物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

赤池情報量基準

2008-10-11 12:40:20 | 数学

「赤池情報量基準(AIC)」について朝日新聞に数日前に解説が出ていた。もとになる研究はセメントの生産工程を合理的にすることから出てきているという。

一般論を学ぶのはいつでも難しいのだが、もとはそういう具体的な要求から出てきているというのを聞くといかに具体的な事実が大切かを改めて知らされる。

統計学はなんだか学びにくい学問のように思うが、実際はどうなのだろうか。その解説は「情報量統計学」という本でされている。100ページもその本を読めば、その理論はわかってしまうらしい。だが、なかなかその100ページが読めないというのが私の実情である。

昔から実験データをフィットする理論的モデルを決めるのにχ^{2}フィットというのがあって、これは最小2乗法の一種だと思うのだが、この値がいいからといってデータのモデルがいいというときには常識的な判断と一緒に使わないと思わぬ落とし穴にはまるということを言われていた。AICではそれがそういうことがなくなっているのだろうか。ともかく数年前には京都賞だか日本国際賞だかを赤池さんはもらわれたという。

こういう理論が一般化するといいのだが、なかなか普及は難しいのではないだろうか。


武谷三男の処女論文

2008-10-10 13:20:43 | 科学・技術

あれほど早く終わって欲しいと願っていた仕事が終わってみると、なんだか空虚に感じる。

確かに自分のやっておきたい仕事ではなく、浮世の義理で仕方なくやっていた仕事ではあるが、この半年以上没頭してきたので、その空白を埋めるための気持ちを取り直すためにはしばらく時間がかかりそうだ。

昨日から物理学者、武谷三男の「業績リスト(第2版)」(注:『素粒子論研究』116-5 (2008.12)に掲載)の仕上げにとりかかっている。

これは基本的には作業が終わっている仕事ではあるが、見直しや手直しをしようというのである。新しい成果も盛り込まれている。

武谷は台北高校に在学中に貝類の化石の収集に台北大学の早坂先生とか丹先生と調査旅行に何回か出ている。そしてそれをまとめて論文にした。

この英訳は台北大学教授だった早坂先生がされたらしいが、それが1936年にその当時武谷が在学していた京都大学の専門家の校訂を経て、発表された。

これが武谷の処女論文である。日本の地学学会の雑誌に出たとばかり思っていたので、しきりに日本の地学学会の雑誌を調べてみたが、それにあたるものが見つからなかった。

英語でTaketaniと入れてあるときにgoogleで検索をしてみたら、台湾のある博物館か何かのところにその論文の題目が出ていた。

そのPDFファイルはパソコンに取り込めそうだったのに、自分では取り込めなかった。それでその関係者にメールを出してPDFファイルを送ってもらうように頼んだところ、Wu教授がそのPDFファイルを送ってくれた。Wu教授のご親切に感謝したい。

(注)「武谷三男博士の著作目録」の方は第4版が最新のものである。第2版までは冊子体の『素粒子論研究』に発表したが、第3版と第4版は『素粒子論研究』の電子版に掲載されている。

武谷三男博士については「武谷三男博士の業績リスト」と「武谷三男博士の著作目録」を私がつくっている。

「業績リスト」は第3版が最新であるが、「著作目録」の方はすでに第4版まで公表している。こちらの方は第5版を出す必要があることが判明しているのだが、まだその準備はしていない。

詳しくは検索をしてみてください。


仕事の完了

2008-10-09 11:25:40 | 物理学

ゴールスタインの下巻の訳の校正を初校をやっと終えた。再校が残されているが、これは初校での訂正の箇所が正しく訂正されているか、またページ指定ができていなかったところを指定するということだけなので、大して時間のかかることではない。

「なんとか生き延びれた」という感覚である。脳溢血かまたは心臓病で死ぬかとかいろいろ心配をした。4月だかに下巻を仕上げる体制をつくり、やっと仕上げることができた。夏休みもなかった。これほど夏に働いたのは博士論文の仕上げに夏休みをとらないで働いた1967年以来である。あれも10月になって論文ができてから、帰省したのは10月だったと思う。もちろん、それからレフェリーとのやり取りがあって、最終的に掲載が決定したのはもちろん年が変わって1968年1月か2月のことであった。

なにせこの頃のことだからlatexで原稿を作るのだが、出版社が十分に編集者としての機能を果たさないものだから、その編集者としての分までその全部ではないが、かなりの分の仕事をかぶってしまった。そのプレッシャーは大きかった。共訳者のEさん、Fさんもプレッシャーだったろう。Eさんの綿密な検討や忙しくて時間のとれないFさんが時間を割いて尽力をしてくれたことに感謝する。

昨夜Eさんと最後の検討をして、仕上げた。夜9時前にやっと家に帰ってワインで自分ひとり仕事の完了を祝った。来週の水曜日の晩にEさんと簡単な仕事の打ち上げのお祝いをするつもりである。


南部、小林、益川博士のノーベル賞受賞

2008-10-08 12:40:47 | 物理学

2008年度のノーベル物理学賞に南部、小林、益川の三博士の受賞が報道された。昨日は夜テニスに行っていたので、私の友人の物理学者から電話を妻が受けたということでこの事実を知った。

南部さんはノーベル賞に値するといわれながら、QCDの受賞者が出たときにもう南部さんは受賞できないかと私も思ったが、ちゃんと受賞できたことはとても喜ばしい。「対称性の自発的破れ」というのが彼の受賞理由だが、これはなかなかわかりにくい概念であった。だが、これが現在の素粒子理論の基礎をなしている。このブログでも内容は触れていないが、1回か2回取り上げている。

小林、益川両氏は「CP対称性の破れ」が受賞理由だが、一般には4つのクォークからクォークを6個に増やした研究者として知られており、彼らのミキシング角はCKM角として知られている。素粒子のテキストではCKM角とかCKM行列というのはもう標準的で固有名詞だという意識もないくらいである。

私は益川さんとは若い頃からの知り合いであって、彼は気配りの細かで、かつものごとに臆しない感じの人である。小林さんは歳が少し違うのでそれほど親しくはなかった。しかし、二人がノーベル賞を貰うのは時間の問題だと思われてはいたが、それにしてもかなり時間がかかった。これは南部さんにはもっとそうであろう。

テレビで見たら、益川さんはやはり昔の性質そのままで飾らないところがいいと思った。彼はあまり英語が得意でないことは有名で、今回も選考員会から電話も日本語で通訳があったとのことである。でも英語が得意でなかろうが、どうであろうが、受賞できたことはおめでたい。


ご神体

2008-10-07 11:27:21 | 日記・エッセイ・コラム

街はお祭り一色なので、AIC(赤池情報量基準)について書こうと思っていたのだが、急遽ご神体に話題を変えたい。日本国中小さなお宮が多い。土地の氏神様というわけだが、その氏神様にはご神体がある。

あるとき、親戚の人か誰かから聞いたのだが、その人が体験したご進退はある程度大きな丸い石らしかったというのである。これはお祭りでご神体を若者たちが奪い合うという行事の中での出来事だったらしい。もちろん、ご神体自身は布に包まれており、みることはできない。だが、触った感触ではどうも石らしいということであった。

これは伝聞にしかすぎないが、ご神体はあるところでは鏡であったり、あるところでは刀であったりするという。刀をご神体にしているところは伊勢神宮であったか、いつか新聞で読んだ気がする。

ご神体などとは有難がるのはどうかと思うが、いわばミステリアス(神秘的)なところがないと宗教というのは成り立たない。それで、ご神体というものを考え出した知恵者がいたのであろう。それが日本国中にその風潮が広がっていったということだろうか。


「共に歌おう」に行く

2008-10-06 12:40:25 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、伊予銀行創立130周年記念の「共に歌おう」の大会第二部を聞きに行った。これは妻がある方から勧められてバックコーラスに参加したので、そのチケットをもらったからである。

ボニージャックスが来て一緒に歌うという大会なのだが、全部の曲をボニージャックスと歌うのではなくてコーラスグループの歌う曲とボニージャックスと一緒に歌う曲またある曲などは来た観衆だけが歌う曲などがあった。

ボニージャックスは結成50周年ということで1958年の結成だそうだから、メンバーはもちろん私などよりも歳がいっている。多分全員73か74歳だろう。最後に自分たちの持ち歌を3曲歌っておしまいとなったが、4人なのにその声量はさすがであった。

それよりも妻が帰ってきて言うにはコーラスのメンバーは長時間立っているので、メンバーの中には倒れた方も出たらしい。健康に自信のある元気な方でないと参加できないという。それで、足が棒のようになったという話であった。これは時間に余裕があれば、途中で休憩を入れるとかするプログラムを組むべきだったのであろう。

日本人ならほとんど知っている童謡や唱歌ではあるが、50曲も歌うということは大変である。しかし、まったく知らない曲が2曲ほどあった。


「意味はない」という演技

2008-10-04 12:27:03 | 映画

先日、朝日新聞で俳優の香川照之さんのエッセイを読んだ。それは黒沢清監督の映画に出演して演技指導を受けたときの話である。ある演技をするように黒沢監督は言った直後に「この行為は特に意味はありません」とつけ加えたという。香川さんにはこれがある意味でショックというか新鮮に思えたという。

俳優さんはどこかの劇団に所属してその役割の心境なり、歴史なり、背景なりを自分で考えて役を演ずるようになるのが、普通だと思う。どなたかの回想にもそういうことをしなくてはいけないということを知ってはじめて役者というものがわかってきたというようなのがあった。

ところが、黒沢監督の指示は一見すれば、これに反するように思える。だからこそ、香川さんは新鮮に感じたのだろう。だが、それだけのはずはない。だとすれば、黒沢監督の「特に意味はありません」というコメントは何を指すのだろうか。その辺はエッセイには書かれていないのでこちらの想像に任されている。

あまり深刻に考えるなということで「自然体で演技せよ」ということなのか。はたまた、そう突き放すことでかえって自分で考えることを促しているのかよくわからない。確かにそれによってある種の新感覚を呼び覚まそうとしているのかもしれない。しかし、真意は私にはわからない。


『大学入試問題予想法(数学)』

2008-10-03 16:31:36 | 数学

矢野健太郎著『大学入試問題予想法(数学)』(日本評論社)という本から、私のこのブログにたどり着いたという学生さんがいたが、どうして彼がそういう本に関心をもったのかわからない。

「大学の数学の先生は高校の授業の内容をよく知っているわけではなかろう。むしろ、いつも教えている大学の数学の中から高校の数学として解ける問題を探して、大学の試験問題に出題しているのではなかろうか」というのが、矢野先生が本を書いた意図というか趣旨であった。

そうだとすれば、大学の数学の教材の内容から高校数学で取り扱えそうなものを選ぶというのが大学の数学の先生の出題法ということになり、そういうテーマを探して提示するというのが矢野先生の大胆な入試問題予想法であった。

その後、これに似た考えの本はたくさん出されているが、その全部を見たことがあるわけではない。

そして、その考えを利用して私も物理の入試問題を出そうと心がけた。いまはもう定年になっているから、こういうことを告白してもまあ罪にはならないだろう。

何らかの問題意識があって、そこから入試問題を出されているらしいということは他の物理の先生の話からもある程度想像ができたが、先生方の経験はいろいろ多岐にわたっているから、それを受験生である、高校生が前もってすべて体験したり、予想したりするのはやはりできないと思われる。

地道に勉強してよく基本の原理とその応用例を理解しておくのが一番いい受験勉強になるという平凡なところに結局は落ち着きそうである。


丹下健三氏の復権

2008-10-03 11:46:56 | 科学・技術

丹下健三氏は世界に誇る日本が生んだ建築家の一人です。今治の出身ですが、あまり今治の人にはいいイメージがない。

彼の設計した市の公会堂は造形的には優れているかもしれないが、自然の照明を活かすという風ではなく不経済であると昔から言われていました。

今日の朝日新聞の愛媛欄では今治での丹下氏の復権ともいうべき活動が起こっているということを伝えていました。今治中学(現今治西高)を出てから、広島高校へと進み、それから東大へと進んだ。

実は、私の実家は丹下氏の大きな実家のあったところから歩いて数分のところでとても近く、1945年8月の空襲で丹下氏の実家(大きな邸宅でした)は焼けましたが、戦後その屋敷を含む敷地が現在の今治小学校になっています。

その今治小学校には大きな蔵が残っていて、小学校の運動会のときに使う用具が収められていましたが、そこはもともと丹下氏の実家の蔵だったのです。このたび新聞報道でこの空襲で丹下氏のお母さんが亡くなられたことをはじめて知りました(注:私の母校の今治小学校も少子化のために廃校となっている)。

丹下氏は高校の頃には勉学以外のほうに精を出したためにその当時としては珍しく、高校卒業と共に大学へと進学することができず、1年浪人をしたといいます。しかし、そのことが彼の後世の建築の仕事のために役立ったと思われます。

もっとも偉人は必ずしも郷里では受け入れられないとの点は今治だけの問題ではなく、彼の卒業した広島高校の同窓生にもあまり受け入れられなかったと下世話話に聞いたことがあります。

私は今治西高(今治中学の後身)の卒業生ですし、また、広島高校の後身の広島大学教養部でも学んだ者ですから、彼を貶めるつもりで言っている訳ではありません。彼は高度成長時代にふさわしいきわめて優れた建築家だったのだと思います。

しかし、一方で彼の設計した建物は年が経つと雨漏りがする(雨漏り健三)とかの憎まれ口もきかれたのは事実です。これは本当は設計者の問題ではなく、施工した建築業者の問題なのでしょうが。

偉大な人々の業績も時代の枠を出ることはなかなか難しいものだと感じています。


季節を感じる

2008-10-02 11:37:10 | 日記・エッセイ・コラム

昨日秋の季節を感じるということを書いたが、古くからの短歌に

    秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる

とかいうのがある。これは今のような本当に秋が来たときではなくもっと夏の終わりに近いときだろう。ところがこれに似た感覚で冬から春になることを歌った詩がドイツ語にある。昨日ラジオのドイツ語講座で取り上げていた、M"orikeの詩である。

Fr"uhling l"asst sein blaues Band

wieder flattern durch die L"ufte;

s"usse, wohlbekannte D"ufte

streifen ahnugnsvoll das Land.

Veilchen tr"aumen schon,

wollen balde kommen.

Horch, von fern ein leiser Harfenton !

Fr"uhling, ja du bist's !

Dich hab' ich vernommen.

というのである。Er ist'sという題であり、erはもちろん春を指すという。日本では夏の暑さが厳しいために秋の到来が待たれるが、冬の寒さの厳しいドイツでは春の到来が待たれるというわけである。お国柄の違いということだろうか。


秋の到来

2008-10-01 11:41:28 | 日記・エッセイ・コラム

あれほど暑かった夏も過ぎて、やっと涼しくなった。今度は逆にコタツが欲しくなってきた。私は寒がりだが、まだ今日は半そでシャツである。台風のお陰でというかやっと石手川ダムも貯水率が60%に届こうとしている。

それでも市は取水制限を強化しようとしているらしい。例年のいまじぶんの貯水率は70%を越えているのでこの制限はわからないでもない。それに人口50万を越えた都市にしてはダムの容量が小さすぎるのだ。

自宅の居間にも日が20センチくらいだが、差し込むようになってきた。昨年だかに10月半ばで居間に日が差し込むようになったと書いた記憶がある。日溜りの暖かさが恋しくなる季節が到来した。そろそろコタツの布団を出して掛けようかと思い出した。

四季がはっきりしているのが、日本の季節の特色であろうか。ヨーロッパでは秋はもちろんあるが、冬の始まりという感じで秋を日本ほど存分に楽しむという余裕がないように思われる。