくてもなんとか都合をつけてそのためにますます自分の仕事が忙しくなるということ風にことが進んだかもしれない。でも今回はうまくは断れなかったかもしれないが、なんとか断ることができるようになったのは二男に人とのつきあい方に大いに進歩が見られるような気がする。

もっとも断り方がうまくないと親子の断絶へとつながりかねない。そこが本当に忙しいのか、単に親に会いたくないのかというところがきわめて微妙である。本当に息子が忙しいのに無理やり会いたいという親はいない。どう自分の事情を素直に表現するのかなかなか難しい。


早すぎた梅雨明け宣言?

2008-07-06 14:16:33 | 日記・エッセイ・コラム

四国地方に梅雨明けと金曜に四国管区の高松気象台が宣告したら、昨日の土曜の朝は大雨で土砂降りであった。私も梅雨明けかとブログに書いたが、確かに急に暑くなっている。しかし、今日の日曜日も曇り空で梅雨が明けたという感覚には程遠い。ただ金曜日の空はもう夏空を思わせるものであったし、梅雨明け宣言をした気象台はニュースで10日ほどは雨は期待できないと言っていた。

気象台の面目まるつぶれだが、確率で予報しているのだから仕方がないだろう。天気はまったく時々刻々生きている。ということでどうも梅雨明け宣言は早すぎたらしい。しかし、言い訳はいろいろあって梅雨はいったん明けたのだが、梅雨がまた戻ってきたという言い方もあるらしい。いわゆる戻り梅雨である。

大学に入学直後に地学の講義を聞いていたが、その頃の4月のはじめで雨がよく降っていた。1958年のことである。鈴木先生はこういうのを菜種梅雨といいますといわれていた。

地理学の設楽先生は顕著なのは春から夏へかけての梅雨だが、同じような現象が夏から秋にかけてもありますといわれた。

途中で病気になって休学をしたから、これらの授業の単位を取得するということはなかったが、入学直後に聞いた講義なので瑣末のことだがそういうことを覚えている。


N先生語録

2008-07-05 12:01:37 | 数学

昨日友人の数学者Nさんのお宅を訪問した。短い時間だったが有益な話を聞くことができた。そのいくつかをここに簡単に紹介しておこう。

N先生語録

1)数学は誰にでも理解できるものです。もしわかろうとする意思を捨てなければ。もちろんわかるのに時間がかかるかもしれません。

2)数学では定理とか命題とかは大事かもしれませんが、例もとても大事です。もし定理とか命題とかがよくわかっていれば、そのような例を示すことができるからです。だから、逆に命題がわかっていると思われてもその例を示すことができなければ、わかっているとは思われないのです。

3)数学ではそのような例とか反例とかをたくさん考えて次第次第にイメージをつくっていき、命題とか定理とかをつくるのです。抽象的に何もないところから急に命題とか定理とか公式を導くのではありません。

4)複素解析に鏡像の定理というのがありますが、回路理論で鏡像の原理というのがあるでしょう。あれが複素解析の解析接続の鏡像の定理のいい例となっているのではないかと思います。

5)「解析接続の仕方の例を知りたいのですが」という私の質問に答えて。ガンマ関数についての解析接続が、複素解析の解析接続のいい例ですから、それを例えば「解析概論」ででも勉強されたらいいと思います。

1)-5)はいずれもN先生の見解で私の見解ではない。もっとも間違っている場合には聞いた私の理解不足とか誤解にもとづくものでN先生の責任ではない。いつかこういった関連のエッセイをN先生との共著でまとめてみたいと思っているが、いつものようになかなか時間が取れないのが悩みである。


梅雨の終わりか

2008-07-04 14:01:54 | 日記・エッセイ・コラム

昨日から急に暑くなった。梅雨の終わりが近づいているのだろうか。私が子どもときの梅雨はじめじめしてやりきれなかったと思う。

「都市は砂漠化する」というのはもう30年以前に読んだ技術論の本にあったかと思うが、都市の道路で舗装されていないところはほとんどないから逆に雨が上がり、日が照りつければすぐに乾燥してくる。もちろん梅雨の時期だと湿度は高いがそれでも昔と比べれば、しのぎやすくなっていると思われる。それにいまはエアコンが普及しているので、湿度が高いと除湿することもできる。

それに網戸なんてものもなかったので、夜は蚊帳の中で寝るということだった。暑くてなかなか寝付けなかった。いまは網戸のお陰で蚊帳をつって寝るなどという家庭はほとんど都市ではないのではなかろうか。

それに網戸はハエを食卓から駆逐した。さらに下水の普及でトイレから蛆虫(ハエの幼虫)が発生するということはきわめて少なくなった。今でも夏に赤痢で夏に亡くなる人は0ではないだろうが、私の子どものときのようにそういった赤痢で亡くなる人が新聞にいつも出ているという風ではない。

高齢化社会というのはそういう生活環境のいい意味での変化によっている。ただ、後期高齢者という制度で高齢者は早く死ねといわんばかりの制度になったので、高齢者が怒っている。これは単にマスコミがそれを取り上げるからといったこと以上を含んでいるようである。

社会福祉をきちんとはせずに消費税を上げたいということだと誰もそういう政策を支持はしないだろう。ヨーロッパでは確かに消費税は高くなっているが、それに見合った福祉制度が充実しているのだ。どうもそこのところを忘れている。ちゃんとした目的税で国が老後をきちんと面倒をみてくれるという福祉制度ができているのなら、預金をしておく必要がないので、消費税を高くしても誰も文句はいわない。

しかし、どうもそうではなさそうである。消費税だけは高くして税収を計るが、その税収の増加は大企業の補助に使われそうなのである。誰がそういう政策を心から支持できようか。私のようなノンポリでもそう考えるのだから、政治家は真剣に考えなければ、失業してしまうよ。